第38話 大事にしたい

 一華が用意していたのは、ブラウニーと赤ワイン。オシャレな演出が大人のムードを醸し出す。


 流石だな。


 フルコースを食べたような充実感。


 でも……ダメだな。一華さんはまた俺の口に合うか心配している。

 よし! スイーツもイケる男と言うところを証明しよう。


「お口に合うか」


 言いかけた一華の口を指で塞ぐ。後は行動あるのみ。

 早速ケーキを口に入れて気づいた。


 ナッツだ!


 俺の好物。

 なんで知っているんだろう? いや、話した事は無いから偶然か?


 一華さんの味覚と俺の味覚、似ているってことかな?

 どっちにしろ、一華さんの作る料理は全部俺の好みってことだな。


「一華さん、エスパーですね」


 エスパーと言う表現が面白かったようだ。一華が笑いながら見上げてくる。

 無邪気に笑う姿は、はっきり言って凄く可愛い。健康的な明るさに溢れていて、見ているだけで癒される。

 デレ顔をさらさなようにするのに必死だった。

 

 味覚の甘さは脳へも浸食するようだ。

 龍輝の好物と知ってまた作ってくれるという一華に、ちょっと甘えてみたくなった。


 すぅっと視線を向けておねだりする。


 もっとください!


 そして、畳みかけるように伝える。


 俺にこんな行動をさせる君の料理は最高なんだから!


「ほら、一華さんが作る料理はどれも俺の口に合うでしょ」

 目を見開いて驚いた一華。意味に気づいて素直に頷いた。 


「……ありがとう。じゃあ、サービスしちゃおうかしら」


 差し出されたのは先ほどよりもずっとずっと大きなケーキ。


 やっぱり君は最高だ!


 その後のおしゃべりは楽しかった。ケーキの甘みにワインの渋みと香り。

 お酒に強い龍輝でも、あまりの心地良さに酔いが回る。


 ケーキを頬張ったり、グラスに口をつけたり、話したり笑ったりする度に、ふっくらとした一華の唇が目に入る。

 舐めたらきっと甘いに違いない。

 そんな誘惑と戦う。


 今までの人生でキスの経験は何回かあった。

 帰り際にふっと触れるようなキスをして去っていったダイビング仲間。 

 ゼミ合宿のどさくさで迫られた先輩からのキス。

 挑発するように囁きながら唇を食まれた数合わせの合コン。


 あれ、俺、思ったより経験豊富なのかな?


 でも、そのどれもが女性の側からのキス。


 龍輝が自分からキスをしたことは無かった。


 だから、どうすればいいのか迷っている。


 キスのタイミングって、とても難しいんだな。


 いざ自分からキスしようと思って、初めて彼女たちの勇気に気づいた。 

 それなのに、自分はただ驚くばかりでそっけない態度を取ってしまった。あの時は申し訳けなかったと、今更ながら思った。

 どれだけの気力を振り絞ってキスしてくれたんだろうか。


 そんなことを考えながら己の欲望と戦っていたら、遂にエネルギー切れを起こした。

 瞼が重くなってくる。


「あの、龍輝さん、もし良かったら……」

 一華の言葉に我に返った。


 このままここで寝てしまえたら……いや、帰ろう。

 

 離れがたい気持ちを断ち切った。


「ありがとうございます。でも、今日は帰ります」



 玄関へと誘う一華の背を見ながら、龍輝は自分の判断に自信が持てなくなった。


 このままキスもしないで帰るのか? 俺はそれでいいのか?

 一華さんを待たせ過ぎじゃないのか?

 

 この、意気地なしが!

 

 衝動的になりたくない―――そう思っていたのに。


 衝動的に一華の肩に手をかける。

 口から洩れたのは、もう隠せないほどに膨れ上がった願望。


「やっぱり、キスしていいですか?」

 

 そんな龍輝の勢いに戸惑いつつも、一華が言った一言は健気だった。


「いいんですか?」

 

『あなたの言葉は、私の気持ちと一緒よ』

 そう言ってくれているようで嬉しかった。龍輝の力みがすうっと消える。


 ああ、やっぱり彼女は優しい!


「それ、俺のセリフ」


 口元に笑みを浮かべられるくらいには落ち着けた。抱えるように見下ろしながら、今度は静かに囁く。


「俺が一華さんにキスしたいんです。じゃあ、目を瞑ってください」

「はい」


 目を瞑って顔を上げた一華。自然体に見えるが、実は緊張で少し震えている。

 愛おしくて、優しくしてあげたくて、慈しみの心が沸き上がる。


 あれほど食べたかった一華の唇。

 後一歩のところ。もう、手に入る寸前。


 ああ、でも困ったな。

 やっぱりちょっと酔っ払ってしまった。

 

 今唇にキスしたら……俺は俺を止められなくなってしまうだろう。


 大事にしたい。


 彼女も。彼女との全てを。


 だから……龍輝は唇へのキスを断念する。


 その代わり、額に―――


 『好き』の言葉を乗せて、キスした。



 彼女の額は少し冷たくて、滑らかで。


 でも、彼女を守るバリアを吹き込めたような、そんな高揚感。


 ああ……俺はバカだな。


 こんなことで、彼女を守れる気でいるなんて。

 でも、これがさがなのだとしたら……俺は今、男で良かったと思える。


 照れくさくて仕方ないけれど。


 狩猟本能と庇護欲。

 二つの感情に振り回されながら、龍輝は初めて、を意識していた。



『キスってとても難しい(龍輝side)』 了

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