第48話
◇
長い間怠惰な生活を過ごしてきた。
そんなある日、眠りについた俺は懐かしい感覚を覚えた。
果てしなく広がる真っ暗な空間。何度も来たいと恋焦がれた、夢世に俺は立っていたのだ。
何故、急に。またリンが気まぐれでも起こしたのだろうか。
急な状況に混乱しながら辺りを見回すと、そこにはぽつりと一人の少女が佇んでいた。
夢魔のような純粋で卑劣な気配は感じない。恐らく彼女は人間なのだろう。
いや、きっと自分で無意識のうちに夢香を焚いて眠っていたのだろう。俺は夢を観ているだけだから彼女が俺を認識できるはずがない――。
興味本位で彼女を見つめていると、かちりと視線がかち合った。
「俺が見えるんですか」
「それ毎回聞くつもりですか? 貴方の姿はしっかり、はっきり、くっきりと見えていますよ」
彼女は――結さんは、俺を見た途端、嬉しそうに肩を竦めて微笑んだ。
驚きと、嬉しさが込み上げた。あれから百年以上の時が経って、ようやく俺の姿を見て微笑んでくれる者が現れたのだ。
話を聞くと彼女には現世と夢世を繋ぐ不思議な力があった。
彼女の力を借り、夢世に行きリンに奪われた時間を取り戻すための道具になるのではないかと思い、夢香を入れた匂い袋を彼女に託したのだ。
その匂い袋はもう一つ持っていて、それがあれば彼女と俺の夢を繋ぐことが可能になるのだ。
最初は興味本位で、利用するために近づいた。だが段々と彼女と過ごす時間が楽しくなった。
眠ることが、夢を見ることがこんなに楽しいと思ったことは久しぶりだった。
彼女が放つ夢の香りはとても香しく――亡き妻、紫苑と同じ甘い香りがした。
そしてそんな平穏な日々は、ある日突然奪われた。
結さんのご両親が亡くなったのだ。彼女が見た正夢が、両親を奪ってしまった。
否、両親は元々亡くなる運命で、その光景が彼女の夢に形となって表れただけかもしれない。
「貴女の力は視た夢を言霊によって現世に繋げる。とても有能ですが、決して万能ではない。みてしまった正夢は何があっても覆せない。貴女自身は夢に対して無力でしかないのです」
彼女は夢を勘違いしていた。そして自分の能力を勘違いしている。
見た夢を言葉にするだけでその夢は形となって現世に影響する。使い方によっては良くも悪くもなる強大な力だ。
そして彼女はその力のせいで、自分のせいで両親が亡くなってしまったと責を感じていた。
しかし、正夢に関しては誰のせいでもないのだ。例え彼女でも、夢魔であっても正夢だけは覆すことができない。
「……ですから、このことに関して貴女が責任を感じることはない」
だから、決して貴女のせいではない。そう伝えた言葉は彼女に届いていなかった。
彼女からは酷い悪臭が漂っていて、このままでは悪夢に飲み込まれてしまう。
「ああ、今の貴女はとっても不快な匂いがする。すぐに良夢の夢香を焚かないと」
その力は決して人を不幸にするものではない。現に、俺という一人の男は貴女のその力に救われたのだ。
このまま彼女が壊れてしまう――あれ以来誰にも興味を持たなかったこの俺が、目の前の少女を助けようとしていた。
しかし俺の想いは、まんまとあの夢魔に奪われた。
彼女は、俺の目の前でまんまと夢魔に両目を差し出した。
「うふふっ、この女馬鹿ねぇ……目が見えないからって夢が見られなくなるわけないのに。ほんっと、馬鹿で可愛い子」
久方ぶりに見たリンは何も変わっていなかった。
意識を無くした彼女を抱え、その頬を愛おしそうに撫でまわしている。そうして俺を見てくすりとほくそ笑んだ。
俺の大切なものを、目の前で全てを奪ってやる。そういわんばかりの瞳だった。元より夢世に入る権利などなかった俺は、リンを止めることも、ましてや結さんを救うこともできなかった。
そうして結さんはボロボロの状態で店にやってきた。
慣れない暗闇に包まれた生活。様々な所にぶつかり、転んだ。しかし決して泣くことはなかった。
そんな彼女が涙を流すのは、悪夢に魘されている時。本人は気づいていないのかもしれないが、彼女は魘されながら泣いていた。
目が見えないからといって夢を見ないとは限らない。まんまと夢魔に騙されて、まんまとその目を奪われた、哀れで滑稽な女。
最初は利用するだけだった。だが、いつの間にか情が沸いた。
夢を見られない俺。夢を見たくない彼女。それでも、彼女は俺の為に必死に力を貸してくれた。
「獏さんのお役に立てるなら、私……頑張ります」
強がって笑う姿は、紫苑とよく似ていた。
「いいえ。狡いけど。優しくて、とても寂しそう……だから何かを隠すようにいつも笑ってるんですよね」
紫苑と似ているが、結さんは紫苑とは違った。
例え目が見えなくとも、彼女は俺のことをしっかりと見てくれていた。
俺の存在を認識して、受け入れて、俺の薄汚い心を知っても尚俺を受け入れてくれた。
結さんにはいっていないが、最近ぼおっと呆ける時間が多くなった。恐らく夢魔であるリンと目が繋がっていることが多いからだろう。
彼女が夢に捕らわれてしまわないように、俺はいつも彼女に夢香を渡した。守るために。傍にいるために。同情はいつのまにか愛情に変わろうとしていた。
「またサボっていたんですか。仕事してください」
「あいやぁ、これはまた……」
眼を覚ますと彼女がいた。結さんが俺の名を呼ぶ声が、呆れた顔が、彼女が困る姿を見るのがとても楽しくて好きだ。
誤魔化すように笑いながらその髪にそっと触れる。ふわふわと柔らかな髪が、手が、その全てが愛おしい。
「なんですかそのにやけ方は……今日はどんな夢を観てたんですか」
「……懐かしい夢をちょっとだけ」
仕方ないですね、と困ったように笑いながら俺の髪を撫でる。
意地悪だと嫌味を返しながらも、しっかりと俺を見てくれている彼女がとても嬉しかった。
そうして夢の終わりを迎える。
長い間生きてきて、自身を見失わないように時折見ていた自分自身の記憶。
自分自身の記憶を半ば無理やりに夢香に写した。
彼女と出会い、僅かに見た夢を記憶を慌てて香に移した。それらを混ぜ合わせて作った自身の夢香。
大切な、誰にも奪われたくない、#夢見堂霞__俺__#の記憶――。
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