第13話 アリ退治
「大きいのばかりではないぞ。おまえたちにおあつらえ向きの生き物を残しておる。これから、それをあてがってやる。これでどうだ?」
ジマは水のない地下神殿に、猫よりも極端に小さい生き物を放った。
その生き物は黒くて米粒くらいの昆虫――アリだった。
「なんだ。ただのアリじゃないか」
拍子抜けしそうなほど弱そうな相手だ。たくさんのアリが出てきた。見慣れたアリの群れが床を行進する。
「ジマもとうとう呆けたか」
ニトランは笑った。
アリはニトランの足を上ってきた。
「痛い。このアリ、足をかみやがった」
ニトランは忌々しげに言う。
「ニトラン、たいへん。血を吸ってるわよ。アリんこのくせして」
「それは危険だ! 吸血アリだぞ。すぐに解毒しないとたいへんな事になる」
猫軍曹の顔が青ざめた。
「吸血アリ!」
ステラはビックリした。
「いかん。体が痺れる。どういうことだ、猫軍曹」
ニトランはよろめいて肩を地面につける。
猫軍曹は慌てふためいて、言った。「吸血アリは、自分よりも大きな生き物の血を吸い、アリの持つ毒を相手の体内に送り込むんだ。とても危険な生物だ」
「何だって?」
ニトランは苦しそうに顔を歪めた。
「ニトラン、待ってろ。私が大至急、薬を取ってくる」
猫軍曹は飛ぶようにして、排気口へ向かった。その排気口は外へ通じている。猫軍曹は排気口を駆け上り、外に消えた。ステラは、自分とニトランの体についたアリを払い落とした。
「ニトラン。しっかりして」
「アリの毒が回ってきた。呼吸が苦しい」
足をかまれ、体に毒が回ったニトランは、床に背中をつけて転げ回った。仰向けの恰好で、右に左にと激しく体を揺すった。
「ニトラン、しっかりして。もうすぐ猫軍曹が薬を持って帰るから」
「ス、ステラ。すまん……」
さしものニトランも声が小さかった。体が衰弱しているのが手に取るように分かる。
「フハハハハ。毒にやられて死ぬがいい。身の程知らずの猫めが」
ジマの憎らしい声が神殿全体に反響する。
このままでは終わらないわ。終わるものですか――ステラは唇をかんだ。
しばらくして、外に出ていた猫軍曹が、黄色の花びらを口にくわえて戻って来た。
「ニトラン。薬だぞ。菊の花だ。これを食べろ」
猫軍曹は黄色の花びらを口元にあてがった。猫軍曹によると、秋の時季で菊が咲いている。菊の花には解毒作用の薬効があり、アリの毒にもきっとよい効果が見込めるだろう、とのことである。
ニトランは口を開け、ゆっくりと菊の花びらを咀嚼した。猫軍曹の豊富な知識と優れた行動力のかいがあり、ニトランの体調は快方に向かった。
「少しよくなった。アリどもをやっつけてくれ」
「私に任せてくれ。地上に出た時、すでに手は打ってきた」
猫軍曹の言葉を裏付けるように、ニトラン派の猫たちが地下神殿の排気口からなだれ込んだ。彼らは床に下りると、床に群がるアリを追い払う準備を始めた。
猫たちは油の入ったアルミ缶と木の枝を口にくわえていた。
「油と木の枝」
「そうだ、ニトラン。見ていてくれ」
ステラはそれで火を放つのだと想像力を働かせた。
「ニトランとステラ。ここは危険だ。早く排気口から逃げてくれ」
「任せたぞ。猫軍曹」
ニトランの言葉に猫軍曹は胸を張って応じた。
猫軍曹は力強く指示を出し、合図を送った。猫軍曹の合図とともに、猫たちは二手のグループに分かれた。一つのグループは、地下神殿の床に油をまき出した。もう一つのグループは、木の枝の先端を足で床に固定し、前足で他方の先を挟んで、速いスピードで回転させた。それは乾いた木の枝で火を起こす作業に他ならなかった。器用な猫たちによって、火おこしの作業は成功した。床から白い煙と火の手が上がった。
「それ! 油に火をつけるんだ」
