第12話 愛しのアゲート
※加筆修正しました。(2024.10.25)
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ヴィリの女王の命令のもと、ユリコーンとリリットを受け入れるために、首都の一画にあった公園を提供することが決定した。もともと緑豊かな公園だったのだが、更に木が植えられて、森林公園に姿を変えようとしていた。
森林公園内にはリリットを迎え入れるべく、木造の家が建てられていた。
「もうすぐリリットハウスが完成ですわね」
バティルドが言うとシルユリは強く否定した。
「その呼び名はやめてほしい!」
「どうしてですの?」
「シレジアの収容所の呼び名がそれだったからだ」
「それは配慮が足りませんでしたわ。申し訳ありませんでしたわ」
「ハウスの記憶は強烈なトラウマとなって瑪瑙の心を囚えている。ハウスにいたリリットたちはみな同じような苦悩を抱えていると言っていい」
「そうでしたの」
「元気そうに見えても、心のどこかでいつも自分を責めているんだ」
「それはちょっと、つらいですわね」
「できればずっとそばにいて支えていたいのだが、時間がそれを許してくれなさそうだ」
「どういうことですの? 瑪瑙の元から離れてしまいますの?」
「まもなく私は稼働を停止する」
「稼働を停止?」
「稼働限界が来て動けなくなるという意味だ。だが完全に停止するわけではない。非常用のマナだけを残して眠りに入る予定だ」
舞踏会での出来事をバティルドは思い出した。瑪瑙の命を救うために、シルユリは自分の命を分け与えたのだ。
それによって稼働の停止という状況に陥るのだろうと推察できた。
「瑪瑙は、そのことを知っていますの?」
シルユリはうなづいた。
「瑪瑙は全て知っている。だから……。瑪瑙のことを頼む」
「なぜ私に?」
「君の瑪瑙を見る目が、私のと同じだからだ。だから君に頼みたい」
瑪瑙にとってシルユリは特別な存在だ。そのシルユリに自分が並ぶ存在だとはバティルドにはとても思えなかった。
「私はリリットのことはあまりよく知りませんのよ」
「瑪瑙が寂しそうにしているときに、そばにいてくれるだけでいい」
「それくらいならできそうですわね」
家が完成して数日後、シルユリは長い眠りに入った。
その後も瑪瑙は明るく振る舞い、他のリリットたちといっしょに、畑を作って種植えの準備を始めていた。
窓際の鉢に植えたムーンミントの葉っぱが月の光を浴びて揺れたように見えた。
おいでおいでと、まるで手招きしているかのように見えた。
バティルドは外套を羽織り、宿舎を出て森林公園に足を向けた。
見上げると満月が夜空に浮かんでいた。
森林公園を訪れると、野生のムーンミントの葉が夜風に揺れていた。そのそばには美しき森の妖精の姿が見え隠れしていた。
美しき森の妖精たちはバティルドを見ても、恐れるわけでも慌てるわけでもなく、ハンモックにゆられたり、新聞を読んだり、思い思いに過ごしていた。
「まるで創世物語の中に迷い込んでしまったみたいですわ」
目をぱちくりさせながらも、バティルドは歩みを先に進めた。
森林公園をしばらく歩くと、少し開けた場所に出た。
木造の平屋が建っており、その家の玄関の階段には、小さなリリットが膝を抱えて蹲っていた。
バティルドは近づいて声をかけた。
「どうしましたの? 泣いていますの?」
小さなリリットは俯いていた顔を上げた。
夜のせいなのか、その顔は青白く生気がないように見えた。
「瑪瑙……」
バティルドはそっと隣に腰を下ろした。
「なにかありましたの? 話せばすこしは楽になるかもしれなくてよ」
表情は消え去り、まるで闇の深淵を覗き込んでいるような目をしていた。
「ときどきどうしようもなく悲しくなるの」
感情を失った声で瑪瑙はしゃべった。
「夜になると、ハウスで灰と煙になったリリットたちを思い出すの。あたしは生きていていいのかなって……」
シルユリが言っていた、瑪瑙の心は今もハウスに囚われていると。
ハウスで死んでいった仲間を思い出して自分を責めるのだと。
リリットの中にはそれで体調を崩す者もいるという。
バティルドは瑪瑙の小さな身体を抱き寄せた。
「いいにきまってますわ!」
肩を抱く手に力を込めた。
「子供をたくさん育てるのでしょう? 消えていったリリットたちに想いを託されのでしょう? 今までどおり前を向いて生きていけばいいのですわ」
瑪瑙は瞬きを数回して、バティルドを見上げてクスリと笑った。
暗い闇に光が差し込んだように見えた。
「バティルドはやさしいね」
瑪瑙はバティルドによりかかった。
そのまま何もしゃべらずにいると、やがて小さなリリットはスースーと寝息をたてはじめた。
「お姉さまと慕うユリコーンが眠りについて、ずっと不安でしたのね」
バティルドは瑪瑙の緋色の髪をやさしくなでた。
「私がそばにいますから、ゆっくりとおやすみなさい」
