第14話 猫のバジル

 盃公園を抜け、幹線道路に沿って南へ下った。少し歩くと、小さな川にぶつかった。その川に沿って道を行くと、鉄道の高架橋のたもとに来た。


「さあ、ここだ。着いたぞ」


「着いたって、ここがそうなの?」


 ステラはニトランを見た。


「ここに住む猫がアジトの事情に詳しい。この界隈の事から世相まで広く知っているとの噂だ」


「何だ。最初からそうすればよかったのに」


「それは結果論に過ぎない。戦い始めたら戦うしか選択の余地はない。ここの猫は少々、意地が悪い。簡単には応じないだろうな」


 ニトランは口をペロリとなめた。


「あそこに倉庫が見えるだろう。その倉庫の中にいる猫に用事がある」


 見ると、ペンキのはげた古い倉庫がある。ドアが少しだけ開いている。

 ニトランは周囲を充分に見回し、安全なのを確認してから注意深く倉庫のそばまで来た。


「どんな猫なの? 名前は?」


「どんな猫かは、会えば一目瞭然だ」


 ニトランは、ここでも、これから会う猫の情報について多くを語らなかった。

 すたすたと倉庫の入口に近づく。彼は名乗った。


「ニトランだ。あなたに会いに来た」


「どうぞ、お入り」


 メス猫が鳴いた。かなり年を取った猫らしい。それは声の調子ですぐに分かった。ニトラン、猫軍曹につづいて、ステラもドアの中に入った。

 中は暗い。何かの袋が五、六個、高く積み上げられている。窓から射し込む光で埃が舞っている。袋の一番上に、メス猫が座っていた。メス猫はおもむろに振り返った。


「ニトラン、ようこそ。いい度胸ね」


「バジル。あなたしか頼れない。他に頼る猫がいないのだ」


「それはどうかしら」


 バジルという猫は、少し素直でないような言い方をした。


「要件はだいたい分かるよ」


「そうか」


「ハルとジマの居場所が知りたいんだろ?」


「いかにも」


「あたしゃ、知らないね。知っていたって教えるもんか」


 バジルはプイと横を向く。


「なぜ?」


「なぜって、考えてもごらんよ。この辺はハル・ジマ派のシマだよ」


「それはそうかもしれないが」


「彼らの縄張りになったのはだいぶ昔の話さ。そこに住むあたしに、ハルやジマの居場所を訊きに来たっていうの?」


「そうだが」


「そんなことしても、意味がないよ。彼らにとって不利なことを教える猫はいないね。そんな猫は食っていけやしないよ」


「そりゃ、そうだろう。しかし」


「しかしも、かかしもない」


「今は戦争中だ。ハル・ジマ派が始めた戦を終わらせないと」


「戦争の当事者ってのは、みんなそんな風に戦争を正当化するもんさ。いつの時代も平和がつづいた時はない」


 バジルは苦虫をかみつぶしたように顔をしかめた。


「居場所を知っていて教えないのか」


「あたしの口からは言えないね」


 バジルはフンと鼻を鳴らし、お付きの猫にドアを閉めさせた。


「ジマ派は今、劣勢に立たされている。士気の下がっているうちにアジトを見つけ、大将を倒したいんだ。協力してくれ」


「それは分からないでもないけれど、力にはなれないよ」


「頼む。そこを何とか」


 ニトランはバジルを前にして前足を合わせた。


「せっかく遠方から来たようだし、ちょっとしたものなら出すよ。それを食べたらお引き取り願うね」


 バジルはにべもなくニトランの申し出を断った。バジルは言いたいことを喋ると、尻尾や足の毛づくろいを始めた。

 お付きの猫が皿を口にくわえて運んできた。その皿には高級缶詰の残りが盛られていた。三匹の猫はそれに口をつけ、食べた。

 食べながら、互いの顔を見た。


「ニトラン。バジルは居場所を言うつもりはないみたいよ。どうするの?」


 ステラは小さく鳴いた。


「どうするって、うーん。バジルがこの界隈では一番の物知りだと思ったんだが。どうやらあてが外れたか」


 ニトランは顎を引いて目をつむった。


