第15話 敵のアジト

 問題の主基公園に着いた。空はよく晴れている。どう見ても、雨の気配はない。


「早く雨が降らないかな」


 ニトランは晴れた秋空を恨めしそうに見た。秋風にトンボが舞っている。


「いいことがある」


 ステラは目を輝かせた。だいたいにおいて、こういう時のステラは茶目っ気たっぷりのことを言い出すものだ。自覚している。


「何だ、ステラ?」


「レイン・ダンスを踊ってもいいかな」


 ステラが変わったことを言い出した。


「レイン・ダンス? 何だい、それは」


 ニトランが訊ねる。


「高校の学園祭のために練習していた踊りよ。この秋に、学園祭の野外ステージで披露する予定なの。人間に戻れたら、の話なんだけど」


「レイン・ダンスをステラが踊れば、雨が降るのか」


「降るかもしれないわ。何もしないで雨を待つよりはましでしょ?」


「そりゃそうだが。ま、とにかくやってみろよ」


 ニトランはステラを促した。ステラは晴れた空に向かって前足を上げた。尻尾と後ろ足で体を支えてバランスをとり、器用に立ち上がる。突き上げた前足を左右に開き、首をゆっくりと左右に移動する。


「変わった首振りダンスだな。インドの猫みたいだ」


 猫軍曹はそのように感想を漏らした。

 ステラはニトランと猫軍曹の前で、レイン・ダンスを披露した。ダンスと雨がどのように関係しているのか、ステラは知らない。セイナであった時も、雨乞いのダンスとは聞いてなかった。ただ、レインと名がつくから試してみる価値はあるとの判断で、ステラは秋の雨を呼ぼうとしていた。

 踊りつづけること三十分、ようやくねずみ色の雲が出てきた。


「おっ。もしかして」


「雲だけじゃだめよ。雨がほしいんでしょ?」


「そうだが」


「じゃあ、ニトランも猫軍曹も、みんなでレイン・ダンスを踊りましょ。そばで見てたから、分かるでしょ?」


「まぁ、難しそうなダンスじゃないが」


「踊ろうよ、ニトラン。猫軍曹も」


 ステラに呼びかけられ、三匹はレイン・ダンスを踊った。

 それで効果があったのかはなんともいえない。雲からポツポツと雨粒が落ちてきた。


「やったぞ。雨だ。雨が降ってきた」


「ほらね。うまく行った」


 ステラは微笑んだ。


「ニトラン。あそこにシイの木がある。早く行って、シイの実を食べるんだ」


 猫軍曹がせかした。


「ああ。そうするよ」


 ニトランは、公園にあるシイの木の下まで駆けて行った。地面に落ちたシイの実を夢中になって食べ始めた。

 ふだん、ニトランや他の猫がシイの実を食べるのを、ステラも人間時代のセイナも、目にした記憶はない。


「どう? たくさん食べて満足?」


 ステラはニトランの顔を見た。


「ああ。満足した」


「じゃあ、いよいよ、待ちに待った実験ね。さあ、赤い土の上におしっこをかけて」


「そうすぐには、おしっこなんて出ないよ」


 ニトランはしばらく赤い土の上をぐるぐると回って時間を費やした。

 やがて、赤い土の上に尿をかけた。尿で湿った土を足でよくこね、それを肉球につける様子を、ステラは見守った。ステラは、セイナだった頃に台所で母の明子がセイナの好きなハンバーグをこねているのを連想し、思い出し笑いをした。


