第35話 キスしていいですか

 その時、ぱちりと龍輝の目が開いた。慌てたように起き上がる勢いに押されて、一華も飛びのいた。


「あ! すみません。寝ちゃってた」

「あ、その、あの、お疲れだなと思って」

「ごめん。ソファに座ったらマシュマロに包まれたような感じになって、睡魔に勝てなかった」


 パチパチと瞬きして体を起こした龍輝。飛びのいた格好のまま固まっている一華に、バツの悪そうな笑顔を向けた。


「初訪問で寝ちゃうって、どんだけ図太いヤツだと思われましたよね」

「いえ、お疲れだったんだなと思って。それなのに、ジムで更に疲れさせちゃったかなって」


 一華の言葉に龍輝の瞳が深い色を湛え始めた。


「君は優しいね」

 ふわりと漂う大人の落ち着き、色香。


 一華さんでは無くて、『君』。


 いつもの龍輝と違う雰囲気に、完全に一華は飲まれていた。


 座り直した龍輝。床で固まっている一華に手を差し伸べると、ぐっと力を込めて自分の横へ引っ張りあげてくれた。

 その力強さに、一華の心がまたドキンと波打つ。


「ごめん。寝ちゃって」

「ううん」


 いつもの敬語口調では無い。

 一華を捉えた真っ直ぐな視線。瞳の中の黒い水面が揺れ動いている。

 心の中で何かを迷っているように、沈黙が続いた。


「あ……の……」

 

 気遣わしげに声をかけた一華。

 その瞬間、龍輝の雰囲気が一気に変わった。


「でも、すっきりした」

「え?」

「ちょっと寝たらスッキリしました」


 そう言ってにっこり微笑んだ顔は、いつも通り屈託が無かった。


「……良かったです。本当はもっと寝た方がいいと思うんですけれど」

 体調を気にかける一華に、明るい声で催促してくる。


「サプライズはできあがりましたか?」

「はい」

「楽しみ」

「今、お持ちしますね」


 冷やしておいたグラスにワインを注ぐ。

 

 疲れている時はポリフェノールたっぷりの赤ワインがいい。今日のチョイスは間違って無かったわ。

 これ飲んだら、龍輝さん寝ちゃうかな。寧ろ、ゆっくり眠れたらいいんだけど。

『ベッド使って』なんて言ったら、誘っているようでプレッシャーかけちゃうかしら?


 考えがまとまらないままに、ソファ横のサイドテーブルを動かしてセットした。


「お待たせしました」

「おお、ワインとケーキ! いいですね。手作りですか?」

「はい。お口に合うか」


 そう言いかけた一華の唇に龍輝の人差し指が軽く添えられた。一華の心臓がまた跳ねまくる。

 いたずらっ子のような瞳を向けたまま素早くフォークをケーキに突き刺すと、パクッと口に放り込んだ。


「ナッツが入っている!」 

「あ、今回はアーモンドとカシューナッツを入れてみたので」

「一華さんはエスパーですね」

「ええ?」


 思わず笑いながら見上げた一華。


「俺の好物を知っている」

「ナッツ好きだったんですね」

「うん。大好き」

「じゃあ、これからナッツ入りのお菓子にしますね」

「それ、嬉しいな」


 ご褒美をもらった子どものような笑みを見せて、直ぐに二口目を口に放り込んだ。


 小さなケーキはアッと言う間に龍輝の口の中に消えていった。


「美味しかったです。でも……」

 寂しそうな視線をすぅっと向けられて、一華は思わず吹き出した。

「お替りですか?」


 コクリと嬉しそうに頷いた後、急にドヤ顔になる。


「ほら、一華さんが作る料理はどれも俺の口に合うでしょ」

 だから心配する必要は無いと、言葉だけで無く行動で示してくれている。


 そっか。これが龍輝さんなんだわ。


 一華の中に、またストンと龍輝への信頼が積み上げられた。


「……ありがとう。じゃあ、サービスしちゃおうかしら」


 コクコクと縦に首を振る龍輝に、先ほどよりも大きなケーキを取り分けてあげた。


 今度はワインの香りと共に、味わいながら食べる。おしゃべりも弾んで、龍輝はいつのまにかクッションを抱えてソファに胡坐をかいていた。

 

 リラックスしてくれていると思って、一華は嬉しくなる。

 案の定、その目がとろんとし始めた。


「あの、龍輝さん、もし良かったら……」

 一華の言葉に、慌てて瞼を引き上げた龍輝が毅然とした声で言う。


「ありがとうございます。でも、今日は帰ります」

 一瞬二人で顔を見合わせる。


「大丈夫ですよ。道の途中で寝ませんから。ちゃんと家に帰り着けます」

 

 龍輝さんの体を気遣う気持ち、ちゃんと伝わっている。だからこの答えなんだわ。


 一華は安心したように頷き返した。


 そんな一華を見て、龍輝もほっとしたように付け加えてきた。


「今日はご馳走様でした。どれも美味しかったです。お礼に、今度は俺の部屋へ招待します。掃除頑張りますから」

「え、嬉しい。楽しみにしていますね」


 離れがたい気持ちを振り切るように玄関へといざなった。

 

「本当に、気を付けて帰ってくださいね」

 

 扉を開ける手前で、ふいっと龍輝が一華の肩に手を添えた。

「あ……」

 一華の体に電流が走る。


「やっぱり、キスしていいですか?」

 切羽詰まった声が耳元に届く。


 今、ここで? 


 思ってもみなかったタイミングに、流石の一華も一瞬戸惑う。

 見上げた龍輝は真面目な顔。いや、緊張しているのか、少し顔が強張っている。


「いいんですか?」

「それ、俺のセリフ」


 ふっと笑った龍輝が愛おしげに一華を見下ろしてきた。改めて龍輝との体格差を感じて、一華の思考が蕩けていく。


「俺が一華さんにキスしたいんです。じゃあ、目を瞑ってください」

 

「はい」と答えて目を瞑る。

 少し上向きに顎を動かせば、ふわっと額に熱が伝わってきた。


 ほんの一瞬。

 触れたか触れないかと言うほどの一瞬。


 あれ? おしまい?

 しかも額!

 

 心の中でツッコミつつ、そうっと目を開けた一華。

 

 目の前には、隠しきれない色気と共存する純情少年のような赤面顔。


 やだ、もう。

 こんな中学生みたいなキスなのに、こんなに純真なはにかみ顔を見せられたら!

 

 溢れ出ている幸せオーラに自然と一華の心臓もシンクロする。


「おやすみ」

 そう言いながら扉を開けた龍輝は、「帰ったらLineする」と言って扉の向こうへ消えて行った。


 キュン死寸前の一華。その場に座り込んだ。



『プロデュース第二弾 胃袋を掴んで目指せシックスパック! (一華side)』 了



【作者より】


 あけましておめでとうございます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 皆様にとってより良い一年になりますように。

 

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