23
「あんた、昨日もパソコンつけてたでしょ。つけっぱなしだったよ。ほんと飽きないよね。いったい何回同じもの見てんの?」
「大和、外出よう」
声を潜めて千秋が言った。
「え?」
「いいから、もう家を出よう。ここにいちゃだめ」
千秋はおれの手をひいてベッドから出た。
「待ってよ。ご飯くらい食べていったらどう?」
女の言うことを無視して、千秋は弱々しく前へ進んだ。玄関にたどり着き、履いてきたはずの自分の靴がないことに気づく。あたりを探してみても、靴箱にはかかとの高いヒールばかりが置いてあるだけで、自分の履いていた幼いスニーカーはなかった。
千秋は、あの人……、と呟いた。おれがキッチンに振り向こうした瞬間、かちゃかちゃと音が鳴った。足元まで木製の箸が転がってきて、それは嫌に幼稚な柄の小さな箸だった。クマやゾウのキャラクターが楽しそうに笑っている。
「ねぇ、ご飯くらい食べていったらどう?」
キッチンから女が出てきて、皿をこちらに持ってくる。皿の上には黒焦げの何かがのっていて、おそらくあれが食べ物だと言いたいのだろう。女の顔は、笑ってはいるが、瞳の色がわからない。刻まれた皺に埋没して、おれと千秋のどちらを見ているのかがわからない。
全身が粟立ち、震える。冷え切った体温で、心臓が止まりそうだ。
千秋。千秋。彼女に、もう出ようと目配せする。しかし、千秋はおれの手を握ったまま、硬直していた。
「千秋。あんたがAVを何度見たって仕方がないよ。どうせ大して興奮もできないくせに。そのうえ、あんたの身体は誰からも愛されない。だから、もうやめようよ。幼い顔してるくせに、AV見るなんて似合わないよ。見てて痛々しい。だから、もうやめよう。ね?」
うるさい、と千秋がまた息を吐いた。
「どうせ、昨日も手を出されなかったんでしょ? それは、あんたが――」
「だまれ、馬鹿!」
急激に体温が上昇し、おれは罵倒せずにはいられなくなった。落ちていた足元の箸を拾い、女にぶつけた。女は身を護る体勢をつくらず、ただこちらを見ていた。さっきと同じように、かちゃかちゃと箸の鳴る音が響いた。
千秋の手をひいて、裸足のまま玄関を開けると、眩しい光を浴びた。一瞬、目を閉じたが、前へ進むために細目にして、力強く足を出していった。一気に階段を駆け下りるが、途中、千秋が転びそうになり、危ないと思った瞬間、おれは千秋を抱きしめていた。
あの女が、いまの千秋を確かにつくっていると思った。昨日、画面越しに見つめあっていた親子を思い出す。おれは千秋という人間を、もう知らずにはいられない。
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