第10話 初顔合わせ
だが、初顔合わせの日の前日、龍輝は徹夜をした。
個人的に研究しているベニクラゲが、若返ってポリプになってから初めて、エフィラとなって分離したのだ。
正に感動の瞬間だった。
クラゲは一生の中で、様々に姿を変えていく。
プラヌラ、ポリプ、ストロビラ、エフィラ、稚クラゲ(子ども)、メデューサ(成体)となり、水族館などで見られるクラゲの姿となる。
その中でもベニクラゲは、生命の危機に陥ると、メデューサ(成体)からポリプへと戻ることができる、珍しい生き物なのだ。大人から赤ちゃんへ。そんな若返りの仕組みが、たかだか一センチ程度の小さな生き物の中に秘められている神秘。
龍輝はその謎に近づきたくて、自分の業務以外にも、個人的に実験をさせてもらっていた。そして、遂にエフィラとなって新しい体として泳ぎ始めた瞬間をカメラに収めることに成功したのだ。
それは簡単な道のりでは無かった。何度も失敗し、条件を変えながらようやく辿りついた奇跡の瞬間。
花のような形をしたエフィラが、ポリプから切り離されて、一つの意思を持って動き出した時は感無量だった。
いつもだったら、その感動にずっと浸っていたかった。
でも、今日はそれではダメだと言い聞かせる。
新しいもう一つの世界に飛び込もうと思ったのは自分だ。だったら、チャンスを捨ててはいけない。
眠い目をこすりながらシャワーを浴びて、会社に置いてあった予備の服を着て待ち合わせ場所のカフェへと駆けてきたのだった。
思ったよりも早く着いてしまったので、席を取っておくことにする。
と言うよりは、暑くて早く店に入りたかったのが本音たが。
一息ついて連絡を入れたら、直ぐに女性に声を掛けられて驚いた。
『お待たせいたしました』
『あ、い、いえ』
しまった!?
まだ来ていないとすっかり油断していたぞ。
跳ねるように立ち上がって、伸びすぎた前髪の隙間から女性の顔を見て、また驚いた。
完璧な
凄い。この女性の顔、あり得ないレベルで左右の均衡が取れている。
綺麗だなぁ……
人間の顔には普通、微細な左右の違いがあるものだ。それが、ほぼ感じられないレベルの顔と言うのは非常に珍しい。
いつもだったらじっくり眺めて観察し始めていただろう。
それが、なぜか落ち着かない気持ちになった。
ドク ドク ドク―――
俺の心臓、こんなに大きな音で鳴るんだ!
いつもは感じない鼓動が、急に耳元で煩く騒ぎ出した。バクバクと振動が全身を駆け巡っていく。
初めての経験に戸惑った。
これが……恋なんだろうか?
ひとまず視線を外すためにペコリと頭を下げた。
密かに深呼吸して改めて顔をあげると、今度は女性の方が驚いたように目を見開いている。慌てた様に頭を下げてきた。
『すみません、人違いでした』
え!
龍輝は大慌てで引き止める。
人違いでは無いはず。だって、見間違うことないほどそのままに、プロフィール写真と同じ顔の女性だったから。
そこで、自分の写真を思い出した。
そうだった。五十嵐さんに『一番飾らない自分らしさが出ている写真を載せるように」と言われて、大学時代のダイビング後の写真を登録していたんだった……
俺の写真は、今とは全然違う。
詐欺と思われたかな。まずいな。
謝ろうと口を開きかけたところで、とびっきりの笑顔を向けてくれた女性。
『ああ、ごめんなさい。人違いでは無かったんですね。改めまして。ichikaです。よろしくお願いします』
そう言って、龍輝の前に腰を下ろした。
ああ、良かった。怒っていないらしい。
五十嵐さんが言っていた通りの人だったな。
流石!
マッチングアプリで結婚まで漕ぎつけた大先輩は、やっぱり見るポイントが違うと素直に感謝した。
忍耐強くて利口な女性。
それが、ichikaの第一印象だった。
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