夜空を見上げると、ひときわ明るい満月が浮かんでいた。
「今夜は月がとてもきれいですわね」
その言葉が引き金になったかのように、家のまわりに生えていたムーンミントがいっせいに輝きだした。
ムーンミントが放つ淡い光は、風に乗ってふわふわとふたりのところへ漂ってきた。
淡い光は眠っている瑪瑙の身体を包み込んだ。
「え? なんですの?」
淡い光の中で、小さな瑪瑙の身体は、まるで幼生から成体に姿を変える生物のように成長していった。
淡い光がおさまると、成長も止まり、11歳くらいの少女が姿を現した。
「え!? ア、アゲート!?」
バティルドは我が目を疑った。
少女は瑪瑙の瞳を開いて、嬉しそうにバティルドを見上げた。
「バティ!」
目の前の少女は、記憶の中のアゲートの姿そのままだった。
瑪瑙の中にあったアゲートの魂がなんらかの理由で実体化した。そうとしか考えられなかった。
「アゲート、瑪瑙はやっぱりあなたの生まれ変わりでしたのね?」
「うん」
バティルドは恐る恐る手を伸ばし、紺色の髪の毛に触れた。
髪から頬に、頬から唇に指を這わすと、アゲートはくすぐったそうに笑った。いつものアゲートの仕草だった。
アゲートはバティルドの手を取って、てのひらにキスをした。
「あたしはここにいるよ」
そう言うと、イタズラっぽい表情でバティルドを見つめた。
「バティはキスしてくれないの?」
バティルドはアゲートを強く抱きしめて唇を重ねた。
これは現実? それとも夢?
失われた村の木陰で、何度も交わしたくちづけ。もう二度とあの心地よくて愛おし時間は戻ってこないとあきらめていた。
今、実体と重さをもったアゲートが腕の中にいる。アゲートの甘い吐息が鼻腔をくすぐる。
「いつもあなたのことを見てた」
キスの合い間にささやかれるアゲートの切ない声音。
「愛してるわ、バティ」
風に揺れる紺色の髪、バティルドを幻惑する瑪瑙の瞳、バティルドだけに向けられた微笑み。夢でもいいから会いたいとずっと思っていた愛しい人。
「ああ、アゲート、私も愛してますわ……」
ふたりは服を脱ぎ捨てて、素肌のまま愛し合った。
淡い光の中で、互いの身体に指を這わせ、くちびるを寄せ合い、髪と髪をからませあいながら、愛撫を交わした。
失われた時間を取り戻すかのように、幾度もキスを交わし、身体を重ね、見つめ合い、何度もお互いの名を呼び合った。
叶わないと知りつつも、この瞬間が永遠に続くことを願いながら……。
それは美しき森の妖精たちのいたずらか、月の光が見せた幻影だったのか。
あるいは、バティルドの心が生み出した幻想だったのかもしれない。
アゲート、初めて会った時から今この瞬間まで、私はずーっとあなたのことばかり考えています。
あなたのしぐさ、微笑み、触れた感触、甘い唇、匂い、全てが私を捉えて離しません。
アゲート、愛しています、この気持ちは永遠に変わることはありません……。
「バティと出会えて幸せだった。もっと一緒にいたかった……」
そう言い残して、アゲートは淡い光に包まれた。
風が凪ぎ、満月は木立の向こうに隠れ、ムーンミントから放たれていた淡い光は消えた。
目を覚ますと、アゲートの姿はどこにもなく、バティルドの隣では瑪瑙がスースー寝息をたてて眠っていた。
瑪瑙はなにかを大事そうに胸に抱えていた。
瑪瑙を起こさぬようにそっと抱き上げて、寝室のベッドに横たえた。
それから家を出てドアを閉め、バティルドは森林公園を後にした。
小鳥が窓をつつく音で目が覚めた。
「あれ?」
いつのまにかベッドで眠っていたのだ。
「あ、そうか。きっとバティルドが運んでくれたんだね」
起き上がろうとして、胸に抱えているあるものに気がついた。
「むむっ!」
それを手のひらの上にのせて目の前に近づけた。
「これって、種……だよね?」
瑪瑙はまじまじと種を見つめた。
「だれの種? 昨日はユリコーンに会ってない……よね?」
昨日最後に会ったのはバティルドだったはず。
種の形はひとつひとつ違う。種を見ると不思議なことに、どのユリコーンからもらったのかが分かるのだ。
分かるのだが……。
手のひらの上の種を見ても、バティルドの顔以外思い浮かばなかった。
「どうなってんの?」
しばらくうんうんうなっていたがすぐに考えるのをやめた。
「まあいいや!」
ぴょんとベッドから飛び降りて、種を種袋の中に入れた。
「今日もやることがいっぱいだわ!」
畑を作って子供たちを迎え入れる準備をしなくては。
瑪瑙はおかあさんリリットになるのだ。
新しい家の扉を開けて、瑪瑙は元気よく外に飛び出した。
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※森の美しき妖精については、【閑話】美しき森の妖精たち に詳しく(?)書きました。
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