第10話 猫戦争

 すでに異変が起きていた。招き猫の石像が二体とも無惨に後ろに倒されていた。そして、石像の顔には赤い塗料でバツ印が大きく描かれていた。平和のシンボルは粗末に扱われた。


「ひどいわ。平和の像よ。何だと思ってんのよ」


 ステラは憤慨した。後ろ足で地面を蹴り飛ばした。


「これは明らかな挑発行為だ。ジマの宣戦布告と受け取っていいだろう」


 ニトランの顔がこわばった。そのヒゲはぴんと立っている。尻尾の先端はいつもよりもまっすぐに天を突き上げている。

 一方のハル・ジマ派の猫たちはというと、ユートピアにずらりと顔を並べて待ち受けていた。こちらを睨みつけ、今にも飛びかかろうとしている。敵方は血の気が多そうだ。


「見ろ。あそこを」


 ニトラン派の猫が足で向こうを示した。物見やぐらが目にとまった。真紅の旗がひらめいている。バカでかい猫がそれを持っていた。


「あれがジマだ。ハル・ジマ派の旗を自ら持っている」


 ここに第五次猫戦争が勃発した。

 バカでかい猫は、くっきり見えたり、ぼーっと霞んだりしていて、つかみどころがない。濃淡になるだけでなく、急に消えたり、別の場所に現れたりもする。それが実体を持たない幻の化け猫なのだといってしまえばそれまでだが、敵の幹部がその状態では、こちらの作戦も立てづらそうだ、とステラは思った。

 ハル・ジマ派はユートピアの主要な箇所を占拠していた。長老猫ハルはどこかに隠れているのか、ジマが手下に命令して攻撃を指揮する役目のようである。

 その時、雷鳴が起こり、空が急に暗くなった。


「憎いニトランよ。おまえの滅びる時が来た。あの世へ送ってやろう」


 ジマが空に浮かび上がる。


「ニトラン、気をつけて。あいつは化け猫。あれもきっと幻よ」ステラが言う。


「分かってるさ」


 ニトランは尻尾と後ろ足で立ち上がり、敵を威嚇する。


「死に損ないのジマ。おまえを倒し、成仏させてやろう」


「何をいうか。未熟者のくせに。者ども、かかれ」


 ジマの鳴き声が轟く。敵の猫がこちらを襲おうと飛びかかってくる。ニトラン派の猫も爪をたて、ハル・ジマ派の猫に襲いかかる。猫と猫は激しくもつれる。踏みつける。爪でひっかく。戦闘の激しさはステラの想像を上回った。こんなにもうるさい、激しいいがみ合いだとは。

 両軍は入り乱れ、猫対猫の激しい肉弾戦が繰り広げられた。

 敵の猫が突進してくる。それをかわして背中に飛び乗り、相手の背中に爪をたてる。敵は痛がり、背中の邪魔者を振り落とそうとする。


「いいわよ。その調子」


 ステラは味方の猫に声援を送る。

 背中に乗ったニトラン派の猫は、相手が暴れ馬のように後ろ足で地面を蹴り上げても、上手にバランスを保って攻撃の手をゆるめない。

 反対側では、ニトラン派の猫が劣勢に立っていた。敵の挟み撃ちに遭い、後ろから羽交い締めにされて腹に猫パンチをお見舞いされていた。

 ステラはそれを見て救出したかったが、自身も猫と戦っており、それどころではなかった。ステラの相手は地面よりも高いゴミ箱の上に逃げた。ステラがそれを追う。敵はゴミ箱の蓋の上に乗り、タイミングを図った。


「それ!」


 相手は鳴いて宙を舞う。一瞬だった。飛びかかってくる猫をよけきれず、ステラは体を浴びせられて激しく腰を地面に叩きつけた。


「いったーい」


 顔をしかめるステラの額に、敵のパンチが飛んでくる。二、三発パンチをもらい、ステラの闘志に火がついた。


「このぉ。メス猫だと思って」


 ステラは意地を見せた。相手を両足で抱え、体を密着させる。二匹の猫は上になり、下になりして地面を転げ回った。側溝へ落ちそうになり、慌てて体を離す。先ほどの猫はステラの方へ猛スピードで突進してきた。ステラはひらりとかわし、塀に飛び移る。するすると塀に登ると、猫は追うのをあきらめた。

 塀の上を歩き、すとんと着地する。

 安心する暇もなく、次の猫が襲ってきた。今度の敵はかなり体が大きい。後ろ足と尻尾で立ち上がり、片足でサッとステラの顔を引っかいてきた。素早い動きをよけきれず、ステラは顔をやられた。たじろぐステラに対し、大きな猫は俊敏な動きで後ろに回る。背中の下をかみつかれた。ステラは「ギャー」と大きく鳴いた。あまりの痛さに飛び上がるほどだった。


「ステラ。だいじょうぶか」


 そこへニトランが駆けつけた。ニトランはグルルルと唸り声を上げ、大きな猫を威嚇する。大きな猫は立ち上がったままで身がまえる。ニトランは相手の懐めがけて体当たりをかました。猫は腹を押さえ、動きが鈍る。それを合図にニトランとステラが大きな猫に飛びかかり、あちこちをがぶりとかんだ。さしもの猫も痛さに悶え、振り切るようにして逃げ出した。

 そうした攻防は至るところで繰り広げられた。戦闘はしばらくつづき、両軍は一進一退のままで、どちらかの形勢に傾くことはなかった。

 互いの体力が尽きてきた頃、雨が降ってきた。雨足はしだいに強さを増し、猫たちは猫のユートピアの外に逃げた。車の下や軒先などに避難した。戦いはいったん中断した。

 ステラは車の下で体を休め、雨をしのいだ。

 ニトランがステラに近寄り、優しい言葉をかけた。


「ステラ、ケガしてるな。傷は痛むのか」


「平気よ、これくらい。猫の戦いだもん。ケガの一つや二つ、名誉の勲章よ」


 強がりが口をついて出る。傷がずきんと痛み、体はウソをつけない。ステラは顔をしかめた。


「戦は長引きそうね」


「ニトラン派とハル・ジマ派の全面戦争だ。兵の数や武力は拮抗している。どちらか一方が退却するまでは消耗戦だろうよ」


 ニトランは冷静に戦況を分析した。


「ニトラン。あのね」


 ステラが言いかけたその時、運悪くニトラン派の猫が報告に来た。


「ニトラン。雨が上がりそうだ。戦闘再開の号令を出してくれ」


「よし。分かった」


 ニトランは頷き、車の下から空を見上げた。

 にわか雨が上がり、ねずみ色の雲がちぎれて青い空がのぞいた。


「ニトラン派の猫に告ぐ。戦闘を再開せよ」


「オー」


 多数の猫たちは片足を天に向け、気勢を上げた。

 雨の降る前と同じように、激しい争いが再び始まった。両軍は入り乱れ、猫たちはめまぐるしく動いた。あちこちで鳴き声が飛び交った。猫の血や毛が、足の踏み場もないくらいたくさん地面に散乱した。猫のユートピアにかぎらず、その外でも戦いは行われた。

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