第52話
◇
「ただいまかえりました。獏さん……」
「おかえりなさい、楽しかったですか?」
眠っていると思ってそろりと店に入ったのだが、獏は態々二階から降りてきて出迎えてくれた。
「はい。とっても楽しかったですよ」
「おや、少し顔が赤いですが大丈夫ですか?」
そう指摘されてふと先程のことを思い出した。
世間話のような感覚だったが、今思えば先ほど自分は異性に告白された上に振った挙句目の前の男を好きだと告白してきたばかりなのだ。
思い返せば思い返す程、どんな顔をして獏の前に立てばいいのか分からず結は大丈夫だと誤魔化したようにそっぽを向いた。
「……何かありましたね?」
唯でさえ勘が鋭い獏のことだ、誤魔化しが通用しないことは最初から分かっていた。
しかしここであのことを悟られるわけにはいかない。結は必死に別の話題を探した。
「そ、そう。占いしてもらったんです……当たるって有名な商店街の占い師さん。知ってますか」
「――……いえ、知りません」
あからさまに話題を変えられた獏の不審そうな声が聞こえる。
嗚呼、悪い方向に進んでいってしまっている。どうにかして話題を明るい方へ持っていかねば。
結は必死に考える物の、一度下り坂で転んでしまえばそう簡単に止まることはできない。
「そこで、死相が出てるなんていわれちゃって……それで――」
「――貴女に、死相が?」
気づいたときには遅かった。完全に墓穴を掘ってしまった。
見えなくても、目の前の獏がとんでもない表情をしているのは明らかだった。
「でも、たかが占いなんで全然大丈夫ですよぉ。はは、今日は色々あって疲れちゃったんでさっさとお風呂入って寝ますね」
どうしようもなくなった結は最終手段に出た。
そそくさと話を切り上げて、二階の自室に逃げ込もうとしたが無論それを獏が許す筈がなかった。
腕を掴まれて引き止められる。その手は力強く、振りほどくことはできなかった。
「獏さん、本当に大丈夫ですよ?」
恐る恐る声をかけると、獏がその腕を思い切り引き寄せた。
何の抵抗もなく結の身体はぽすりと獏の腕の中に入った。何が起きたか分からず、結は驚いて口をぱくぱくとさせている。
それもそのはず。いきなり想い人にこんな形で抱きとめられるなどとは思ってもいなかったからだ。
「――ば、獏さん……、あの?」
獏は黙ったままなにも語らなかった。怒っているのか呆れているのか、表情が見えない結は彼の感情は計り知れずにいた。
そうして暫く獏に抱きしめられたまま黙っていた。着物、いや、彼自身からは様々な香の香りが混ざった甘いような苦いような香りがする。
しかし不快感は一切ない。寧ろ結は獏の匂いが好きだった。流れに任せ、思い切ってその背に手を回そうとした時まるでタイミングを見計らったかのように体を離された。
「なにかあったらいってくださいね。それと今日はこの香を焚いて寝てください」
獏は悲しそうに微笑んで、結の手にいつものように夢香を握らせた。
まるで医者が出す処方箋のように、彼に夢香を渡されることもすっかり日課になった。
今日はどんな夢が見られるのだろうか。結は少し期待したように渡された香を握りしめた。
結が恐れていた占い結果の追求はこれ以上してくることはなかった。安心したようにほっと息をつく。
「いつもありがとうございます。獏さんが渡してくれる夢香はどれもとってもいい夢が見れて……その、今更なんですけど最近寝るのが楽しみなんですよ」
「そうですか。それは良かった……本当に」
今まで散々夢を毛嫌いしていた自分が何をいっているんだと困ったようにはにかんだ。
獏はその言葉にとても嬉しそうな声音で呟くと、ぽんと結の頭を優しく撫でた。
「おやすみなさい。結さん……良い夢を」
「おやすみなさい。獏さんも良い夢観てくださいね」
二人は微笑みあって一緒に二階にあがり、それぞれの部屋に入った。
最後まで獏が心配そうに結を見ていたが、あえて彼は何も声をかけることはしなかった。
それが幸か不幸か、その夜を最後に二度と結は目覚めることはなかった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます