第6話 暗殺者いらふ
「では、僕は講義がありますので」
あれほど驚異を見せながら、ダルジェロはさらりとモンジェロを去ろうとしていた。
「あゝ、どうかお待ちください。あなたなき後、我らはどうしたらよいでしょうか」
ダルジェロはきょとんとして、
「僕の後任のことですか? たぶん、ラフポワが来ると思います。
では、皆さん、どうかお元気で」
伯爵家の人たちは一時項垂れたが、気を取り直し、次の裂士ラフポワに期待した。
「いったい、どんなお方が来るのであろう」
伯爵を訪ねて来たのは、深く頭巾を被って、ローブをまとった小柄な、こどもだった。
「あなたがラフポワ殿ですか」
こどもに見えたが、思ったほど幼くはなく、思春期の少女であった。小柄なだけだ。それでも、10代半ば、といったところか。
被っていたフードを捲り上げると、ペーパーミント・グリーンの双眸が固(きつ)く、強く刺すような光を放つ。睫毛はモスグリーン、髪の毛の色は水色。
「いいえ、自分は、いらふ(伊良鳬)だ。ラフポワは来ない」
「これは大変失礼しました。ダルジェロ殿からラフポワ殿がお見えになると聞いていたものですから」
「そうだったのかもしれないが、何か事情が生じたのだろう。
彼は巫女騎士イシュタルーナとともにいるので、彼女が何か思い立てば、そのようにしなければならない。
ところで、貴殿がモンジェロ伯爵か」
「そのとおりです」
「私が思うに、敵方は相当な損害を被っている。大規模な人数や兵器を投入しても散々に打ちのめされている。
もはや、貴殿の伯父上は同じ手を打つことはない」
「すると」
「次に考えられるのは、決して大掛かりではない、手の込んだ、眼に見えない、卑劣な手段だ。
刺客による暗殺、忍びを潜入させて毒殺、魔術師を雇って呪詛、そういった類の手段」
「何と、大貴族である伯父が」
「大貴族の中の大貴族であるウラジー・ベン・ネティフ公爵も」
「私を暗殺しに来ると言うか」
「そう。
だから、その前に殺そう」
モンジェロはゾッとした。十代前半のような少女がいとも簡単に恐ろしいセリフを言ったからだ。しかも、その凄まじい眼つき。晰かな殺戮の眼差し。
「しかしながら、我が伯父はともかく、公爵殿は厳重な警戒の下、秘密警察や特殊部隊を持ち、国家さながら。
各地に情報機関を置き、一切を掌握しています。またさらには闇の組織とも繋がり、各都市(我が都市も含めて)に跨って広域に活動するマフィアと深く聯繋をしています。
城砦は巨大で堅固で、守衛や守備兵とは別に、数千人もの警備警護で多重に囲繞(いにょう)され、蟻一匹忍び込むことはできません」
いらふは全く表情を変えない。
「可能な限りやってみる」
そう言って、来たばかりなのに、すぐに出て行った。
その夜は嵐だった。
公爵の城砦までは千キロ以上離れていたが、龍馬なら一瞬だ。
城砦の周辺には、衛星のように百以上の大中小の砦があり、街道や山間の杣道さえも警戒していたが、いらふは龍馬を巧みに操り、道のない森林や荒地や山岳を進んだ。
森の奥深くに龍馬を待たせ(龍馬は知能が高いので繋ぐ必要が場ない)、駆け足で城壁のそばまで迫る。城砦は広く深い濠で囲まれていた。
夜陰に紛れて、哨戒する数十の小隊の眼をかいくぐり、濠のそばまでくる。
タイミングを計って、いらふは水の上を走った。
数千匹も濠の中で放し飼いにされている凶暴な鰐鮫が数回噛みつこうとする。だが、空振りに終わった。体長に十メートルもあるこの恐ろしい魔獣に噛まれたら一瞬で体はバラバラになるだろう。水飛沫の音が立ったが、城壁が高過ぎて上にいる哨戒兵には聞こえていなかったし、夜闇のため、遠過ぎて見えていなかった。古来、この濠を渉った者も、渉ろうとした者もいなかったので、そもそも、気をつけていなかったのである。
ほぼ垂直の壁のかすかな凹凸に足先を引っ掛け、走るように二足でzigzagに駈け登った。
「ふん」
人間ほどの大きさの毒蜘蛛が数百匹も城壁を棲家としていたが、いらふのあまりの速さに追いつけない。
城壁についても、衛兵も哨戒兵も気がつかない。眼に留まらぬ速さで地上すれすれに、燕が飛ぶように駆け抜けるからだ。
兵士が扉を開けた途端、城に入った。
炬火や篝火の燃える城内でも誰の眼にも留まらない。
しかし、さすがに中枢部に近づくと、精鋭の騎士がいて、気配を察し、
「ふぬ、何奴」
と抜剣する。
既に消えていた。
「む。気のせいか」
通用口から次第に深く入り込むうちに、内装は絢爛になり、廊下は広くなる。明るく、行き交う兵も多いが、天井が高くなって行くので、いらふは天井を逆さに這った。
風のよう気配を消して進む。衛兵が八人立つ大きな扉の前。音も立てず、秒もかからずに八人を昏倒させ、扉をわずかに開けて滑り込み、すぐに閉めた。
わずかな物音だが、さすがに中にいた者たちは振り返る。
「いらふ参上」
「いらふだと!」
皆が蒼白になる。
しかし、声を出すいとまもなく、二人の将軍と四人の副官、二人の秘書官と三人の大臣とその次官たちが死す。
ネティフは声も上げられない。いらふはそうなることを読んでいた。
「悪者には死んでもらう。地獄に堕ちろ。お前に生きる資格も価値もない」
恐怖に歪んだ顔、苦痛に顰め、声にならぬ悲鳴。その表情は『ばかな、そんなばかな、この儂がこんなことで死ぬなんて』、そうありありと物語っていた。
いらふは嘲笑う。
「安心しろ。死ぬのは、お前だけではない」
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