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 千秋は一番上をのけると、その下の作品を両手でもってみせて「おんなのひと」と言った。次の一枚を手に取ると、また「おんなのひと」と言った。さらに、次の一枚を手に取ると、また「おんなのひと」と言った。

 なんだか機械的な仕草に、吹き出しそうになった。なんなんだ、こいつは。

 次の一枚を手に取ると、「おとこのひと」と言った。さっきの「おんなのひと」と同じように、「おとこのひと」を繰り返した。

「千秋」

 おれがそう言うと、千秋の繰る手が止まった。千秋は「うん」とだけ言い、画用紙をまた一つにまとめた。おれのことを見ながら、一度コーヒーをすすった。

「なんなんだよ……」

「はい?」

「こんなところでこんなものを広げて、恥ずかしくないの?」

「特には」

「あっそ」

 おれは急に意地悪をしたくなった。千秋が大事そうに持ち歩いているこの白い束を、コーヒーで汚したくなった。わざとおれがカップにぶつかれば、きっと簡単に中身の黒が汚してくれる。そのとき、この顔はどんなふうに崩れるのだろうか。

「あ、おかわりって、もらえるのかな」

 そう言って、千秋はカップをちらりと見た。カップの底には、三日月がでていた。

「はい」

 なんだかマイペースなやつだ。

「おかわりだそうです」

「絵を描くのが好きなんだねぇ」

 緑さんは薄く垂れさがった髪を耳にかけると、さっそく準備に取り掛かるみたいだ。今回ははやく提供できるかもしれない。

「なんの絵だった?」

「男と、女の、絵でした」

「それじゃわかんないじゃない」

 カチャカチャと器具が鳴っている。強くなったり、弱くなったりしている。

「裸でした」

「ほう。ヌードなのか」

「たぶん、そんな感じですかね」

 緑さんはふーんと言った。

 おれはその後、千秋の名前や、同じ学校に通っていたこと、アダルトコーナーで再会したこと、でも再会だったことにおれは気づけなかったことを伝えた。緑さんは、何かはじまりそうだけど、何もはじまらなさそうだね、と笑った。

 いつのまにか、湯気のたちあがるコーヒーが目の前に置かれていた。緑さんはホールに出ていて、よく見かけるお客さんと談笑をしていた。

「コーヒーどうぞ」

 千秋のテーブルの上には、また作品が広がっていた。この短時間で、ひとつ仕上げたようだった。どこかで見たことのある表情を、絵の中に見つけた。この女の人、確か。そうだ、あのアダルト―コーナーの例の女優だ。豊満な体つきも、よく再現されている。

「ねぇ、このあと暇かな?」

 一口飲んだあと、千秋が口をひらいた。

「いや、八時までバイトだから」

「じゃあ、そのあとでもいい」

「なにすんの」

「AV見に行きたい」

 急に何を言い出すんだ。しかも、さっきよりもずっと声が大きい。周りのお客さんに聞こえてたらどうするんだ。ていうか、なんでおれがいちいちあくせくしなきゃいけないんだ。

「なんで。一人で行けるだろ」

「だって、前に邪魔したから」

 あの日か。無理やり、手をひいてしまった日。

「責任取って」

 責任。

 貴重な時間を返せということだろうか。

「おれがいなくてもよくない?」

「いいから、行きたいの」

「わかった……」

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