第11話 地下神殿
戦局に変化が起きたのは、しばらくたった頃だった。
名うての知恵者がハル・ジマ派に捕まった。ニトラン派内で指折りの兵士の猫軍曹である。
「ニトラン。あれを見ろよ」
仲間が叫んだ。ニトランは振り返った。
「あっ。猫軍曹」
邸宅の庭に植えられた大木があった。その枝に黒猫が吊し首になっていた。猫軍曹は首元を締めつけるロープを必死でほどこうと躍起になっている。もがけばもがくほど、ロープは食い込んで取れそうにない。その顔は苦痛で歪んでいる。
「猫軍曹、待ってろよ。俺が救出してやる」
ニトランは勇敢にも敵を蹴散らし、大木に足をかけた。するすると枝まで上る。とりあえず、木の枝にぶら下がり、その重みで枝ごと折った。枝が地面に落ちる前に、ニトランと猫軍曹はくるりと体を丸めて回転し、見事に着地を決めた。
「いいぞー。さすがはニトラン」
味方の猫が歓声を上げる。
敵も黙ってない。ニトラン派が猫軍曹の救出劇に沸く中、猫軍曹の首に絡みついたロープを口にくわえ、一匹の猫が一目散に走り出した。
猫軍曹は不自由な体勢を強いられ、地面を這うような恰好で敵にぐいぐいと引かれた。猫軍曹はまたもや顔色を変え、もがき苦しんだ。
「待てー。この野郎め」
ニトランがその後を追う。ステラもニトランにつづいて走った。敵は途中から二匹に増え、引っ張る力とスピードが格段に上がった。
「こらー。待て」
ニトランは走りながら叫んだ。猫軍曹を含む三匹の猫たちは道路の側溝に入った。ニトランとステラも側溝に入る。敵は側溝を走り、そこから通じる地下水路に進路を変更した。地下水路は果てしのない長さでずっとつづいている。大人の人間なら、かがまないと進めない高さだ。
「ヤツら、どこへ行こうってのかしら」
ステラは呟いた。猫になって間もないので、地下水路の暗いトンネルがどこへつながっているのか、見当もつかない。
「もしかして、敵の導く先は」
ニトランは途中で言葉を切った。心当たりがあるような言い方である。
「あっ。すごい場所」
ステラは思わず目を瞬いた。地下水路を抜けると、そこは巨大な空洞だった。正しくいうのなら、太くて高い円柱が何本もあってそれが天井を支えている。掛け値なく巨大な空間である。猫軍曹は遠くで大の字になっていた。ロープを引く敵はどこかに消えた。
「これは『地下神殿』」
「『地下神殿』って、何?」
ステラはニトランに素直に問うた。
「ここは、洪水の時に備えて水を貯め、後で放流する施設なんだ。その巨大さゆえに、人間たちは『地下神殿』と呼んでいる」
「そうなのね。でも、猫にとっちゃ、手に負えないほどの大きさよね。水が満ちたら溺れちゃいそう」
その時だった。地下神殿に高らかなジマの哄笑が響き渡った。
「ハッハッハ。ニトランにステラ。ようこそ、地下神殿へ。ここがおまえたちの墓場だ」
「何を言うか、ジマめ。死ぬのはおまえの方だ」
ニトランが負けずに言い返す。
「威勢のいいのも今のうちだ。ここは水を貯める施設。水がないのはさぞかし不満だろう」
「どういう意味だ?」
「望みとあらば、水をくれてやる。それ!」
ジマのかけ声とともに、突然、大津波が一瞬にしてこちらへ押し寄せた。
「きゃー」
ステラは逃げ惑った。むりもない。高さ二十メートルはありそうな波がニトランとステラを瞬く間に飲み込んだ。
「フハハハハ。溺れろ。そして、死ぬがいい。哀れな猫めが」
ジマの声が天井から響いてくる。
「俺は泳ぎが苦手じゃない。ステラ、俺につかまれ」
ニトランは波間に漂うステラを抱きかかえた。
「あっ、ニトラン。あれを」
波の向こうに、ぷかりと浮かぶ黒い生き物を発見した。猫軍曹に違いない。
「よし。今のうちに救出しよう」
ニトランは猫軍曹のいる場所まで泳いだ。猫軍曹とステラたちの距離が少しずつ小さくなる。ニトランが前足を伸ばし、猫軍曹のロープをしっかりとつかんでたぐり寄せた。
「猫軍曹、だいじょうぶか? しっかりしろ」
