第3話 モンジェロ伯爵
モンジェロ伯爵の屋敷では、既に女傑アッシュールが待っていた。南大陸出身の彼女はエキゾチックだ。
「遅かったな、アンニュイ、ジョルジュ」
ジョルジュが腕を組んで長身の女騎士を睨むように見上げる。高身長の彼女が見上げるほどのその身の丈は二メートル近い。
滑らかな褐色の肌は凛たる筋肉に覆われ、金の刺青が入れられ、小鼻から耳朶にはノーズティカを吊るしている。
「たまに早く来たからって、偉そうに言うな、アッシュール・アーシュラ・アシュタルテ」
「何なんだ、フルネームで」
「嫌か?」
「どうでもいい」
刹那の火花を霧散させようと試みるかのよう、モンジェロ伯爵が割って入る。
「いやはや、裂士殿が三人も来ていただき、我らといたしましては、百万の援軍を得たにも等しい思いです」
そんなふうにお世辞を言った。むろん、お世辞と言っても、本当のことではあった。
しかし、伯爵のやや後ろに立って、クリムゾンのマントを羽織った、醜怪な皺だらけの痩せた背の高い白い老人は、
「妖しげな連中じゃ。殉真などと大仰な。
このような連中に頼るなど、儂は賛成しかねる」
アンニュイは微笑む。しかし、憂いを含む女性(にょしょう)のような笑みは輝かしくも哀しみを湛える眉が添えられ、その双眸は湖のように切なく燦めくも、実際には冷笑にも近く、表情は大理石のカノン(規範)のごとく、何の感情も抱いてはいなかった。
彼は言う、
「どうぞ陛下の意のままに。
我らは傭兵です。莫大な報酬を要求いたしますが、たとえ、相手が数万の軍隊であっても、全て一日で終わらせます。
恐らく四、五千の軍を数日動かすよりは遙かに廉価でしょう。
我らは我らが、ただ、そういった経済的な理由で重宝されていることをよく知っています。
実際、我ら裂士は一人で完全武装した正規兵の四、五千を確実に屠ります。
しかしながら、我らは仕事を選びます。真実のために殉ずることを神に誓っていますので、義のない戦さには加わりません」
「ふ。義のある戦さなど古来ありはせん。皆、大義名分をつけているだけで、本当はさまざまな種類、さまざまなレベルの欲望を満たすために暴力で無理やり敵を捩じ伏せているだけだ」
「ご明察ですね。
純粋な人間はおりますまい。所詮、人間ですから。
しかし、我らはわずかな光をも人類史の救いと見ます。
我らがここに来たのは、モンジェロ伯爵の大義を信じたがためです。
疑義があれば、我らは去るのみです」
モンジェロ伯爵は顔色を変えた。
「とんでもないことです。伯父上、妄言めされるな。我が一族を滅ぼされようとしておられるのか。
アーリン伯爵の軍は実際、超大国イ・シルヴィヱの後ろ楯を得ております。兵の数も兵器も我らよりも圧倒的に優れております。殉真裂士殿の力がなくば、いとも簡単に打つ滅ぼされるでしょう」
白い顔の男は苦々しげに顔を歪め、
「情けない、我が甥とも思えぬ」
そう悪態吐いて背を向け、去った。
用意された宿舎は伯爵家の迎賓館の特別室だった。部屋に入るなり、アンニュイが、
「彼がウラジー・ベン・ネティフ公爵さ。それで何となく絡繰が見えるだろう」
合点がいかない顔のアッシュールにジョルジュが説明する、
「つまらないことさ、小さな町の悪党を叩いたら、そのうちの一人が逃げ出して、はるばるこちらの都市にある一軒の土建屋の親方のところは逃げ込んでね、その十五分後に逃げ込んだ男は骸になって貧民窟の奥のまともな人間が足を踏み入れない場所に捨てられ、それと同時に親方がこの都市一番のマフィアのボスのところへ行き、ボスの使いがこっそりネティフの許へ行ったのさ」
アッシュールは首を傾げ、
「つまり、どういうことだ?」
「つまり、殉真裂士に関わったような奴に追って来られちゃ、折角の悪だくみが潰されてしまうかもしれないので、小悪党は存在を隠滅されたのさ。
お陰様で、ネティフが噂どおり悪い奴であることが、何となく見えて来たな、ってことさ」
「なるほど。
ついでに、自分の甥を破滅させようとしているようにも見えるな」
「そうそう、いろいろ絡んだ悪だくみが少しずつ見えて来ているってわけだ」
「ふむ。面白いね。
で、どうする?」
「まだまだ様子が見えないからな。しばらく泳がすさ」
「わかった。じゃ、今は淡々と仕事をこなすだけだな」
「まあ、そういうことだね」
モンジェロ伯爵は自室に戻ると、秘書のシメッツに背を向けたまま、
「伯父上の言葉、お前はどう思う」
「無礼を承知で率直に申し上げれば、いささか疑わしくも思います」
「もしもだ、仮にアーリン伯爵のごとくイ・シルヴィヱと繋がり、我らが主君、ロード国王ジード・トルュヴァリン陛下に離反の意ある者ならば、たとえ、伯父であろうが、赦すべきであろうか」
「伯爵様、それを赦すことは人の道に外れることと承知しております」
「ならば、已むを得まい」
市門を出て、街道を行く。
ネティフ公爵は帰りの馬車の中で、書簡をしたためる。
『国王陛下へ衷心より申し上げる。
我が甥モンジェロ伯爵に謀叛の意あり。速やかなお調べを求む由。また、アーリン伯爵の件、我再調査せんと考えまするがゆえ、しばしのお待ちをいただきたく御願う次第。 臣ウラジー・ベン・ネティフ』
丁寧に折りたたんで家紋入りの封筒に入れて指輪の紋様で印をした蝋で封緘し、従騎士に渡す。
「これを急いで、王都のルー侯爵の屋敷に。王へ取り次いでいただけるよう、ここに侯爵宛ての依頼の手紙も添えた。さあ、疾く行け」
そのとき馬車を牽いていた馬がいななき前脚立ちしたり暴れたりして進まなくなった。
「ふ、来たか、小賢しい。愚かな若造よ、この儂に刺客を寄越すとは」
武装した騎馬兵数十人に囲まれている。
「天誅を下す」
公爵を守護する騎士の一人が喚ばわった。
「親族殺しとは恐れ入る。
お前らの主人の大義とはその程度のものか。伯爵の名が泣くわ」
「黙れ、王を裏切り、栄光ある国家を売った者どもよ、思い知れ」
だが、弓矢の嵐が降り、天誅を宣言した者たちは屍となった。
「ふ。口ほどにもない。
この儂が伏兵も置かずに、のこのこと来ると思うか。愚かしい」
夜、モンジェロ伯爵の屋敷では宴が開かれた。伯爵は天誅の兵が帰らぬのを不審に思いながらも、
「思いのほか、伯父上が遠くまで進んでいたのであろう」
と独りごち、豪華な宴席を眺めて気を取り直し、声を挙げる。
「さあ、勝利の前祝いだ。悪を斃す戦いに栄光あれ」
アッシュールは大ジョッキをいく杯も乾し、ジョルジュはワインを数本あけて、アンニュイはシェリー酒を啜り、何か考えては微笑した。
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