「何かおかしいか」


 ニトランが首をかしげる。


「いいえ。こっちの話よ」


 ニトランは自分の肉球を地面の八方にこすりつけた。


「あっ。あそこの足跡が」


 猫軍曹が足でさし示した。


「うむ。確かに緑色の足跡が浮かび上がった。よくできた化学反応だ。バジルの呟きは、けっして、ウソでもまやかしでもなかったのが証明されたな」


 ニトランは緑色の足跡を見て、満足そうに言った。「これから、この緑の足跡を辿るぞ。雨の上がらないうちに決行する」


「分かった。行こう」


 猫軍曹は顔を引き締めた。


「行くわ。面白くなってきた」


 ステラも後につづいた。

 恵みの雨の中、みんな揃って、ジマのものとおぼしき緑の肉球の跡を辿り、慎重に道中を急いだ。


「猫軍曹。このことを知っていたか」


「詳しい方法までは知らなかった。ジマの肉球の跡は、たとえ消えていても、特殊な方法を用いたら浮かび上がる時がある。そういう噂は聞いたことがある」


 緑のスタンプを押したように、肉球の跡は濡れた道路にはくっきりと残っていた。


「すごいわね。こんなにきれいに浮かび上がるなんて。とても分かりやすいわ。この調子なら、アジトは簡単に判明しそうね」


 ステラは感心した。


「普段なら、ジマの肉球は足跡を残さない。化け猫といえども、さすがに空を飛ぶわけにも行かなかったわけだ」


 ニトランは、自分の肉球を地面にこすりつけるのと緑の足跡を浮かび上がらせるのを繰り返しては、慎重に歩いた。


「ニトラン。何だか、このコース、見慣れた方に向かってないか」


「ふむ。どういうわけだ。俺たちの拠点の一つに向かっている気がするな」


 三匹の猫は、雨が上がって消えてしまわぬ前に、緑色した肉球跡の行方を追った。

 そして、それが巨大な建築物へ吸い込まれているのを確認した。ジマは驚くべきところにアジトを作っていたとみられる。そこは「東猫タワー」だった。いわゆる猫専用のキャットタワーではない。高さ百メートルをゆうに超える、人間たちの使用する高層ビルだ。ビルのほとんどはビジネスマンが仕事をするオフィス空間が占めている。屋上は三百六十度を見渡せる展望台になっており、この辺では一番高いランドマークになっている。正式名称ではないが、猫が住み着き、晴れた日は入口で猫が出迎えることから、いつしか「東猫タワー」と俗に呼ばれるようになった。セイナでいた時、一度だけ遠足で展望台に上ったことがある。町並みはもちろん遠くの海や山まで一望できる、気持ちのよい場所だ。


「ここが拠点の一つ?」


「そうだよ。人間がオフィスとして使うのはもちろんだが、一階の駐車場が猫の暮らす場所になっている。ニトラン派は、ここを活動拠点として使うことを認めている。先週も、一階でニトラン派の会合があった」


「そうだとして、なぜ、対立するハル・ジマ派が出入りしているの?」


「そこだよ。おかしいな。自分たちの拠点に敵のアジトとは。灯台下暗しじゃないか」


「ニトラン。自分たちの活動の場こそ盲点になっていたのでは?」


 猫軍曹は体を丸めて腕を組んだ。


「俺たちの知らない場所にハルとジマは身を隠している。その可能性は高い。『東猫タワー』のどこかに彼らはひそんでいる。ここでヤツらを捕らえ、倒してしまおう」


「ニトラン。頼りにしてるわよ。私の好きなタケルは意識を失っていて、ジマを倒してその魂を壺に封印し、七十二時間以内に猫戦争を終わらせる。そうすれば、意識は戻るらしいの」


「分かってる。みんなの力を合わせ、必ずジマを倒してみせる」


 ニトランの声には力強さが感じられた。


「ところで、ステラ」


 猫軍曹がステラに訊ねた。


「ジマを倒せば意識が戻ると告げたのは、誰なんだ?」


「それがわからないのよ。人間の男の声で、私にそう言った」


 ステラは困ったような口調で答えた。

 そこへ、ニトランが口出しした。


「人間にしては、ずいぶんと猫世界に詳しいな。その誰かというのは」


「そうね」


「その存在が気味悪い」


「ま、いいじゃない。とにかく、言われたことを私は信じる。私はタケルを助けたいし、ニトランも戦争を勝利で終えたいでしょ?」


「それはそうだ」ニトランは頷いた。


「とにかくハルとジマを倒すしかない。ハルは長老猫で殺すのは容易だ。難敵はジマの方だ。ヤツさえ死ねば、ハル・ジマ派は総崩れだろう」


 猫軍曹はそう言い、ニトランとステラの背中を足で撫でた。


「さて、外からつづく肉球の足跡は『東猫タワー』の手前で途切れている。床を濡らせば跡は出るかもしれないが、ここまで来たんだ。ジマがここに入ったのは間違いない。自力で見つけ、息の根を止めてやるぞ」