猫軍曹の号令で、火のついた枝をポーンと床に投げる。燃えた火は油に引火し、瞬く間に一面を覆う大きな炎となった。
「しまった。アリがやられる」
ジマの口惜しそうな声が天井から響いた。その時にはもう遅かった。黒いアリはあっという間に炎の餌食となり、黒焦げの死骸と化して火の中に消えた。
地下神殿はぼうぼうと燃え、火の手はとどまるところを知らなかった。火が神殿全体に燃え広がる前に、猫軍曹を含むニトラン派の猫たち全員は、排気口から地上へ脱出するのに成功した。地下神殿は火災で大爆発し、原形をとどめないほどに壊れた。アリ退治と火災の話は後から聞いた。
ジマが誇る生物兵器の三番勝負は、ニトラン派の圧勝で幕を閉じた。
地下神殿を去った。
振り返ると、長い排気口からもくもくと黒煙が上がっていた。
「これから、どうするの?」
ステラはニトランに訊ねた。
「まだ、ハル・ジマ派の猫たちが残っているはずだ。ヤツらを倒すまで、徹底抗戦を貫くぞ」
「また肉弾戦に戻るのね」
ステラは嘆くように呟いた。
三匹は元いた場所へ急いで帰った。
猫のユートピアに着いた。
ユートピアとは名ばかりの光景が広がっていた。殺伐とした戦場には、猫の死骸が道の至るところに転がっていた。負傷した猫たちが死骸の上に折り重なるようにして体を横たえている。その表情はいかにも辛そうで、うめき声も漏れ聞こえた。敵も味方も、かなりの数が犠牲になっているのは明らかだ。
「目を覆いたくなるような光景ね。ひどいわ」
ステラは思わず目を背けた。
近くでミャアオオと威嚇するような声が聞こえた。
「ニトランがここにいるぞ。やっちまえ」
ハル・ジマ派の猫たちがわっと押し寄せた。ニトランは身がまえた。物陰に隠れていたニトラン派の猫がザザザッと現れ、ニトランを守るように囲った。
「ニトランには簡単に手を出させん。俺たちが相手だ」
勇敢な猫が敵に言い放つ。
「何を! 一緒に地獄へ送ってやろう」
敵も口では負けてない。両者は睨み合った。
同じ種類の猫でも、仁義なき抗争の前にはやり合うしかない。派閥に分かれて雌雄を決するまで、相手を叩きのめす宿命にあるのだろう。ステラはやるせない気持ちでいっぱいだった。
いきなり上から石が降ってきて、ステラの頭にコツンと当たった。
「痛いな、もう。だれ? 石を投げたのは」
見上げると、憎々しそうな顔をした猫が、マンションの屋上からこちらを見て笑っている。おそらく、ハル・ジマ派の猫だろう。
「許さないから」
先ほどまでのやるせなさは、どこへ行ったのやら。ステラは腹を立ててマンションの外壁をよじ登った。
ニトランが帰って来て、戦はまた活発になった。両軍の猫たちはあちこちで殴り合い、叩き合った。石を投げ、落とし、引っかき合った。多くの猫の血が流れた。
第五次猫戦争が始まって数時間がたった。
ジマは化け猫だけあり、地下神殿から逃げのびたらしい。ニトラン派の猫がニトランにそのように報告するのを、ステラは近くで聞いた。
両軍の猫たちは疲弊し、体に傷を負った。両者の戦闘能力はピークを越え、力は弱まる一方だった。猫軍曹とニトラン、ステラは奮闘した。ニトラン派は勢力を拡大し、戦いを優位に進めた。彼らが味方のピンチに駆けつけて加勢することで、あちこちの戦いを盛り立てた。
しだいにニトラン派がハル・ジマ派を窮地に追い詰めていった。
一度、力の均衡が崩れると、流れは強い方に大きく傾くのだ、とステラは実感した。
ニトラン派の勢いに圧倒され、ハル・ジマ派の猫は次から次へとニトラン派に投降した。敵の兵は数を減らした。
ジマらは敗走せざるを得なかった。ジマたちは大急ぎで町角を曲がり、三方に散らばった。
追っていた猫軍曹は、ジマとジマを護衛する猫を見失った。
「ニトラン、すまない。敵が散らばり、ジマの行方を見失った」
