第22話 蝶を誘う花

 おまかせでお願いしたのに、寝癖の手入れがいらない神スタイルが出来上がった!

 

 龍輝は鏡の中の自分をしげしげと眺めた。

 いつもの限界まで切り上げた髪の毛とは違う、フワフワと踊っている髪先。

 あちこち跳ね巻くって収拾がつかなかった毛先のはずが、跳ねていてもカッコよく見える。これは一体どういうことだろうと右へ左へと首を回して見てみるが、素人に秘密がわかるわけは無い。

 ただ自分がオシャレな男性ひとに見えると言うことだけは確信することができた。


 スタイリストの春野が色々説明してくれたが、その言葉は残念ながらほとんど耳に入って来なかった。なぜなら、こちらを見ている一華を見つけてしまったから。


 鏡の中の一華は、物凄く嬉しそうに、満足そうに微笑んでいる。


 って思ってくれたかな。


 龍輝はちょっと照れくさくなったが、それでも一華から目を逸らすことが出来なかった。

 彼女の瞳に浮かぶ楽しそうな色と自分の心が重なったのを感じる。


 髪の毛を切る―――今までは伸びてしまったから切りに行くだけの、しかたなくこなしていただけの事が、今日はとてもエキサイティングでワクワクする出来事に変った。鏡に映る自分が、別人に生まれ変わって行く様子を目の当たりにして、ヘアカットに秘められた奥深い意義を突き付けられたような気がしたのだ。


 髪を切るってこんなに楽しいことだったんだな。


 それを教えてくれた一華に、感謝の気持ちが沸き起こる。

 同時に、龍輝の好奇心センサーも動き出した。

 

 まだまだ知らないことばかりだ!

 もっともっと知りたいな。


 それには、オシャレ達人の一華に教えてもらうのが一番の近道だと考える。


 よし! 勝手に弟子入りだ!

 それに、これなら一緒に楽しめそうだしな。


 ふと、五十嵐から念を押されていた最重要事項を思い出す。

 一人で楽しまないこと。

 相手の女性と一緒に楽しむこと。


 良かった。これでクリアできるはず。


 一華の満面の笑顔を見ながらそんなことを考えていたら、視線がカチリと嵌り合った。

 恥ずかしそうに瞳を揺らした一華に、鏡越しでもトクンと鼓動が跳ねる。


 今日はやたらと心臓がうるさいな―――



 一華が見たいお店があると言った時、龍輝は心得たとばかりに頷いた。

 目ざとくベンチを見つけて声をかける。

『俺はあそこで待っていますから、心ゆくまで見て来てください』


 ところが、一華はアッと言う間に戻ってきて懇願してきた。

『あの……水島さん。実は二つから選べなくて。もしよかったら水島さんにもアドバイスをいただきたいんですけれど』


 ファッションの教えを乞うことはできても、教えることはできない龍輝は、最初は慎んで辞退する。それでもと重ねてお願いされたら、応えないわけにはいかないよなと思い直した。


 きっと草間さんのことだからな。なんか考えがあるんだろう。


 龍輝はなんとなくそう思って頷いた。


 いよいよオシャレ修行の始まりってことだな。


 試着室から現れた一華は、先ほどまでの黒いシックな雰囲気とは全然違う、爽やかで夏らしいワンピースに身を包んでいた。

 細いウエストがさらに強調されたデザイン。襟付きの首元は軽く開かれていて、シャープな三角形の白肌が視線を呼ぶ。その頂点が指し示す先へ自然と誘導されてしまい、突如体の芯がドクンと跳ねた。

 

 なんだ! 今のは?

 

 初めての感覚に戸惑う。

 胸のフォルムから慌てて目を逸らしながら、肝心な洋服をちゃんと見ていなかったと焦った。


 えっと、カツオノエボシと同じ、爽やかなブルー。今にも弾けそうに繊細で、ふるふると柔らかな体表……ドクン!


 ああ、まただ。


 落ち着いて見るにはどうすればよいかと頭をフル回転させる。


『クルって、回転してみてもらえますか?』

『え?』

『後ろも見たいなと』

『ああ、わかりました』


 優雅に回る一華が蝶のように見えた。


 綺麗だ―――


 やっぱり洋服よりも一華に視線がいってしまう。


 ちっともオシャレ修行にならないな。

 あ、でも別にいいのか。綺麗なモノを綺麗と思うことも大切なんだろうな。

 草間さんが美しいのだから仕方ないってことで。


 正直な気持ちのままに見つめていたら、一華がそそくさと試着室に消えてしまった。


 あれ? もう次?


 再び現れ出た時には、色鮮やかなターコイズの葉を纏っていた。隠せない色香があふれ咲く。


 ああ、そうか。彼女は蝶じゃ無くて、華だ。

 蝶を誘う花なんだ!


 一華―――なんてピッタリな名だろう。


 そう思ったら、無意識に口からこぼれ出た。

『今の俺だったら、こちらの一華さんと一緒に歩きたいですね』

 自然と体も動く。

 龍輝は、流れるような仕草で一華に手を差し伸べた。

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