第16話 癖を活かす

「春野さん、今日の予約、私じゃなくて彼をお願いしたいんですけれど」

 今初めてお願いするような顔で伝えれば、春野は営業スマイル全開で応えてくれる。


「いらっしゃいませ。私の方は構いませんよ」

「ね、こう言ってくれているし。水島さん、今日カットしちゃいませんか?」


 春野匡は、一華が初めて心酔したスタイリストだ。

 柔らかそうに見えて、実は癖の強い一華の髪は、カットの仕方によってはどうしようもなく跳ね巻くってしまって手入れが難しい。それが、春野のカットを体験して初めて、思い通りの髪型が簡単にできる手軽さを手に入れたのだった。


 それ以来、ずっと彼を指名し続けている。

 アラフィフに近づきつつある春野は、ますます渋みを増したイケオジスタイリスト。彼の服装や雰囲気などは、おしゃれの参考になるし刺激にも満ちていた。


 水島さんにも、それを感じ取ってもらえるかしら。


「私は大丈夫ですので」

「え、えっと」


 一華のにこやかな笑顔に押されるように前に進んだ龍輝。タイミングバッチリにいざなう春野。あれよあれよという間に鏡の前に座らされていた。


「ご希望はありますか?」

 春野の言葉に、「おまかせで」とおずおず答えた龍輝。最初は固まったように目の前の鏡に目を向けていたが、少し落ち着いてくると物珍しそうに店内を眺め始めた。


「一華さんは希望があるのかな?」

 共犯を楽しむかのように小声で尋ねてくる春野に、一華はこそっと耳打ちする。

「ソフトな感じで。後、彼手入れが苦手だと思うから、手間いらずで決まるスタイルに」

「承りました」

 そう言って見事なウィンクを投げてきた後、一気にプロの表情になった。


 まずはムースで固めた髪を素の状態に戻してから、春野は華麗な鋏さばきで龍輝を料理していく。


「水島さんの髪も、草間さんと同じで結構癖が強いですね」

「そ、そうなんですか? いつも切りに行く時はできる限り短く切ってもらって、伸びて鬱陶しくなったらまた行くという感じだったので、あんまり気にしていませんでした。でも、そう言われてみれば、伸びてくるとぴょこぴょこ跳ねて寝癖だらけになっていたな」

「その癖を活かしましょう。お風呂があがりに手ぐしで軽くドライヤーをかけるだけでもそれなりにスタイルが決まるようにしてあげますよ」

「おお、それは助かります!」


 素直に喜ぶ龍輝の顔を見て、一華は心が軽くなる。

 多少強引な手段ではあったが、龍輝が楽しんでくれたら許される気がするから。



 やっぱり春野さんにお願いして正解だったわ!


 目の前の龍輝の変身ぶりを見て、心の底からそう思った。


 水龍輝自身も鏡の中の自分を驚いたように見つめている。


「春野さんが言った、癖を活かすってこういうことを言うんですね」


 頭をゆっくりと左右に動かしながら、しげしげと自分の髪型を確認した後、感心したようにそう言った。

 バックに掲げたミラーを隙の無い身のこなしでパタリと閉じながら、春野はニコリと微笑んで解説を加える。


「はい。サイドはソフトツーブロックのショートレイヤードスタイル。襟足付近はスッキリとしていますので、手入れをするのはトップの部分のみ。それも、長短カットを施して毛先が柔らかく動くようにしてありますので、軽くドライヤーを当てるだけで大丈夫ですよ。もし時間があるようでしたら、ソフトタイプのムースを毛先にだけつけてみてください。艷やかな印象になりますからね。前髪もアシンメトリーにカットしてあるから、きっちと整える必要はありませんよ。忙しい朝でも手間いらずでキマるはずです」


「それ、スッゴク嬉しいです。ありがとうございました!」


 満面の笑みで頭を下げた龍輝。

 その清々しさに、春野も「おっ」と瞳に笑みを浮かべた。


「一華さん、彼いいね」

 またこそりと一華に囁く。


「でしょ。春野さんもそう思う?」

「また連れて来てくれたら嬉しいな。腕が鳴るよ」

「春野さんのお陰よ。ありがとう」

 

 うふふと笑いながら一華も春野と並んで龍輝を見つめた。


 心に広がる達成感。しばし余韻に浸る。

 まるで芸術作品を鑑賞するかのごとく、前から横から後ろから、じっくりと眺め回した。


 うん、完璧!


 綺麗に切りそろえられた眉毛のお陰で、水島の顔に精悍さが加わっている。

 そのすぐ下にある瞳が照れた様に瞬くのを見て、一華の心臓がどきりと音を立てた。


「あ……水島さん、凄く似合っています」

「あ、ありがとうございます」


 ほんの一秒ほどの邂逅。


 慌てて視線をはずしてその場を離れた。


 切った髪を綺麗に払い落としてもらってから立ち上がった龍輝。

 颯爽と一華の元へとやってくると、今度は瞳をクルクルと楽し気に踊らせている。

 見ているだけで一華も自然と笑顔になった。


「草間さん、ありがとうございました。なんだか別人になった気分ですよ」

「それは良かったです。ね、春野さんのカットって凄いでしょ」


「確かに。カットの技術って奥が深いですね。こんなに軽やかな髪の感触は初めてです」


 自分の髪の毛をポンポンと確かめている龍輝を見て、春野も誇らしげに答える。


「カットは鋏さばきだけで完成するものでは無いんですよ。お客様の髪質、毛流れ、骨格。様々な要因の中から最適解を見つけ出す。そこに、現代のスパイス流行を混ぜることも忘れちゃいけないですしね。だからいつも鍛錬と情報収集は怠らないようにしています」

「やっぱり、努力の賜物なんですね」

「まあ、若い頃は焦りも大きかったですけどね。この歳になったら、楽しみながらできるようになりましたよ」

「すげえ」


 尊敬の眼差しを春野に向けて、龍輝はもう一度ぴょこりとお辞儀をした。


「また是非いらしてください」


 心からの春野の笑顔に、少年のような顔で頷いた。

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