「ジマめ。きっと、ヤツらはアジトに逃げたのだろう」
「戦局が不利になった証拠よ。悪党って、尻尾を巻いてさ。そういうところへ逃げがちなのよね」
ステラはしたり顔で言った。
ニトランはみんなを公園に導いた。盃公園という名の公園だ。
ステラは急にプププと笑い出した。
「ステラ、どうした?」
ニトランがステラの顔をのぞき込む。
「盃公園と聞くと、昨日のあれを思い出しちゃって」
「なんだよ。思い出し笑いか」
ニトランは安心したのか、自分の足をなめながら、ステラの話にとんがった耳を傾けた。
「ロンと別れた後のことかな。私、盃公園で毛づくろいをしてたの」
「ふむ。それが、どうした?」
「尻尾の根元というか、尻近くに毛玉ができてね」
「うん。あるかもしれないな」
「その毛玉がどうしても取れないのよ。取れないと気になるでしょ?」
「まぁな。毛玉は猫にとって、嫌なものだよ。俺も嫌だ」
「私、体が柔らかくないから、うまく体を丸められないの。でも、毛玉は取りたい」
「どうしたんだ?」
「近くにいたメス猫に声をかけてさ。友だちになって、毛づくろいをし合ったの。ついでに頭や首の後ろをなめ合いっこしたわ」
「よかったじゃないか。声をかけてくれれば、俺が手伝ってもよかった」
「ニトランはその場から離れてたからね」
「それで、尻の近くの毛玉は取れたのか」
「取れたわ。私の尻の臭いつきの毛玉よ。ちょっと臭め。そのまま足で蹴って捨てたかったわ。いつもなら、そうしてた」
「じゃあ、何かしでかしたのか」
「フフフ、そう。内緒なんだけどね」
「何、何? 教えてくれよ」
「この盃公園を住みかにしている野良猫がいてね。そのうちの一匹は黒猫なんだけど、そいつがいけ好かないヤツだったのよ。それでね」
「うん。それで?」
「黒猫が昼寝してる隙を狙って、その毛玉を頭の上に載せてやったの。めっちゃドキドキしたけど、最高だったわ。黒猫が眠りから起きて、頭が臭いと顔をしかめるの。その姿を想像したら、気分がスーッと軽くなったわよ」
「ステラ。なかなかのいたずらっ子だね。大胆だよ」
ニトランは笑って近づき、ステラの耳の後ろをなめてくれた。
「ニトラン」
ステラが甘えた声を出し、二匹が毛づくろいをし合っていると、猫軍曹が緊張した面持ちでやって来た。
盃公園には猫の分布図が描かれている、と猫軍曹は言う。
「おかしいな」
猫軍曹は落ち葉の下に隠れた分布図を見つめ、低くウーと鳴いた。
「どうした、猫軍曹」
ニトランが訊ねる。
「猫の分布図のどこにも、ハル・ジマ派のアジトが書き記されてない」
「そうなの? 不利なことは消したんじゃないの?」
ステラはもっともなことを指摘した。
「ヤツらはどこかに隠れてる。いったい、どこにひそんでるんだ?」
猫軍曹が首をかしげる。
「ステラ。きみは、ハル・ジマ派のアジトか、ひそんでいそうな場所に心当たりはないか」
「さぁ。私、猫世界に疎いし、そういうものに敏感な方じゃないの。ごめんなさい」
「猫軍曹はどうなんだ?」
「私もちょっと」
しばらくの間、三匹の猫は考えた。
「待ってくれ。そうだ」
「どうしたの、猫軍曹。あてがあるみたいね」
「ちょっと耳を」
猫軍曹は何かを思いついたのか、ニトランに耳打ちした。
「なるほど。その存在を俺も聞いたことがある。さすがは知恵者の猫軍曹だ」
ニトランは猫軍曹を褒めた。
「なに? その存在って」
ステラは何も知らず、キョトンとするばかりだ。
「ある猫の元を訪ねるぞ。ステラ、行こう」
「何よ、ニトラン。どこへ行くの? どんな猫のことなの?」
ステラは問うたが、返事はなかった。
ステラはニトランの後を追った。
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