第5話 神のごときダルジェロ

 午前二時。

「さあ、おっ始(ぱじ)めようぜ」

「おう、松明の火をよこせ」

 オークと大差ない殺伐とした野人のごとき傭兵たち、モラルも名誉もない、ただ、殺戮と金儲けに駆り立てられた者たち、野獣に等しく、畜生道に堕ちた、生きる資格のない者。

 彼らに慈愛を示そうとする愚か者はその責任を取るべきである。責任も取らず、綺麗事を言うは偽善である。

 無責任な慈善家ぶりは罪なき善人を虐殺する現実を知れ。


 十数本の松明でこの近辺のあちこちに仕込んだ黒油(石油)を塗った材木の破片に火を点じる。猛烈な勢いで燃え盛る。

 同じような伏兵が都市の数十箇所にいて、街を焼き、混乱に乗じてネティフ公爵が雇った傭兵一千人が暴れ、守備兵五百を斃して都市を制圧する。そういう企みだ。

 モンジェロ伯爵の基を破壊する戦術であった。戦地から戻る場所も食や武器の補給もできなくなる。

 しかし。

「うぎゃああーっ」

 漆黒の中の鮮烈な血飛沫。コンマ二秒で、たちまち二十数名が斃れた。この程度、神速にとっては、朝飯前のこども騙し。

「ふん、地獄に堕ちておのれの罪を悔いよ。悔いても、既に遅し。過去に戻って取り戻さぬ限りは、罪の苦痛は永遠に止まぬであろう」

 ジョルジュは過酷で冷厳な無表情、頬に返り血。

 次々と悪者を屠り、テロは平定された。


「伯爵、都市は裂士殿の尋常ならぬご活躍でほとんど被害もなく、民へ強い動揺を与えながらも、鎮静へ向かっております」

 都市から来た使者の報告に、モンジェロ伯爵は感動して震えた。

「おゝ、感謝申し上げる。ジャン・マータ殿、貴殿らの奇跡のような力とその叡智とに」

 そう言って、アンニュイの手を取って祈禱者のように跪いた。

「伯爵、どうかそのようなことをなさらずに。

 我らは勤めを果たしたまで。報酬をいただく身です。礼には及びません。

 それに、アンニュイで結構です。仲間が戸惑うでしょう、ジャン・マータなどと呼ばれては」

「心得た。

 それで、アンニュイ殿、状況は大きく変わった。

 どうか、継続して契約を結びたい」


 報告を聞いたネティフは怒りに顔色を変えた。

「何と言うことか、おのれ、裂士め、傭兵ふぜいが」


 アンニュイは眉を憂いに寄せて、

「残念ながら、次の契約がある」

 モンジェロは懇願した。

「さもありなん、しかしそこを何とか」

 アンニュイは歎息し、

「では、代わりの者を寄越しましょう」

「おゝ、感謝申し上げます。有難いことです」


 しかし、ダルジェロが来た時、モンジェロ伯爵は落胆した。

 ひょろっと痩せた少年だったからだ。聞けばまだ十四歳だと言う。

「何てことだ、信じ難いことだが、我々はアンニュイ殿に騙されたのか」

 そんな嘆きを前にしても、ダルジェロは物思いに耽るような暗い眼差しで、

「申し訳ありません、アカデミアでの講義があるので、あまり長く滞在できませんが、状況はいかがでしょうか」

 モンジェロ伯爵は苦労して礼儀正しく慇懃な態度を作り、

「今のところは、何もありません。敵も裂士殿がいると想定して、慎重に構えているのでしょう」

 そのとき、伯爵の後ろで話を聞いていた令嬢が、

「ダルジェロ様、あなたはアカデミアで教えていらっしゃるのですか」

「あ、あゝ、ええ、まあ」

 内気な性格で、赤くなりながら俯く。

「凄いわ、まだお若い、いいえ、失礼ながら、幼いようにも見えるくらいなのに。

 きっと賢者の質を持ってお生まれなのでしょう」

 そう言われると、ますます照れる。黙ってしまった。

 伯爵が訊く、

「ナディアや、お前は本当に物知りだね。そんなに凄いことなのか、アカデミアで教鞭を取ることが」

「父上、恥ずかしいからどうか止めてください。田舎者の貴族と蔑まれますよ。アカデミアを知らないなんて。何千年も前からあるわ」