 ニトランの言葉は頼もしかった。ステラと猫軍曹は顔を見合わせ、深く頷いた。

 三匹の猫は手分けして、猫のいそうな場所を隈なく捜した。車の下はもちろんジュースの自販機、柱の裏、天井の配管に至るまで、エレベーターの中を除いた場所を、鵜の目鷹の目で徹底的に捜し回った。しかし、ジマらしき猫はおらず、その影すら見当たらなかった。猫がいても、ニトラン派の猫に遭遇するばかりだった。その猫たちにジマの姿を見たかと問うても、


「いいや、見てないな」

「ニトラン派しか見たことはないぞ」

「ここはニトラン派の猫の集まる場所。敵がのこのこと出歩いたりしないだろう」


と否定されてばかりである。


「おかしいな。これだけ捜したのに見つからないなんて。たしかに、バジルの示した方法でここに辿り着いたんだ。何かが間違っている」


 さすがのニトランも弱気になったのか、ぼやきが口をついて出た。


「ニトラン。目につくところにはいなさそうよ。こうなったら」


「こうなったら?」


 ニトランはステラの言葉を待った。


「こうなったら、猫の勘しかないわ。第六感よ」


「第六感」


「そう。どこか意外な場所に、秘密のドアか隠し部屋でもあるのよ。きっと」


 ステラは勘を頼りに、ビルの盲点を突くべきだと主張した。


「しかし、仮に秘密のドアや隠し部屋があるとして、その手がかりをどうやって」


 猫軍曹は言葉を濁した。前足を組んで考え込んだ。


「考えてもむだよ。もう時間はないの。このビル、地下もある?」


「あるよ。地下はボイラー室になっている。一般の人間は使わないところだ。冬になると暖かいから、ニトラン派の猫は暖をとりに行く時もある」


「きっと、それよ。地下室がビンゴ」


「よし。地下室に下りてみよう」


 三匹の猫は一階に下りてきた人間と入れ替わり、エレベーター内に乗り込んだ。猫軍曹が壁に前足をつき、ニトランがその肩を踏み台にジャンプして、「B1」のボタンを押した。

 エレベーターは下降し、地下で止まった。ゆっくりとドアが開いた。

 そこは確かにボイラー室だった。たくさんの太い配管が縦横に張り巡らされ、壁には計器類や操作盤があった。


「ここには何度か来たことがある。ハルとジマを捜そう」


 ニトランと猫軍曹、ステラは、手分けして敵の居場所を探った。

 しばらく捜したものの、配管の上などにはいなかった。他の猫すらいない。むき出しになったねずみ色のコンクリートの壁と床は無機質で冷たく、まるでニトランたちを拒んでいるようだった。


「くそぉ、ジマめ。ヤツはどこにいるってんだ」


 ニトランは腹立ちまぎれに配管に飛び蹴りをした。


「ニトラン。ちょっと待って」


「どうした? ステラ」


「あの壁、色が変よ」


「えっ?」


 ニトランはステラの足の示す方を見た。


「どこだ、どこだ?」


 しばらく壁を見て、あっと叫んだ。


「たしかに他の部分とコンクリートの色が微妙に異なるな」


「でしょ?」


「うむ。あそこの四角いところだけ、周囲より濃いぞ。よく見つけたな」


「それってことは、つまり」


 猫軍曹も見つけ、興奮した口調だった。


「この壁、ダミーになってるわ。偽物よ!」


 ステラは叫んだ。試しに、ステラが手前の配管に飛び乗り、その四角い部分に体当たりする。 カツンと軽い音がした。情けないような弱々しい音だ。壁はあっけなく後ろに倒れた。ステラは壁の奥につづく大きな穴を発見した。


「ステラ、お手柄だ。そこは隠しドアになっていて、アジトへ通じる入口なのだろう」


「その通りね。やった。ついに見つけたわ。こここそが敵のアジトね。よくこんなものを細工したもんだわ」


 ステラは倒れたベニヤ板を見た。板はねずみ色に塗られている。


「きっと、別のものが入ってたのを、ジマらが工作したんだろう」


 猫軍曹は説明を加えた。


「説明はいい。俺たちも乗り込むぞ、猫軍曹」


「分かった」


「ステラ、そこで待て。動くなよ」


「うん。早く来てね」


 二匹はステラがやったのと同じ方法で、配管からジャンプし、秘密の入口に着地した。


「よし。みんなで行こう」


 ニトランを先頭にして、三匹は秘密の抜け穴の奥へと進んだ。

 その時、ステラは、この先が最終決戦の場になると思った。

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