第8話 猫の派閥
どのくらいそこで休んでいたのだろう。眠っていた。聞き覚えのある声で目を覚ました。
「ステラ、ステラ」
「どうしたの? ニトラン」
「そろそろ起きろ」
「なぜ? もっと寝ていたいのに」
「きみは猫の仁義というものを知らないだろ?」
「なに、それ」
「猫世界の掟みたいなものさ。それを守らないと、猫世界では暮らしてゆけないんだ」
「そうなの? ずっと平和で気楽なんだと思ってた。案外、猫の世界も面倒なのね」
「いいか、ステラ。よく聞いてくれよ」
「うん。どうぞ」
ステラは前足を出して、話を進めるよう促した。
ニトランはこんな風に説明を始めた。
「ユートピアを一歩出ると、様相は一変する。人間がいるし、猫の敵となる動物もいる」
「そのようね」
「猫同士の関係も異なる。ユートピア内ではみんな自由の身だが、石垣の外では俺の率いるニトラン派と、ハル・ジマ派に分かれるんだ。二つの派は縄張りを巡って対立し、争っている」
「まぁ」
「つまり、派閥争いだな。悲しいことだが、それが現実の猫社会だ」
「ニトラン派と」
「ハル・ジマ派だ。ハルは長老猫で悪の帝王。ジマはもう死んでいるが、化け猫として力を持ち、あちこちに出没して活動する。今もハルと組んで、悪い勢力のトップに君臨している」
「ああ、思い出したわ。セイナでいた時に、ハルとジマの名前を聞いたの。あれは、そう。テレビの音声が聞こえたわ。その台詞に、長老猫ハルのお告げとか、化け猫ジマがタケルに取り憑いているという情報が出てきたわ」
「そうか。だれかの声なのか」
「そうよ。人間の男の声。あれは誰かしら」
「知っている人間か」
「さあ。そうとも、違うとも言い切れないわ。テレビが急についたのよ」
「なんて言ったんだ?」
「そこにいた私に向かってね。『もうすぐ猫戦争が起きる。タケルに取り憑いた化け猫ジマを倒してその魂を壺に封印し、七十二時間以内に猫戦争を終わらせろ。そうすれば、タケルの意識が戻る』って。おかしいでしょ?」
「おかしいな」
「あ、タケルってのは、私が人間の時に好きだった相手の男子のことよ」
「なるほど。男のだれかの声で、猫戦争が起きると明言したんだな」
「そうよ。信じていいのかしら」
「七十二時間以内。もし猫戦争が起きれば、タケルのことを考慮に入れなくちゃならないのか。長引かせてはならないな」
「ねぇ。七十二時間という制限時間が設定されているとして、それ以内にすべてが上手く行った時には、本当にタケルの意識は戻るのかしら」
「ふむ。何とも言えないな。俺には制限時間のことはよく分からない。でも猫戦争は起きそうな気配を感じる」
「そうなのね。ところで、ニトランは近所の飼い猫でしょ? ハルやジマの恐ろしさを知ってるの?」
「よく知っている。身をもってヤツらの恐ろしさと残虐ぶりを目にしてきたよ」
「そうなんだ。ねぇ。どうして派閥ができたの? 縄張り争いだけが原因?」
「もっともな質問だ。縄張りだけの問題じゃない。猫世界の長い歴史が関わってる」
ニトランは顎を上げ、昔の猫世界をゆっくりと話し出した。ステラは猫耳をピンと立て、彼の談話に聞き入った。
遠い昔、猫は野生環境から人里に近づき、人と共生して暮らし出した。その頃の猫には一定の縄張りというようなものはなく、人の住む地域の周辺を他の猫たちとゆるやかに共有し合っていた。互いに狩りをし、時には協力してネズミを狩った。余ったネズミを力の弱い猫に分け与えた。猫同士でケンカすることも争うこともなかった時代といえる。ところが、人になつき出してからしばらくして、猫の覇権争いが起こった。猫の長老は争いを抑えようと猫たちをなだめることに躍起になった。しかし、それもむだなことだった。猫世界は正義と悪に分かれた。正義を掲げる「勇者の猫」と悪を信奉する「魔王の猫」が、手下たちを集めて戦いを始めた。戦いは熾烈を極め、多くの猫たちが犠牲となった。力に勝る「魔王の猫」は「勇者の猫」率いるグループを人里から駆逐した。山深い森に逃げ込んだ「勇者の猫」たちは山で体を鍛え、反撃する機会をじっと待った。
待ち望んだ時が訪れたのは、ある晩のことだった。満月が前触れもなく欠け出し、夜空は暗くなった。皆既月食だ。その時間を合図に、「勇者の猫」グループは里山から大群で人家に押し寄せ、ひるんだ「魔王の猫」グループを襲った。闇討ちに遭い、次々と部下の猫を半殺しにされ、「魔王の猫」は海岸に追い詰められた。後ろは断崖絶壁になっている。体をひねって着地しようにも岩が突き立っているし、荒い波が押し寄せる。とても危険な場所だ。さすがの「魔王の猫」も許しを請うた。
「どうか、殺さないでくれ。命だけは助けてくれ」
「だめだ」
「俺たちはおまえたちに協力する。仲間も殺され、こちらは力を失った。頼む」
