第16話 死闘

 穴を奥へと進み、すぐに小部屋に出た。少し暗い。白い排気口がある。ちょうど猫一匹の体がすっぽり入るくらいの円筒形だ。


「地下室にこんなところがあったとは。まるっきり、知らなかった」


 ニトランは小部屋を見回した。


「よく、ここを見つけたな。バカ猫どもめ」


 憎らしい声が響いた。ニトランが声のする方を見る。

 そこにはジマの姿があった。黒い猫だ。化け猫といわれているが、目の前の見知らぬ猫はちゃんと体と足を持ち、生きた猫と変わらない。どうやら、ふだんは実体を持たない、霊的な存在の化け猫だが、これからの戦いに備えてハル・ジマ派の兵に乗り移ったらしい。その黒猫の体を使い、ニトランらを攻撃するつもりなのだろう。


「ジマ。決着をつけよう。このアジトで死ぬのはおまえだ」


「何を言う。ニトランよ」


 ジマは口を歪め、立ち上がって前足を大きく掲げた。


「ジマ。いざ、勝負だ」


 ニトランはジマと対峙し、身がまえる。ニトランの顔は険しくなった。ステラと猫軍曹は二匹の真剣勝負を傍らでじっと見守った。

 どちらからともなく、相手を威嚇する低い鳴き声が部屋全体に響く。両者はジリジリと間を詰める。ステラの肉球は汗でじっとりと濡れた。

 ジマがニトランめがけて飛びかかる。ニトランはそれを受け止め、二匹は絡み合った。両者は床の上で激しく回転した。ジマが爪をたてて引っかく。ニトランは背中をやられ、のたうつ。ニトランも負けてない。ジマの後ろに回り、飛びかかった。ジマの首をガブリとかんだ。ジマはギャアと叫び、ニトランを強引に振り切った。猫の本能をむき出しにして、動物の激しい鳴き声が小部屋の空気を切り裂いた。


「ニトラン!」


 ステラは体に傷を負ったニトランを心配し、鳴いた。ニトランの背中にできた傷は痛々しい。肩で息をし、その表情は険しくなる一方である。

 前ぶれもなく、ジマがバッと宙を飛んだ。


「危ない」


 ステラは警告を発した。そして、ニトランをかばうために、身を投げ出した。宙から落下して襲おうとするジマの懐に入り、とっさに頭突きをかました。頭突きはジマの体に命中した。

 不意をつかれ、ジマが腹を押さえて背中から落ちた。


「メス猫だと思って甘く見ないでよ。今度は、私と勝負しなさい」


 ステラはニトランの前に立ち、大見得を切った。


「おまえなんかに何ができる? このあばずれ猫め」


「何とでも言えばいい。口だけは達者のようね。おまえを倒して二度と化けられないように魂を封印してやる。この死にぞこないの猫」


「いい根性だな。強気に出られるのも今のうちだけだ。ワシの力を見せつけてやる。これでも食らえ」


 ジマは目に見えないほどのスピードで背後に回り、背中を狙って飛びかかった。ステラは殺気を感じた。電光石火の早業で床に背をつけ、横転した。ジマの攻撃を上手によけた。

 飛びかかる対象物がなくなって焦ったのか、ジマはすぐに床を蹴って突進してくる。


「このアマぁ!」


 敵は勢いをつけて右前足を大きく振りかぶる。その動きは読めた。右足めがけ、ステラは飛びかかって全体重を預けた。

 ジマは背中から倒れ、痛がった。


「いててて。何をしやがる」


「ざまあ見なさい。ジマといえども、足をやられちゃ、力も出せないでしょう」


 ステラとジマが激しく火花を散らしている頃、ニトランと猫軍曹は、隠れていたハルを見つけ出した。二匹でもってハルの息の根を止めたらしい。ハルは体力の著しく劣る長老猫である。抵抗もできずに簡単にねじ伏せられ、攻撃を受けてあっけなく死んだ。後で、ニトランからその様子を聞いた。

 一方のステラはというと、ジマの反撃に遭っていた。

 倒れ込んだジマは床にはいつくばり、みるみるうちにドロドロに溶けてしまった。黒い体は黒いシミとなり、シミは床から蒸発した。


 これも化け猫の術なのか――ステラの背中に戦慄が走った。


 黒いシミは瞬時に天井に移動した。あっ、と叫んで見上げた瞬間、天井からジマの足が襲ってきた。足は三倍に伸び、めちゃくちゃに強い力でステラを投げ飛ばした。ステラは壁に叩きつけられ、背中を強く打った。思わず、顔をしかめるほどの痛さだ。