ニトランは猫軍曹に向かって叫んだ。目を閉じていた猫軍曹はパッと目を開け、我に返った。
「こ、これは。どうして水が」
「説明は後だ。今、ロープを外す」
ニトランはステラを持つ足を離し、前足でロープをほどきにかかった。水のおかげでロープの結び目はゆるんでいた。ロープは容易にほどけた。猫軍曹はようやく自由の身になった。
「よかったね、猫軍曹」
ステラは猫軍曹に微笑んだ。
「三匹の哀れな猫よ。波が恐くないのなら、これからが本番だ。こいつらと戦う勇気と度胸はあるのかな? せいぜい頑張るがいい。ワハハハハ」
またしても、ジマの嫌な高笑いである。
「今度は何をするつもりだ?」
ニトランが水に浮かびながら、周囲を見渡す。
突然、向こうの水面に渦ができた。小さな渦はだんだん大きくなった。円の直径が大きくなるにつれ、回転のスピードも増した。
「あっ。あれはカニ!」
ニトランが前足で赤い生物を示した。水中から姿を現したのは、数メートルくらいの巨大なカニだった。カニは赤くて細長い足――細いといっても鉄骨くらいの太さであり、硬そうでもあった――を上下に揺らし、海面に浮上した。バシャバシャと足で水をかき、こちらに向かって来る。
「気持ち悪いわ。来ないで。カニの化け物」
ステラはニトランの背後に隠れ、巨大なカニから目を背けた。
カニは口からブクブクと泡を吹き、水中を泳いで猫たちの前まで来た。見上げるほどに大きい。
「おまえなんて、少しも恐くない。せいぜい、カニすきとかに玉にして食ってやる」
ニトランはカニをバカにしたように吐き捨てた。カニは猫三匹を前にして足をばたつかせ、動きを速めた。
「この化け物ガニを操るのはジマだぞ」
ニトランはステラに断言した。
「そのようね」
ステラも頷いた。
カニが一対のハサミを高々と上げ、こちらに襲いかかる。
ピンチだとステラは思い、目をつぶった。カニのハサミに体を挟まれ、ちょん切られるか食べられる。そんな悪夢が頭をよぎった。
ところが、頼もしいニトランが立ちはだかった。彼はカニの意のままにさせない。敵の攻撃を許さず、カニの長い足をすり抜けて水中にもぐった。ステラと猫軍曹もまねをしてもぐる。カニは水にもぐった猫を捜そうとして体を水に沈める。カニという生き物の定めか、泳ぎはけして上手くない。水中で足を動かし、小さな獲物を追ってくる。
ニトラン以下三匹の猫は、柱まで泳ぎ着いた。
「上に行け。早く」
ニトランは的確な指示を与えた。ステラと猫軍曹は太い円柱にするすると登った。
巨大なカニがやって来た。三匹のいる位置までは、どうやってもハサミが届かない。登って来られもしない。
「ざまあ見ろ。うすのろのカニめ。このバカ」
猫軍曹がカニを見下し、悪態をついた。
油断していたわけではない。妙にぬめぬめして冷たいものが猫たちの足に触れた。
「きゃっ。何よ、今度は」
ステラが敏感に反応し、猫耳がビクンと震える。ぬめり気のあるものは、生き物の足のように動いた。見ると、足に丸い吸盤がある。
「タ、タコだ」
猫軍曹が叫んだ。円柱に登ってきたのは巨大なタコである。その足が柱の表面を這い上がり、猫たちの体に接触したようだ。
「ぎょえー。やめて。巨大なカニもやっつけてないのに、どうして次は巨大なタコなの? 鍋物の具にしてほしいのかしら」
ステラは目を丸くし、背中の毛を逆立てた。
タコの足が猫軍曹の体に絡まる。締めつけは強そうだ。
「ぐへっ。く、苦しい」
タコにやられ、猫軍曹は情けない声を出した。
「ニトラン。何とかしてよ」
ステラにもタコの足が絡みつき、苦しさのあまり助けを求めた。
「どうしたらいいのか、今から考える」
ニトランは巨大なタコの足と格闘しながら叫んだ。ニトランはタコの足に捕らえられないよう、必死になって応戦した。タコを威嚇しながら、ぬめり気のある足にガブリとかみついた。タコはびくともしない。猫軍曹やステラの呼吸が荒くなった。
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