「ニトラン。バジルでもだめなら、しらみつぶしで地道に捜していくしか方法はないぞ」


 猫軍曹も残念そうな顔で、別の方法に言及した。


「うむ。ステラの言う制限時間が気になるが、それしかないか」


 ニトランは無念そうに言った。

 みんなは出された食事を食べ終えた。皿をきれいになめ尽くし、ニトランはバジルに別れを告げた。


「バジル。突然訪ねてきてすまなかった。バジルの力を信じているのは今も変わらない。もてなしてくれて、ありがとう」


 ニトランは食事の礼を述べ、きびすを返した。

 倉庫のドアから外に出た。出る時に、ニトランたちは周囲に気を配った。派閥の対立する者同士が密会したのを見られては、後で困る。ここで敵に見つかったら、三匹はもちろんのこと、バジルの身にも危険が及ぶ可能性があった。

 三匹の猫は肩を並べ、とぼとぼと歩いた。


「かえすがえす残念だな」


 猫軍曹は肩を落とした。ステラはいいきっかけが得られると期待し、裏切られて言葉が出てこない。何とかして沈滞した雰囲気を吹き飛ばしたかった。とはいうものの、これでハルとジマの捜索は完全に白紙に戻ったのか、と思った時だった。


「ニトラン殿」


 先ほどのお付きの猫が追いかけてきた。バジルの元を去り、五分以上はたっている。


「何だ? 俺に用か」


 お付きの猫は追いつき、息を弾ませて言った。


「ニトラン殿。お伝えしたいことが」


「早く言うのだ。ここなら安全だろう」


「ニトラン殿。これはバジル様の呟きです。けっしてニトラン殿のために情報を教えたのではありません」


「どんな呟きだ?」


 ニトランはお付きの猫に問い質した。


「力を持った猫の中には、足跡が特殊なものがいるそうです。それをバジル様はご存じになっています。雨の降る日がようございます。その天候の日にシイの実を食べるのです。そして、主基公園に行きなさい。そこに赤い土があります。その赤い土の上に、シイの実から抽出される成分を含んだ尿をかけるのだそうです。そして、尿と土をよく混ぜます。ここまで、よろしいか」


「うん。承知した」


「その後、混ぜた土を肉球に取り、ここぞと思われるところに肉球をこすりつけるのです。もちろん、雨が降って地面は濡れている状態ですよ」


「分かってる」


 ニトランは深く頷いた。


「すると、いいですか? どこかに緑色の跡が浮かび上がる。それは、たぶん、ニトラン殿の捜している猫の足跡と一致するでしょう。分かりますね」


「よく分かった。緑色の足跡の先を辿れば、そこがアジト」


「さようです」


 お付きの猫は禁断の情報をさらりと話してくれた。


「これは、すべてバジル様の勝手な呟きです。ニトラン殿に話されたわけではありません。そんなことを思い出したという類いのことです。では、あしからず」


 お付きの猫はクルリと向きを変えた。少し歩き、周囲を警戒して来た方と違う方へ去って行った。それも、バジルの家にまっすぐ帰らないことでハル・ジマ派の連中の目を欺くやり方なのだろう。


「ステラ。どうだ? やっぱりあの猫は頼りになる」


 ニトランは満面に笑みを浮かべた。


「ニトラン。バジルは慎重だったわけね。あそこでハル・ジマ派の猫が立ち聞きするのを恐れ、直接私たちに口外するのをはばかったのよ」


「私もステラの考えと同じだ」


 猫軍曹はヒゲをピンと立てた。


「結果として、バジルの家を訪ねたのは吉と出た。先ほどの情報を信用しよう。雨が降るまで、主基公園で待つとしよう」


 主基公園とは、猫のユートピアに近い公園である。盃公園と道路を挟んで反対側に位置し、対になった公園のことだ。そこは、ステラも人間の時に慣れ親しんだ場所である。高校生になり、学校の通学路としてよく脇を通っていた。

 みんなは来た道を引き返した。

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