答えは決まっていた。「勇者の猫」は腹黒い相手にこれまで散々たぶらかされてきた。問答無用で「勇者の猫」は「魔王の猫」を突き飛ばし、悪は波の砕け散る海のもくずと消えた。
それからというもの、平和な時代がつづいた。何百年もの間、大きな争いはないに等しかった。長老になった猫がケンカなどの仲裁に入り、猫世界の秩序は保たれた。
ところが、百年前にまた種族の分断が起こった。「魔王の猫」の血を引いたのか、悪い猫が力を持ち、家来を増やして秩序を乱し始めた。「勇者の猫」の系統を引くグループは何度も忠告し、悪い猫を排除しようと試みた。しかし、歴史は繰り返された。再び、正義対悪のグループに分かれ、闘争の日々が始まった。その当時は猫の餌も少なく、各地で飢饉が発生していた。正義か悪か。どちらかのグループに属さなければ、単独で食べ物を確保するのは困難な状況がつづいた。二大グループは猫の数をどんどん増やしていった。この界隈の猫の大半はどちらかのグループにつき、生きて食べてゆくために争いに参加せざるを得なかった。もう、それは猫戦争と呼んでも差し支えなかった。
猫戦争の期間、ほとんどの猫が傷だらけになり、苦しみを抱えて一生を過ごした。
そうして、さらに歳月が流れ、今の時代へと受け継がれた。戦争こそ下火になったものの、今も正義と悪の二手に分かれている。食糧や暮らす土地を確保するための縄張り争いという形をとり、ニトラン派とハル・ジマ派は互いの理想を掲げ、小競り合いをつづけている。
ニトランの長い談話は終わった。
派閥争いをつづけた背景や原因は、ステラにも分かった。それでも、まだ承服しかねる点があった。その表情から気づいたのか、ニトランは彼の意見を付け足した。
「どの猫もそういう風に言うが、けっきょくのところ、猫の中で力に強弱ができたことと、猫のエゴ。その二つが根深い原因を作っている。俺はそう思うよ」
「猫のエゴって?」
ステラは素直に問うた。人間ならまだしも、猫としてこうしたい、こうありたいという気持ちが生じ、そのように主張して振る舞うものなのか。ステラは疑いを持った。
「力を持ちたい。持って、猫の頂点に立ちたい。立てばそれを誇示し、大勢の家来やグループを従え、反発する猫たちを力ずくで従わせたい。そんな気持ちはエゴそのものさ。その部分は、俺の中にも多少はあるがな」
「ニトラン。たとえニトランがどちらかのグループの流れをくもうとも、同類で争ったり、傷つけたりする猫なんて、私は見たくないわ。どうにかならないの?」
「ならないね。なるとしたら、俺の率いるニトラン派がハル・ジマ派を倒し、平和な猫社会を再構築すること。それ以外に道はない。ハルや化け猫ジマは悪の権化そのものだ」
ニトランは口を歪め、吐き捨てるように言った。
ステラは、フーとため息をついた。人の世界と猫世界。生きているかぎり、優劣や争いが絶えないのは同じなのかと思った。
しばらくして、一匹の猫が息を弾ませてやって来た。ステラと同じ白猫だ。
「ニトラン。聞いてくれ」
「どうした?」
「俺たちはいつものように人家へ行った。餌を探しに」
白猫は言った。
「それで?」
「それで、連中が来たんだ。猫狩りの連中が」
「猫狩り? 市役所の?」
ステラは話に割り込んだ。
「市役所は人間の苦情があれば、いつでも動く。俺たちの仲間は連中にやられた」
「捕まったのね?」
「捕まえるのが彼らの仕事さ」
白猫は言った。
「ステラも人間の時に見たことがあるかもしれない。市役所の連中が野良猫を狩る目的で捕まえに来るのを」
ニトランはステラの方を見て言った。
「それなら知ってるわ。ひどい話よね」
「それだけではすまない。一定の成果を上げて実績を強調するために、外に出た家猫や犬も一緒に生け捕って殺処分すると聞く」
ニトランは猫狩りの実態を説明した。
「そうなの?」
「悲しい現実だが、ニトランの言うのは正しい」
白猫は認めた。
「それもこれも、獲得した予算を使い切るためなんだそうだ」
ニトランはその背景まで知っていた。
「いかにも役所らしいやり方ね。動物たちにはなんの罪もないのに」
ステラはミャアと鳴いた。無念さを鳴き声で表現した。
白猫は、市役所の連中に警戒するように、と注意を促して去って行った。
猫が生きていく中での現状を聞き、その日はやるせない気持ちだった。気分を変えようと、陽光の降り注ぐ芝生を散歩した。短い草のクッションは、いつでも肉球をふんわりと受け止めてくれる。そんな風に、すべての猫の思いをふんわりと包み、はやる気持ちをゆるやかに忘れさせてくれる神さまのような存在の猫がいればいいものを。僧侶か尼僧のように、猫世界の平和と安寧を願うのだった。
太陽はあっという間に山の端に沈み、夜となった。
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