オシャレ達人に弟子入り(龍輝side)

第20話 もっと知りたい

 遡ること数時間前。


 寝癖だらけの髪を見て、龍輝は「はぁー」とため息をついた。

 

 流石に伸びすぎだな。

 髪を切ってから行くつもりだったのに、待ち合わせ時間ギリギリまで寝てしまった。昨日気になることがあって遅くまで調べものをしていたのが響いたな。


 途方にくれて鏡の中の自分をぼーっと見続ける。


 そう言えば五十嵐さんに言われたていたっけ。女性は自分のことを一番に考えてくれる男性が好きだから、仕事を言い訳にしてはいけないと。

 これからは気をつけないとな。

 でも、できるかな?

 俺、直ぐに夢中になっちゃうんだけど。


 後、デート中に仕事の話をするのもNGと言われたな。

 でも……それはもうやらかしてしまっている。

 この間の初顔合わせの時にいっぱい紅子のことしゃべってしまったし、Lineでもいっぱい動画を送ってしまったし。


 草間さん、ニコニコ聞いてくれたけれど、本当はどう思っていたんだろう?

 五十嵐さんからは『それはめちゃくちゃ我慢強い女性だから逃すな!』って言われたけれど、俺が逃したくなくても彼女のほうが逃げたくなるかもしれないんだよな……

 

 あー、やっぱり今日は仕事のことはしゃべらないように気をつけよう。


 大慌てでシャワーを浴びた後、残り少なくなっているムースを絞った。これで今日一日なんとか誤魔化そう、と前髪を掻き上げた。


 洋服を着ようとして、またハタと考える。


 うーん。草間さんはとてもオシャレなんだよな。

 しかも、ランチはフランス料理店となっていた。少しは身だしなみを整えていかないといけないんだけれど、どれもこれも古い洋服ばかり。一番新しいのは去年買ったのがあるけれど、一枚七百五十円のTシャツだ。オシャレとは程遠いな。


 そうだ! これは学生時代に買った紺ブレの出番だな。とりあえず、それを上に羽織っていけばなんとかなるだろう。


 だが、中の白いシャツにアイロンをあてたところで時間切れになってしまう。スラックスはあきらめて、アイロンのいらないジーンズに逃げることにした。

 素早く着替えると、財布とハンカチだけ持って部屋を飛び出した。



 待ち合わせは、フランス料理店『ル・シエル』の前。なんとか五分前に駆け付けると、一華がにこやかな笑顔で立っていた。

 

 今日は黒いドレス。とても似合っていて、本当に綺麗な女性ひとだな。

 それに……この優雅さは、ブラックマンタにも引けを取らない。

 

 自然とニヤケてくるのを感じた。

 を見てこんなに頬が緩んだのは初めてだった。


 これがきっと、『恋』に違いない!


 だが一方で、龍輝の頭は冷静に思う。


 やっぱり不思議だ。

 どうして彼女は俺を選んでくれたんだろう?



 気軽なランチメニューとは言っても、一つ一つ丹精込めて作られたことが伝わってくる料理の数々。彩の美しさと繊細な味覚に溢れていて、龍輝は噛みしめるように味わっていた。


 美味しいな。


 そんな龍輝を好まし気な眼差しで見つめてくれる一華に、心がほっこりとする。

 

 草間さん、きっとファッションも料理も俺なんかより色々知っているんだろうな。

 それなのに、知識を鼻にかけることも無いし、俺の拙い食レポも頷きながら聞いてくれて、一緒に食べていて楽しいな。

 やっぱり素敵な女性ひとだ。


 一口食べては幸せそうに笑う龍輝を見ながら、一華も同じリズムで口に運び微笑んでいる。この空気感が好きだと思った。


 ワインの香りが鼻に抜けて熱を持つ。ベニクラゲの紅子への興味とは違う、もっと体の奥から込み上げるような欲求に突き動かされて、龍輝は一華を見つめた。


 彼女のこと、もっと知りたいな。


 カチリ―――と龍輝の知りたいスイッチが音をたてた。

 

 よし、研究リサーチ開始だ!


 仕事のことや普段の様子、興味のある事や好きな事について少しずつ尋ねてみる。まだまだ当たり障りのない軽い情報交換でしかないけれど、一華がプライドを持って仕事に取り組んでいる様子は容易に想像できた。


 しっかりと自分の足で立っている人なんだな。でも、ちゃんと楽しむことも忘れないで生き生きしている人。

 きっと彼女も興味を持った事に全力で向き合ってきたんじゃないかな。だから達人級にまで極めているんだろうな。


 そんな草間さんなら、好奇心に忠実過ぎる俺のことも理解してくれるかもしれない。 

 

 だったらいいな―――


 己の願望がチラリと頭をもたげる。


 この出会いは大切にしたいと、心から思った。

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