09

 彼女はメニューを開くと、細くて長い指でコーヒーをさした。

 本日、二杯目。

「緑さん、コーヒー、だそうです」

「うぃ。なんか今日は珍しいな。短時間で二杯も出るなんて」

「ですね」

「あれ。大和くん、顔色悪いよ?」

 顔色っていわれたのに思わず手のひらを背中に隠した。つくった拳の中から、ついに汗が滑り落ちる。

「そうですか?」

「うん。どす黒い」

「コーヒーみたいにですか?」

「全然おもしろくない」

 余裕のなさ。この余裕のなさ。

 緑さんは無表情のままコーヒーを淹れ始めた。

 その間、彼女は茶色い手提げ鞄の中身を探っていた。あの華奢な鞄から、何が出てくるのだろうと観察していると、白い画用紙の束が出てきた。違う、単なる画用紙じゃない。ここからだとぼんやりしていてよく見えないけれど、スケッチブックを一枚一枚切り離して持ち歩いているんだ。なんでそんなことをしているんだろう。

「あの子、どんな子?」

 緑さんが唐突におれに訊いた。繊細に動いていた手が止まってしまっている。

「え?」

「はやく。コーヒーいれられないでしょ」

「どういう……」

「知り合いじゃないの?」

「違います」

「ふうん。じゃあ、どんな子だと思うの?」

「えぇ……」

「はーやーく。イメージしないとつくれないの」

 なるほど。だからコーヒーを作るとき、ときどき作業が遅いんだ。

「たぶん、変態……」

「え?」

「いや、なんでもないです」

「へぇ、変態なの。あの子が?」

「いや、だから、なんでもないです。何も知らないし」

「だって、いま変態って言ったでしょ」

「……忘れてください」

 緑さんは鼻歌交じりに、作業を再開させた。

 彼女のほうを再びみてみると、今度はさっきの画用紙を複数枚広げている。なんだか、薄い色で描かれているようだ。

 黒い……幹のような………のっぺりしているものが、滑らかに根をはっている。

 でも、よく見えない。彼女の肩越しに見える絵は、古くて硬い皮膚のようにも感じた。直でみてみたら、直にさわってみたら、心がざらつく。きっと肌がむずむずする。そんな気がした。

 彼女に近づきたい。怖いもの見たさは緩やかに狂気にかわり、一歩ずつおれを前に進ませた。

 彼女はおれに気づくことはなく、手元の複数の画用紙を紙芝居みたいに順番に見比べている。

 これ、もしかしてほとんど同じ絵なんじゃないか。細い幹だと思っていた絵は、やせっぽっちの身体だった。たぶん、これは若い男がモデルなんじゃないかと思っていたけれど、彼女が次の画用紙に移るたびに、だんだんと身体が丸みを帯びていく。ごつごつした胸元は内側から空気を入れられたように膨らんでいき、その反対に、腹は空気を抜かれたようにしぼんでいく。

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