 天井から黒いシミが床にしたたり、やがてジマの体が出現した。

 ステラは壁を背にして、ジリジリと部屋の隅に追い詰められた。ジマが大きな口から舌をのぞかせ、ステラを見下ろす。 


「フッフッフ。哀れな猫よ。逃げ場はないぞ」


 すると、猫軍曹がジマの足にタックルをかました。


「ステラ、逃げろ」


「こやつめ。何をする」


 ジマは猫軍曹を振りほどこうとして隙ができた。

 その隙を見て、ステラは逃げ出した。背を向けて壁をよじ登り、抜け穴から逃走した。


「待てー。ステラ」


 ジマが猫軍曹を払いのけ、追っかけて来る。

 狭い穴の中をステラは身を低くして走る。その後をジマが追う。

 逃げられるだけ逃げ、次の手を考えていた時だ。穴の出口に猫の影があった。猫が立ちはだかり、通せんぼうをしている。どうやら、敵の猫らしい。


「しまった。挟み撃ちだわ」


 ステラは舌打ちした。かなり不利な状況に追い込まれた。

 ジマはいつの間にか、アロエの赤いトゲを手にしていた。


「赤いトゲ」


 ステラは息をのんだ。


「おまえもロン同様、トゲであの世に送ってやる」



 ジマが前足をこちらに向けると、赤いトゲが飛んできてステラの体中にグサグサと刺さった。


「痛い。し、痺れる」


 トゲの痛さと毒に、体がいうことをきかない。絶体絶命だと目をつぶった。

 ジマはとどめを刺そうとしたのか、この局面で魔法を使った。幻の足のような半透明のものが伸びてきて、ステラの首を絞めた。ぐいぐいと足が喉に食い込み、息ができない。


「く、苦しい」


「フハハハハ。死ぬがいい、ステラよ」


「もう、だめだわ。ニトラン……」


 ステラは神に祈った。剣が峰に立たされ、祈るしかなかった。ジマを殺すどころか、自分が死ぬ覚悟で苦しみをこらえた。

 次の瞬間、生死が反転した。


「ぎゃー!」


 突如、ジマの断末魔が耳をつんざいた。痛みと痺れがピタリと消えた。幻の足は消滅した。ゆっくりと目を開ける。体に刺さった赤いトゲはすべて床に落ちている。苦痛はウソのように消えている。ジマの背後に立っていたのは、ニトランと猫軍曹だった。二匹の猫は太い金属のような棒を抱えていた。赤茶けてさびてはいるが、しっかりとした形で先は尖っている。その尖った部分がジマの宿った肉体を貫通している。


「どうしたの? その赤茶色の棒みたいなのは」


「よく分からない」


「え?」


「小部屋の天井から何かが垂れているのを、体重をかけて夢中でしがみついた。そしたらへし折れたのさ」


 ニトランは優しい口調で説明してくれた。


「そう。恐かったのよ。とっても」


「もう安心するがいい。とにかく、間に合ってよかったよ。悪魔は死んだ」


 ニトランはステラの背中を優しく撫でた。


「さすがのジマも、黒猫の肉体に宿って後ろに目がなかったようだ。尖った棒を思い切り突き刺したら、そのありさまだ。意外とあっけない最期だった」


 猫軍曹は、拍子抜けしたような顔つきで言った。黒猫の体には棒が突き刺さり、鮮血がポタポタとこぼれて赤黒く抜け穴を汚した。

 天井にぶら下がっていたのは古くなった鉄筋で、それがさびていた。ニトランの体重でへし折られて先が尖った。後でそんな風に考えた。物体を壊れないように保つ部材が凶器となり、ジマの宿った肉体と魂を一撃で壊すことになったのは、皮肉といえるかもしれない。いずれにせよ、実在の体にジマが宿ったことは、彼の命取りになった。ニトランと猫軍曹はピンチに間に合った。恐るべき化け猫の魂と肉体は同時に滅び、死闘は終わった。

 死んだ猫から白い煙のようなものがポコンと飛び出た。煙は抜け穴を出て、小部屋の床に落ちた。


「ちょっと、待ってろ」


 猫軍曹は抜け穴を通り、姿が見えなくなった。


「どこかに壺はないかしら」


「例の〝お告げ〟か。壺なら小部屋にあったぞ」


 ニトランとステラは小部屋に引き返した。黒い壺は、たしかに小部屋の隅にあった。


「その壺がいいわ。ジマの魂を封印しましょう」


「それをしたとして、本当にタケルの意識が戻るのかな」


「今はそれしか情報がないわ。たとえ、誰かのたわ言でも、とりあえず信じましょう」


 やがて、猫軍曹が息を弾ませて帰って来た。口に透明なビニール袋をくわえている。


「この袋の中にジマの魂を入れてしまおう」


「それは名案ね」


 ステラは猫軍曹のアイデアに同意した。

 ステラがビニール袋の口を開いて渡した。ニトランと猫軍曹が白い煙の上から袋をかぶせるようにして、煙をすっぽりと中に入れるのに成功した。

 こうして、ジマの魂を簡単に袋に収め、ビニール袋の口を結んで壺に押し込めた。最後に、落ちていたワインのコルク栓で蓋をし、出てこられないように細工した。

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