18

 発車ベルがプラットホームに高鳴る。

 肌寒い風を連れて、終電の一つ前の電車に乗った。十一時半発だったので、人はまばら。お酒を飲みすぎた人たちが、隅のほうで眠ったり、起きたりを繰り返している。

 もうすぐ、千秋の住む街に着く。持ってきたのは、いつも使っているリュックサック。入れてきたのは、着替えと洗面具だけ。奥のポケットには、一度も使ったことのない避妊具が、たぶん今も入ったままだ。ずっと、その存在を確認していない。そういえば、これはどこで手に入れたのだろう。購入した記憶がない。

 そうだ、瑠衣さんに貰ったんだ。もう一年も前になる。結局、おれは一度も使う機会がなかった。この避妊具も、かなり傷んでいるかもしれないから、もう使えない。どちらにせよ、大丈夫。使わなくていい。そんなつもりは、一切ない。ただのお守りみたいなものだ。

 街の灯りはぽつぽつと消えていき、車窓の外側はどんどん暗くなっていった。やがて、自分の姿が、明瞭に見えるようになった。どうみたって、おれは普通の男子高校生だと思う。身長は伸び切っているのに、まだ幼いように思える顔が、不釣り合いなだけだ。

 こういう人間に迫ってきたあの人は、どういう人間なのだろう。あのとき、あの人は「かわいい」と何度も言った。あの言葉の真意はなんだったのだろう。

 自分の頬を、指先で撫でた。うまく、滑っていかない。昔よりも、ざらざらとしてきている気がする。もっと、これから硬くなるのだろう。そうしたら、この先はもう手を伸ばしてきてくれる人はいなくなるのだろうか。それでいい、それでもいい。

 駅に着くと、改札で千秋は待っていた。特に手をふったりはしなかったが、遠目でも千秋だとわかったので、ただいっしんに千秋を目指した。

 千秋はジーパンにTシャツといった普通の姿なのに、儚げな雰囲気をまとっていた。おれと目が合うよりも先に、改札を出ていく人を目で追っては、また別の人を追いかけていた。おれのことを見つけると、千秋は、あっ、と声を洩らさず言い、小さく手を挙げた。

「こんばんは、だね。家の人にはなんて言ってきたの」

「友達の家に泊まるって言った」

「へぇ、大変だったでしょ。説得するの」

「別に。うちの親は寛容だよ。ていうか、おれ男だからな。そんなにダメだとか言われたことないかも」

「ふうん。そういうもんなんだ」

「そういうもんだよ」

 おれたちはしばらく夜の街を歩いた。おれの街よりも、千秋の街は星が綺麗に見えた。おれの街では聞こえることのない、犬の遠吠え、虫の鳴き声、風の吹く音が、いっぺんにやってきた。

 一軒家ばかりの宅地に、背の高いマンションが建っていて、景色に似合わないなと思っていると、千秋が「あのマンション」と言って、指をさした。おれは「あれなの?」と訊いた。千秋は「あれの最上階」と言った。

 七階建てのマンションにもかかわらず、千秋は「階段でいこう」と言った。五階にたどり着くころ、おれは階段で息をあげた。それをみて、千秋は笑った。学校の体育の授業は、おれのことを鍛えてくれていないと言うと、千秋はまた笑った。

「飲み物とってくるから、適当にくつろいでて」

 九畳ぐらいありそうな千秋の部屋で、ふだん吸われている空気はきっと四畳半。残りの四畳半はとても殺風景。部屋の真ん中を境に、生活のなされていない空間が、はっきりと浮かび上がっている。

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