第9話 ロンの死

 昨夜と同様に、猫の家の屋根へ移動した。そこは、ステラの指定席にするにはもってこいの場所だった。体を横たえるのに充分なスペースがあいていた。

 目を閉じて心を落ち着けようとしたが、眠りを妨げる声がした。低い鳴き声でゴロンゴロン、ゴロンゴロン、と仲間の唸り声が響いた。


「いやだわ。何だか胸騒ぎがする。明日という日を無事に迎えられたらいいのだけれど」


 猫になった二日目にして、すでに動物としての本能は完全に備わっていた。周囲の物音や気配、何か起こりそうな予兆。そうしたものには、動物特有の直感と敏感さが働いた。

 何か悪いことがあればいつでも逃げ出せるよう、心の準備を整えた。芝生まで走ろう。あそこに行けば、大きな土管がある。あの中で身をひそめて、争いごとの嵐が収まるまでじっと耐え忍ぼう。前日の夜までは、ステラは戦争に加わらないつもりでいた。目を閉じて眠りについたのは、深夜遅くだった。その晩、秋にしては気温が高く、寝苦しかった。

 よからぬ事件が起きてしまった。

 明け方、断末魔が響いた。その声で目を覚ました。

 下を見ると、動物の死体が転がっている。気になって地面に下りてみた。

 薄暗い中でよく見ると、それは瀕死の猫――ロンの変わり果てた姿だった。茶トラのロンは仰向けになり、首筋に三本の傷があった。ロンは目をつぶり、苦しそうだった。


「ロン。しっかりして。ロン」


「ステラ」


「だれの仕業なの?」


「暗殺者は……ジマ」


「しっかり、ロン……。ロン!」 


 ステラはロンを揺すった。すると、ロンの口から血がたらりと流れた。ロンはぐったりして動かなくなった。


「ひどいわ。なんてひどいありさま。ロンはジマにやられたのね」


 ステラは友だちになったばかりのロンの死を憐れんだ。死体には小さな赤いトゲが数本刺さっていた。


「何だろう。この赤いトゲは」


 そこへニトランがやって来た。


「どうした? ステラ」


「ロンがジマにやられたわ。彼が臨終にそう伝えたの」


「何てことだ……。ロン、かわいそうに」


「見て、これ。死体に赤いトゲが」


「赤いトゲ。それは危険だ。触るなよ」


 ニトランは警告を発した。


「そのトゲはジマの使うトゲだ。間違いない。ジマがロンを襲った証拠だ」


「赤いトゲで?」


「そうだ。トゲは尖っていて先に毒を塗ってある」


「何てことを」


「気をつけろ。ジマがその辺に現れるかもしれない」


「気をつけるわ。ジマと赤いトゲの関係は?」


「生前、ジマはなぜかアロエを好んだ。多くの猫はアロエに含まれる成分が苦手だ。ジマだけは違った。ヤツはアロエを食べても平気な体だった。そのせいか、化け猫になったジマは嫌いな猫を殺す時に、アロエのトゲを好んで使う。それで死体に赤いトゲが残る。そういう噂だ」


「口惜しいわ。ロンとはせっかく仲よくなれそうだったのに」


 ステラはロンの死体を見て気を落とした。

 あれは昨日のことだった。


「よう、かわい子ちゃん。何してんだい?」


 屋根の上から茶トラの猫がステラに声をかけてきた。


「あなた、だれ?」


「俺か。俺は茶トラの王子でロンっていうんだ。覚えてくれ」


「ロン。私はステラよ」


「ステラ。いい名前だな」


 ロンはそう言うと、屋根からストンと塀に飛び下り、さらにぴょんと飛んで着地した。


「ステラ。今日から、俺たちは友だちの関係だ」


「うれしいわ。ロンと私は友だちなのね」


「ステラは、この辺りで見かけない猫だな」


「そうなの。猫世界に来たばかりの新米よ」


「なるほど」


「ロン。仲よくしてね」


「いいとも」


「ロン。ロンをいい猫だと見込んで教えてほしいんだけど」


「何でも訊きなよ」


「猫世界にいるハルと化け猫ジマについて、知ってることを教えてくれる?」


「いいだろう。ヤツらのことだな」


 ロンはさりげなく周囲をうかがい、遠くを見るような目つきで話し出した。


「あれは俺が二才の頃だ。夜更かししていたら、父ちゃんが傷らだけで帰って来たんだ」


「傷だらけ。ケガしたのね」


「俺は最初、仲間とケンカしたのかと思った。でも、どうやらそうじゃないみたいだった。父ちゃんは、『アイツにやられた』ってうめくように呟き、苦しそうに息をして倒れ込んだ。どう考えても、普通じゃないだろ?」


「きな臭いわね」


「後で母ちゃんから聞いた話では、父ちゃんは化け猫ジマと闘った。金網に追い詰められ、ジマの爪で背中を引っかかれた。俺は不安になった。それから二日とたたぬうちに、父ちゃんは消えた。父ちゃんを発見したという猫に付き添われて川に行くと、川岸でぐっしょり濡れて死んでいた。父ちゃんの遺体のそばに赤いトゲが落ちていた。ジマにとどめを刺されたんだ」


「ロン。辛かったでしょ」


「本当さ。とても辛かった。俺は父ちゃんの敵討ちを誓ったよ。絶対にジマを倒すって」


「化け猫ジマ。恐ろしい猫ね」


「ジマには実体がない。もう死んでいる。化け猫だから、他の猫の体に入り、魂を乗っ取れる。厄介な敵だ」


「いろいろ分かったわ。ありがとう、ロン」


「まだ喋り足りないけれど、俺には用事がある。今度会ったら、その時にハルの情報を教えよう。じゃあな、ステラ」


 ロンはスタスタと道を横切り、側溝の中に入ってしまった。

 それがロンの死ぬ前日の言動だった。


「ニトラン。私、口惜しいわ。ジマを憎む」


「それは当然だ。派閥の抗争が激しくなりそうな気配だな」


「ジマへの報復は必ず実行するわ」


「それは俺も賛成だ。ただ、もう少し様子を見よう。様子を見てから動くとしよう」


「慎重ね」


「そりゃそうだ。相手は恐ろしいジマだ。急いで攻めると、敵の思う壺にはまるかもしれない。ジマを倒すには、機が熟するまで待つ。それが賢明だろう」


「それは確かにその通りだわ」


 その日の昼前、別の猫がよたよたしながらやって来て、地面に倒れ込んだ。


「だいじょうぶか」


 ニトランが猫の背中を撫でる。


「ニ、ニトラン。ジマが暴れている。何とかしてくれ。俺も傷を負った」


「しっかりしろ。ジマのヤツめ。もう許さん」


「ジマはユートピアに陣取ってる」


「分かった。方針転換だ。これから仲間を集め、ユートピアに行く」


 ニトランはそう言い、空を見上げた。何かを誓うように虚空を見つめた。


「ニトラン。私も行くわ」


「ステラ、きみは」


「いいの。覚悟はちゃんとできてるわ。私も戦う。ロンはお父さんの敵討ちを果たせずにジマに殺された。今度は、私がロンの敵討ちをする番よ」


「そうか。こちらの世界に来て間もないのに、きみを巻き込むのは気が引けるが」


「しかたないわ。ロンのために、みんなのために、戦うの」


「よし。じゃあ、ついてこい」


 ニトランは歩きながら仲間を呼び寄せた。ニトラン派は大勢になり、緑の草原に集結した。

 一行はユートピアの入口に移動した。

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