14
千秋は一番上をのけると、その下の作品を両手でもってみせて「おんなのひと」と言った。次の一枚を手に取ると、また「おんなのひと」と言った。さらに、次の一枚を手に取ると、また「おんなのひと」と言った。
なんだか機械的な仕草に、吹き出しそうになった。なんなんだ、こいつは。
次の一枚を手に取ると、「おとこのひと」と言った。さっきの「おんなのひと」と同じように、「おとこのひと」を繰り返した。
「千秋」
おれがそう言うと、千秋の繰る手が止まった。千秋は「うん」とだけ言い、画用紙をまた一つにまとめた。おれのことを見ながら、一度コーヒーをすすった。
「なんなんだよ……」
「はい?」
「こんなところでこんなものを広げて、恥ずかしくないの?」
「特には」
「あっそ」
おれは急に意地悪をしたくなった。千秋が大事そうに持ち歩いているこの白い束を、コーヒーで汚したくなった。わざとおれがカップにぶつかれば、きっと簡単に中身の黒が汚してくれる。そのとき、この顔はどんなふうに崩れるのだろうか。
「あ、おかわりって、もらえるのかな」
そう言って、千秋はカップをちらりと見た。カップの底には、三日月がでていた。
「はい」
なんだかマイペースなやつだ。
「おかわりだそうです」
「絵を描くのが好きなんだねぇ」
緑さんは薄く垂れさがった髪を耳にかけると、さっそく準備に取り掛かるみたいだ。今回ははやく提供できるかもしれない。
「なんの絵だった?」
「男と、女の、絵でした」
「それじゃわかんないじゃない」
カチャカチャと器具が鳴っている。強くなったり、弱くなったりしている。
「裸でした」
「ほう。ヌードなのか」
「たぶん、そんな感じですかね」
緑さんはふーんと言った。
おれはその後、千秋の名前や、同じ学校に通っていたこと、アダルトコーナーで再会したこと、でも再会だったことにおれは気づけなかったことを伝えた。緑さんは、何かはじまりそうだけど、何もはじまらなさそうだね、と笑った。
いつのまにか、湯気のたちあがるコーヒーが目の前に置かれていた。緑さんはホールに出ていて、よく見かけるお客さんと談笑をしていた。
「コーヒーどうぞ」
千秋のテーブルの上には、また作品が広がっていた。この短時間で、ひとつ仕上げたようだった。どこかで見たことのある表情を、絵の中に見つけた。この女の人、確か。そうだ、あのアダルト―コーナーの例の女優だ。豊満な体つきも、よく再現されている。
「ねぇ、このあと暇かな?」
一口飲んだあと、千秋が口をひらいた。
「いや、八時までバイトだから」
「じゃあ、そのあとでもいい」
「なにすんの」
「AV見に行きたい」
急に何を言い出すんだ。しかも、さっきよりもずっと声が大きい。周りのお客さんに聞こえてたらどうするんだ。ていうか、なんでおれがいちいちあくせくしなきゃいけないんだ。
「なんで。一人で行けるだろ」
「だって、前に邪魔したから」
あの日か。無理やり、手をひいてしまった日。
「責任取って」
責任。
貴重な時間を返せということだろうか。
「おれがいなくてもよくない?」
「いいから、行きたいの」
「わかった……」
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