第40話 いつか君を

 駅の改札口で待ち受けていると、マリンストライプのニットに紺のワイドパンツ姿の一華が、顔の横で小さく手を振りながらやって来た。

 龍輝はついついにんまりしてしまう。

 

 Lineでは敬語の無い会話ができるようになったが、実際に会って話すのは初めてなのでちょっと照れくさい。はにかんだように顔を見合わせてから会話を始めた。


 二人で寄り添って歩き出す。

 駅から十分ほどの道のり。いつもは黙々と一人で歩いている道が、全然苦にならない。

 アッと言う間に家に着いてしまった。


「お邪魔します」


 明るく挨拶しながら入ってきた一華。

 先ほど買ったばかりの丸座布団に目をやってにっこり。


「ゴマちゃんだ!」

「あ、これね。可愛いなと思って一華さん専用」

「私専用? 嬉しい」


 一華が満面の笑みになった。

 普通のブルーストライプの丸座布団と、水色にゴマアザラシの絵が描かれた丸座布団。

 二つちょこんと並べて置かれている。 


 思ったよりも綺麗な龍輝の部屋。きっと一生懸命掃除してくれたに違いない。

 それ以上に、自分専用の席を設けてくれた心遣いが嬉しかった。

 この座布団を龍輝がどんな顔をして購入したのかと想像すると笑えてくる。


「ありがとう」

 そう言って、早速座り込んだ。膝を抱えて体育座り。

 そんな一華が可愛くなって、龍輝も「よっ!」と言って隣に腰を下ろす。丁度後ろのベッドのサイドを背あてにして寄りかかれば、それなりにリラックスできた。

 二人で顔を見合わせて、クスリと笑い合う。何気ない事なのに、心弾む瞬間。


「とってもシンプルで落ち着く」

「ほんと? 良かった」

 心の底から安心したような龍輝の声に、一華が「うんうん」と首を振った。


「狭いけど、物が少ないから案外広いだろ」

 そう言って立ち上がると、いきなり腕立て伏せをし始める。

「広いから筋トレもできる」

 そう言って笑っているが、背の高い龍輝がやると、かえって部屋が広く見えなくなる。

 一華はそう思いながらも「うん」と頷く。


「でも、やり過ぎても痛めるわよ」

「おっしゃる通りで」


 笑いながら中断した龍輝は、目の前のテーブルに置かれたビニール袋を覗き込んだ。


「さっきから美味しそうな匂いがしている」

「あ、先に食べちゃう?」

「食べたい」

「じゃあ」


 一華が取り出したのは、最寄り駅にある本格日本料理のお店で買ってきたテイクアウト弁当。

 鯛めし弁当と牛しぐれ弁当の二つ。

 丁寧に作られたバラエティに富んだ内容ながら、リーズナブルなお値段で買えるのでお得感満載だ。


「うお、美味しそう」

「うん。ここのはね、美味しいの」


 そう言いながらテキパキと準備する一華。


「どっちがいい?」

「迷う」

「じゃあ、やっぱり、これ」

 そう言って取り分けるために用意してきた紙皿を手に取った。

「なるほど。半分こ?」

「半分っこ。でも、龍輝の方が体が大きいから三分の二かな」

「ありがとう」


 二人で弁当を分け合って、二つの味を楽しんだ。


 美味しい日本料理弁当を食べた後は、一華の手作りブラウニーと龍輝が買っておいたつまみで乾杯する。

 今日はお安く缶チューハイ。龍輝が何気なく買っていたチーズ鱈とするめのおつまみに、一華がにこにこしている。


「え? 一華さん、するめ好きなの?」

「まあね。でも、これって糖質が少ないお菓子って知ってた?」

「おお、知らなかった」

「筋トレ中に食べてもいいお菓子なの。DHAや必須アミノ酸も入っているし」

「へぇ。本当によく知っているよね」

 心から感服する。

「でも、お酒飲み過ぎちゃうとアウトだけれど」


 そう言いながらも、潔く缶チューハイに口をつけた一華を見て、龍輝が吹き出した。


「そういう割には飲みっぷりがいいね」

「あ!」

 恥ずかしそうに顔を赤らめた一華に、龍輝がもう一度乾杯と缶をぶつける。


「ちゃんと糖質オフって書いてあるのにしたから、大丈夫だよ」

「うふふ。ありがとう」


 お家デートで何をしようかと思っていたけれど、こんな風にとりとめのない話をしているだけで楽しい。

 龍輝は一華の横顔を見つめながら、そう思っていた。


 両手で抱えた缶チューハイを胸前に持ちながら、一華の視線が部屋の中をクルリと見回す。


 ふと、本棚の一点に目を止めた。


「あれ、紅子の写真?」

「そう。出産した時の、記念に現像した」

「見てもいい?」

「もちろん」


 一華から紅子に触れてくれることが嬉しくて仕方ない。写真立てを取ろうと動き出したら、一華も一緒に動き出していた。

 二人で一緒に本棚前に移動して、また肩をくっつけ合って紅子の写真を覗き込む。


「小さい紅子がいっぱいだ!」

「そう。エフィラが、ポリプから切り離されて動き出した時は感動した」

「そうだよね。感動するよね」

 熱心に魅入っている横顔に視線を戻す。愛おしくてたまらなくなった。


 今の俺は冷静だ。唇にキスしてもいいかな?


「ん? どうしたの?」

 そう言って振り向いた一華、予想外に近づいている龍輝の顔に驚いた。


 え、ええ! 近いんだけれど!


 まん丸な瞳で見つめ返す。

 でも、真剣な龍輝の目を見て理解した。


 キス……だよね?

 また、想像の上をいくタイミング。

 まさか、また額、なんてことは無いわよね。

 

 そう思ったら可笑しくなって、一華はお手並み拝見とばかりに目を瞑った。



 今度は唇にキス。軽くついばむようなキス。


 目を開いて笑い合う。


 どちらからともなく、もう一度ついばむ。


 ああ、やっぱり柔らかくて美味しかった!


 龍輝は満足気に微笑んだ。


 そう、こうやって少しずつ。

 どんな恋の過程も楽しみたい。 


 初心なキスも段階を踏んで、いつか君を虜にするキスを―――

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