第33話 マッスルメモリー

 受付で書類に記入した後、更衣室で着替える。

 今度はかなり体の線が強調される、ピタリとしたスポーツウェア。

 メリハリの効いた一華のスタイルは、すれ違う人から羨望の眼差しを向けられることも少なくない。

 対する龍輝の方もスタイルのバランスは良いものの、筋肉質なジムのトレーナーと並ぶと痩せすぎてヒョロヒョロだ。


 体験レッスンの龍輝には、最初にトレーナーがオリエンテーションと共にボディ計測を行ってくれる。そして、何をどうこなしていけば自分の理想の姿に近づけるかのアドバイスをしてくれるのだ。


 計測結果では、体脂肪率は低いので問題無。筋肉量も少ないながらもある程度はあってバランスは悪く無い。今ある筋肉を育てることで理想に近づけるだろうとの診断。

 その結果に、当の龍輝よりも一華の方がワクワクしていた。


 見立て通り。素材も素質もバッチリね!

 今のままでも、抱きしめられたらきっとドキドキしちゃうけれど……でも、細マッチョになったら……うふふ。


 そんな妄想はおくびにも出さずに、まずは並んでウォーミングアップ。それからマシーンへ座ってチェストプレスを始めることにした。

 先ほどのトレーナーから操作方法だけでなく、正しい姿勢、効果的な力の籠め方や息の吐き方等を教えてもらって、龍輝の目がまたキラキラと輝いてきた。


「人体って面白いですね」


 筋肉への好奇心がムクムクと沸き上がってきたようで、トレーナーさんとノリノリでトークしている。

 マッチングアプリに登録していた写真の龍輝に会える日は、そう遠く無いかもしれない。

 

 早く会いたいな……


 正直に言えば、一華はあの日焼けした筋肉質な立ち姿に一目惚れしていたから。


 トレーナーの言葉によれば、龍輝の体にはきちんと『マッスルメモリー』が記憶されているはずとのこと。

 それを効果的に呼び覚ましていけば良いとアドバイスされる。


「ジムは初めてって言っていたけど、以前はどうやって鍛えていたんですか?」


 思わず疑問に思って尋ねた。


「へ? 鍛えたことなんてないですよ」

「龍輝さんのマッスルメモリーって、学生の時ダイビングとかしていた時のものなのかなと思って」

「きっとそうでしょう。長い休みになると沖縄に行ってダイビングのインストラクターのバイトしていたんで。お金ももらえて毎日海に潜れて最高のアルバイトでしたね」


 なるほど。そう言うことか。夢中になると一直線の龍輝らしいなと思ってしまった。


「毎日海に潜っていたから鍛えられていたんですね」

「そうそう」


 にっこり笑った龍輝の顔が、精悍な海の男の顔に見えた。


 大胸筋を鍛えるためのチェストプレスをニ、三セットこなした後は、三角筋にアプローチするショルダープレス。

 上腕三頭筋に働きかけるケーブルプレスに、背筋を意識したケーブルラットプルダウン等、まずは上半身の筋肉を動かす。


「そんなにハードなメニューでも無いのに、これはきついですねー。不摂生のツケもあるけれど」

 顔をしかめながら必死に食らいついている。

 普段あまり汗をかかない龍輝だったが、今は額からタラタラと汗が流れ落ちていた。


「そうなんですよね。回数を聞くだけだとそんなにハードに思わないんですけれど、負荷をかけているから予想以上にきつくて」

 一華も息をあげながら答える。


 普段黙々とこなしている筋トレ。他人と一緒だとペースを乱されるかと思っていたが、龍輝とだと励まし合えて楽しい。


 次に下半身の筋肉を鍛えるためにレッグエクステンションをこなしたところで、トレーナーから「本日はここまで」の声。

 あまりやり過ぎても痛めてしまうので、最初は徐々に負荷をかけていかないと危険とのことだった。


 後は一緒にランニングマシーンで有酸素運動。徐々にペースを下げてクールダウンも忘れない。

 

 シャワーを浴びた後は、さっぱり爽やか。

 心地良い疲労感と共にジムを後にした。



「楽しかったですね。この後、どうしたいですか?」

 龍輝の言葉に、一華は今週ずっと心の中で繰り返していた言葉を口に出す。


「あの、良かったらうちにいらっしゃいませんか? 実はここから歩いて十分くらいなんです」

「え!」


 龍輝の目が真ん丸になった。ゴクリと喉が鳴る音が聞こえる。


「いいんですか?」

 真面目な顔で問い返されて、「はい」と一華も素直に首を縦に振った。


「あ、でも、お腹空いていますよね。何か買ってから」

「実は、用意してあるんです。良かったら召し上がっていただけたらと思いまして」

「一華さん……」

「お口に合うかわからないですけれど」

「合うに決まっています! いやー、嬉しいな」


 ストレートに喜ばれたら、誘った一華の心も軽くなる。


 やった! 遂にお家デビューよ!



「どうぞ」

「お邪魔しまーす」


 一華の部屋は一部屋ながら、縦にそれなりの広さがあり、ソファを置いた寛ぎエリアとベッド空間が程よく区分けされている。

 柔らかい色合いのファブリックが、女性らしさと癒しを演出した落ち着きあるセンスの良い部屋だった。


「おお、広いですね。俺の部屋より断然広い」

「そうなんですか」

「うん。それに明るいね」

「とりあえず、ソファに座って待っていてくださいね。今用意して来ます」


 キッチンで手早く準備を始める一華の背に、寄り添うように立つ龍輝。

 体温を感じて思わずドキッとした一華の戸惑いには気づかない様子で、にこやかに提案してきた。


「運ぶの手伝います。その方が早く食べられるし」

「あ、はい。じゃあ、お願いします」


 ああ、びっくりした。抱きしめられるかと思っちゃった。


 お客のはずの龍輝の方が自分よりも緊張していないようなので、なんだか可笑しくなってきた。


 龍輝らしい―――

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