「そうなのか、いや、こりゃまいった」

 そのとき、いきなりダルジェロが言う、

「来ます。途方もない数です」

「え、何が来るのかね」

 ダルジェロは厳しい眼差しで言う、

「ワーウルフに跨った鎧のオークや凶暴な兜を被ったトロールや羅刹などの大軍団です」

「そんなバカな、物見からは何の報告もない。何十キロも先から各所に物見があって、異変があれば、次々と狼煙を上げて、たちまち知らせる仕組みになっているのだ」

 ダルジェロは真剣な眼差しで、

「物見の方々は狼煙を上げる暇もなくやられてしまったのようです。残念ながら」

「君は千里眼なのかね」

「いいえ、物の道理を理解しているので、論理的に事象を掌握しているのです」

「何のことだかさっぱりわからん」

 唐突に、騒がしく衛兵が降りて来て言う、

「伯爵様、大変です。どうしたことでしょう、大地を埋め尽くすような大軍です。おお、破滅だ」

「ばかな、物見は何をしているのだ」

「わかりません、裏切りでしょうか」

 そのとき、ダルジェロは厳しい眼差しで、

「確認もせず、決めつけないでください。貴殿は主人への忠誠心のために命を失った者を誹謗中傷するのですか」

「しかし」

「さあ、上へ行って見てみましょう。どうぞ現実をその眼で、ご覧ください」

 伯爵や武将や騎士や衛兵や家令たちなど、皆、城にある大きな塔に上がる。

「あゝ、何と言うことだ」

 衛兵の報告どおり、もの凄い数であった。

 衛兵の言ったとおり、まさに地平線を埋め尽くしている。

「何百万といるのではないか。あゝ、何と言うことだ、裂士様のいないこの状況で。

 ついに破滅か」 

 ダルジェロが淡々と言う、

「正確には、三百六十二万四千二百一人です。

 内訳はオーク二百九十二万と十一。トロールが大小合わせて六十万ちょうど。巨人三人に、魔法使い十二、羅刹が二十二、残りはゴブリンです。まったく容赦の必要ない、悪の限りを尽くした者たちです」

「どうやら、我らには、残酷な死が待っていそうですね」

「すぐに終わります」

 ダルジェロは一歩前に進み出て、印契を結ぶ。真咒を唱えた。

「なうまくさまんだゔあざらだんかむ」

 風が起こった。

 やがて、それは大地を削ぎ取ってしまうような土埃を上げて、巨大な津波のように、彼方の敵に襲い掛かる。

「おゝっ、おゝっ、おおおお」

 伯爵家の誰もが神の起こした大天変地異を見るかのように恐れ慄き、震えた。

 凄絶な怒濤は容赦も慈悲もなく、何百万もの生命を呑み尽くし、消し去って、もはや後には大いなる静寂があるのみであった。

 皆あまりのことに茫然とし、時を忘れた。しばらくして、ようやく伯爵だけが恐る恐るダルジェロを見る。畏怖に貫かれ、まだ震えが止まらない。他は誰もダルジェロを見てよいのかどうかすら、いや、見た途端に神の罰が下りそうな、理不尽な恐怖があって、恐ろしくて見ることすらできない。

 伯爵が怯えに震える声で、

「信じられない、神だ。神の大いなる怒りだ」

 ダルジェロは微笑した。

「いいえ。

 悪人は自ら望んで滅びるのです。癡かで現実を見ていない彼らは現実を知らず、悪をなすことが自らを破壊し、破滅に陥れ、魂を破砕することを知らない。永遠に地獄に堕ちて、蘇ることも救われることもないことを知らない。

 真の現実を知らぬことは罪です。偽りの真実に夢中になることは罪です。誰も教えなくても、魂は真実を欣求する。

 彼らは自ら望んで滅ぶのです。僕は彼らに少し力を貸したに過ぎない。彼らの望んだとおりに。

 悪が深いほど、激烈になる。悪が大きいほど、大規模な破滅になる。

 あれほどの悪があれば、あのくらいは当然です。自然の摂理です。彼らは望みを叶えたに過ぎない」

 

 神のごときダルジェロ。

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