第2話 二周目の世界

 あのとき、ああしていれば。

 もっと積極的に動けていれば。

 今とは別の未来が――彼と結ばれる未来があったかもしれないのに。


 いっそ戻れたら。

 あのころに戻れたら。

 高校生に戻って、最初からぜんぶやり直せたら。

 大人になった今なら、もっとうまく立ち回れるのに。


 ――もはや毎日のルーティンのように、そんな妄想ばかりしていた。


 きっとわたしは、大人なんかじゃなかった。

 大学を卒業して、社会人として働き始めたけど、中身は高校生のままだった。

 実らなかった初恋に、ずっと囚われ続けていた。


 その報せは突然だった。

 わたしの初恋の相手――千羽はるくんが結婚した。

 高校時代の友達なんてわたしにはいなかったから、親同士のネットワーク経由で、お母さんから聞いた。

 結婚式も盛大にやったらしいけど、わたしは当然呼ばれなかった。


 あれ、こんなもんなんだ、って思った。

 思ったよりショックじゃなかった。

 案外とっくに吹っ切れていたのかも……なんて。

 その日の晩、眠りにつく直前まで、そう思っていた。


 だけどベッドに横になって、目蓋を閉じたら。

 わたしに向けられることのなかった、彼の眩しい笑顔が脳裏に浮かんで。

 その瞬間、決壊した。


 泣いた。


 なるべく声を殺して泣いた。

 すぐに我慢できなくなって、枕に顔を押し付け、声を上げて泣いた。

 幼児のようにしゃくりあげながら、泣いて泣いて泣いて泣いて泣き続けた。


 泣き疲れて眠ってしまったのか、わたしの意識はそこで途絶え――

 目を覚ますと、わたしは高校の入学式前日にタイムリープしていた。


 どういう理屈かなんて、わたしにわかるわけがない。

 ただ、これはわたしが獲得した「能力」なんだと、それだけは直観的に理解した。やろうと思えば――そんな感覚が今のわたしにはある。


 なんにせよ、奇跡であることに間違いはなく、わたしは生まれてはじめて、神様という存在に心の底から感謝した。


 そうして、この時代に戻ってきてから約三週間が過ぎ――わたしはとうとう、彼に話しかけることに成功した。

 自分の部屋に帰ってきたというのに、心臓はまだバクバクと早鐘を打っている。


 大人になった今なら、もっとうまくやれるに違いない。そんなささやかな自信は、あっけなく打ち砕かれた。

 なぜなら――


 普通に、めっちゃ緊張したから。


 入学式の日、わたしはさっそく彼に声をかけようとして、やめた。

 逃げた。

 次の日も、その次の日も。


 いざ彼を前にしたら、緊張して、恥ずかしさがこみあげてきて、一言も話しかけられない。

 だったらまずは友達を作るところから始めようと思って、だけどそれすらうまくいかなかった。


 結局、時を遡ったところで、わたしという人間の本質が変わったわけじゃない。

 成長したつもりになってただけの、臆病な陰キャ女でしかない。


 だけど、それでも。

 わたしは、そんなわたしを変えたかった。


 だからこう思うことにした。

 失敗しても、またやり直せばいい、と。

 おそらく、今のわたしにはその力がある。

 勘違いだったら怖いから試してはいないけど、そう信じることで、自分自身の背中を押した。


 そうして、わたしは――


「やった……」


 昔のわたしにはできなかった、最初の一歩を踏み出した。


 緊張しすぎて、別れ際は自分でもなにを喋っていたのかよく覚えてないけど。

 でも、確かに訊いた。

 そしてその答えも、しっかりと耳に残っている。


『そ、それでそのっ! あのっ! 今、お付き合いしてる人とかっていたりするっ?』

『……え、俺が?』

『う、うん!』

『いや、いないよ』


 この時代、今この時点の彼は、まだ誰とも付き合っていない。それを確認できた。


 でも、それは今だけ。

 そう遠くない未来、彼は将来のお嫁さんと付き合って、結婚することになる。


「その前に、わたしがっ……わたしが千羽くんとっ!」


 …………お付き合い、して。

 それから、それから…………あわよくば。


「……結婚、も…………、〜〜〜〜〜っ!」


 一人で想像して顔を熱くしながら、わたしは固く決意した。

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