第21話 心置きなく楽しもう

 デートの会計時に発生するどちらが払うか問題。


 五十嵐からは『いいな』と思った女性には三回目までは男性が奢った方がいいとアドバイスされた。そして、もし女性から『割り勘』と言われたら、それは『また会いたい』のサイン。本当に割り勘を望んでいるわけでは無くて、好意の表明に過ぎないのだから、本気にしてはダメだと。

『じゃあ割り勘にしよう』などと言ったら、たちまち『蛙化現象が起こるからな』と釘を刺された。


『蛙化現象って何ですか!?』

『突然第二の足が生えて、ぴょんと飛び逃げされるって意味さ』

『人間に予備の足は内蔵されていませんよ』

『冗談だよ。真面目に返すな』

『すみません』

『確か、グリム童話かなんかが由来だったと思う。カエルの魔法が解けたらイケメン王子になるヤツの反対。王子がカエルに見えて幻滅されてしまうってことさ』

『五十嵐さん、そんな事まで知っているんですか。流石です!』

『おうよ、任せろ。あ、後、女性は記念日とかめちゃくちゃ気にするから。うっかり忘れると痛い目に遭うぞ』

 

 どれもこれも貴重な情報で、デート慣れしていない俺には、五十嵐さんのアドバイスはとてもありがたい。


 だけど……

 なんとなく、草間さんの場合は違う気がするんだよな。


 龍輝は一華の表情に微妙な違和感を感じていた。


 俺が奢ると言うと、草間さんは凄く心苦しそうな表情になる。

 まあ、全額払ってもらって申し訳ない気持ちとか、あるいは感謝の気持ちの表れとか考えれば普通なのかもしれないんだけど……もっと不安定に揺らめいている何かを感じるんだよな。


 いつも紅子を観察するように、丁寧に一華の瞳を見つめた。本人ですら意識していないかもしれないくらいの、微小な表情の動きを読み取ろうと集中する。


 一華が戸惑ったように動きを止めた。

 

 うーん。はっきりとは言い切れないけれど、やっぱり草間さんは、本心から割り勘をように見えるんだよな。


 五十嵐さんには申し訳ないけれど、やっぱり自分の直感を信じてみよう。

 なあに、トライアンドエラーだ。

 失敗したら何度でもやり直せばいいさ。

 恋愛初心者に、失敗はつきものだしな。


 思い切って、『割り勘』の言葉を告げた。

 一瞬目を見開いた一華だったが、奥に広がっていく微かな安堵の色を、龍輝は見逃さなかった。


 大正解! 良かったぁ。

 

 続けて一華が見せた笑顔は、正に大輪が花開いたような輝き。


 ドキリと龍輝の鼓動が波打った。

 

 またこの笑顔が見たいな……

 

 そう思って気づく。


 そうか!

 これが―――『恋』



 ランチの後はヘアサロンへ。


 いつも安いカット専門店で済ませている龍輝は入った事さえなかった。だから今日が人生初のヘアサロン体験。

 実は密かに楽しみにしていたのだ。

 

 一人で入るのは気恥ずかしいから、今日はちょうどよい口実があって良かったな。


 そんなことを思いながら足取り軽く歩いていると、一華が申し訳なさそうな顔になる。

『すみません。私の用事に付き合っていただいて』

 

 の用事に付き合うのは当たり前。そんな一方的な考え方は持っていない女性ひとなのだと好ましく思う。


 こんなふうに気遣いを忘れない人っていいな。


 気遣いはいらないこと、寧ろ楽しみなことを素直に伝えながら、ふとムースで誤魔化した自分の髪を思い出した。

 

 あーあ。これじゃだめだよな。今度のデートまでにはなんとかしないと、草間さんにがっかりされちゃうかも。身だしなみも気遣いの一部だと五十嵐さんに言われていたのに。俺はダメダメだな。


 その時、一華から予想外の提案がされた。


 え! 自分のことは後回しで俺の髪を切ってもらうことにしようだって?

 いやいや、それでは申し訳なさ過ぎる。

 

 慌てて断ったが、一華はにこやかな笑顔で再度勧めてくれた。

 

 草間さん、なんて優しい女性ひとなんだろう!

 それに、お見通しなんだろうな。

 俺が仕事にかまけて、きっと次回もこのまんまでデートに来る羽目になることを。 

 思い切ってこの好意に甘えてしまおうか。それに、ここで髪を切ってもらえたら楽しそうだな。

 って、こらっ、龍輝。自分だけ楽しんでいる場合じゃないだろう。


 一瞬芽生えた考えを、必死で押し込める。

 ところが、あれよあれよという間に鏡の前に座らされていた。

 

 ちゃんと断りの言葉を言ったはずなのに……不思議だ。

 正に、マジックだ!

 俺の願望が叶う魔法でもかかっているのかな?


 最初は驚いたが、目の前の鏡の端に映り込んでいる一華の表情が、物凄くワクワクとして楽しそうなことに気づく。


 そうか。草間さんも俺の髪がどんな風に変わるのか、楽しみにしてくれているんだ。草間さんが普段切ってもらっているスタイリストさんだって言っていたもんな。

 きっと腕がいいに違いない。

 そんな人に俺の髪を切ってもらえるなんて、光栄だな。


 よし。俺はまな板の上の鯉だ。思いっきり料理してくれ。


 そう思って、ようやく気付いた。

 

 そうか。そう言うことか。

 本当は俺のために予約してくれていたんだ!


 むさ苦しいと責めたり、だらしないと避けたり。

 あなたのために予約しておいてあげたと親切の押し売りをしたり。


 そんなことは一切しないで、実にスマートに龍輝を鏡の前につかせてくれた一華の粋な演出に思わずニヤリとしてしまう。

 

 そう言うことなら―――

 心置きなく楽しませてもらおうっかな。

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