第47話


 その後、俺は紫苑との間に子をなした。

 彼女の父親がいった通り、とても丈夫な息子が生まれた。例え鬼のような男も孫には弱いようで、父も義父も可愛い孫に共に鼻の下を伸ばしていた。

 

 そして息子はすくすくと育ち、いつしかの俺と同じように夢見堂の仕事を手伝うようになった。

 俺もいつか倅に店の後を継がせるつもりはあったのだ。


 ――そこで、俺はもう一つの異変に気付くこととなる。

 子が成長するということは親は老いていくということ。俺より年下であったはずの紫苑が年を重ねていく中で、俺の容姿は一切変化がなかった。

 若々しいですね、と客にはいわれるがそんな生易しいものではない。文字通り、俺の身体は若いまま時を止めているのだ。


「紫苑。俺は、老いない体になってしまったかもしれません」


 確証はなかった。今は若々しいだけだと笑い話になる。しかし今後五年、十年と時を重ねていけば嫌でも結論は出される。

 何故自分がこんなことになったのか――恐らくあの時のリンの影響だろう。

 彼女に問い詰めようにもあれから俺は一度も夢を見ることがなくなっていたのだ。

 自分が化け物になってしまった気がして不安で堪らなくなった。

 その不安を妻にだけは知っていてほしかった。か細い呟きに紫苑は驚きはしたものの、俺を恐れることはなかった。

 何をいっているんだと嘲笑うこともなく、悲しむこともない。唯、俺の手を握り安心させるように柔らかく微笑みを浮かべた。


「大丈夫です。私は貴方の姿が見えませんから、仮に私が老いて貴方がそのままの姿でも……姿が見えることはないから、気にしないでください」


 彼女は俺を励ますためにいってくれたのだろう。

 しかしその言葉が嬉しくもあり、そして同時に寂しく、何故だか悲しくなった。

 俺は紫苑を確かに愛していた。そして紫苑も俺を愛してくれていた。だが、何故だか彼女のその言葉は酷く冷たい氷柱のように俺の心に深く突き刺さったのだ。



「父上は何故老いないのですか」


 俺と同い年になった息子がバケモノでも見るように俺を見た。

 それもそうだ。この時代は今よりも寿命が短い。親が自分と同じ年のままいつまでも老いることなく生きていることが恐怖で堪らなかったのだろう。

 それでも息子は俺に似て香への探求心が人一倍強かった。化け物だと思いながらも、香への興味からか息子はいつも俺に教えを求めに来た。


「夢香を作り方を俺にも教えてください」

「駄目です。これは俺にしか作れません」


 夢を見られなくなった俺が、縋りつくように逃げたのが夢香だった。

 夢世に入れない俺でも、夢を閉じ込めた夢香では夢をみることができた。しかしどんな夢でも、本を読むかのようにあくまでも客観的に観るだけだったが。

 だからせめて俺は観られる夢を増やそうと、研究を重ねた。

 その中で人から直接見た夢を香に移せる、ということが分かったのだ。それが判明してからというもの、書物を集めるかのように夢の売買と称して様々な夢を人から集めた。


 夢香の作り方を教えないのは息子のためだった。

 俺のように馬鹿な気を起こさないように。夢魔に騙され無様な不老不死の身体にならないようにと。

 第一当時の俺は夢を集めることで頭が一杯だった。

 息子にはそれなりに愛情を注いでいたつもりだが。この先の果てしない時代を一人で生き続けると思うだけで、堪らぬ不安に襲われて――息子にきちんと向き合うことはしなかったのかもしれない。


 そしてある日とうとう息子は俺に愛想を尽かせて家を出ていった。

 その際に俺が大切に保管していた幾つかの夢香木を盗み、“夢之蔵”という香屋を開いたそうだ。


「……息子にも愛想をつかされ、そしていつか貴女も俺の元から去ってしまうのですねぇ」

「大丈夫ですよ。私は最期まで霞様の傍におりますよ」

 

 紫苑はいつも朗らかに笑って俺の傍にいてくれた。彼女だけが俺の救いだった。

 だが、彼女にもいつしか死は訪れる。そしてその時はついにやってきてしまった。


「――……逝くのですか」

「ええ、貴方を一人にするのは悲しい、ですけれど……」


 布団に横たわる紫苑の手を握った。

 今にもこの暖かな手から温もりが消えそうになっている。


「霞様。私は、貴方に出会て幸せでした。私を救ってくれた貴方と共に歩めた生涯は……本当に幸せでした。ですから、どうか霞様もお幸せに――」


 そして彼女は亡くなった。なんとも満足そうな、幸せそうな顔だった。

 彼女のその言葉を聞いて、その表情を見て、涙と笑いが止まらなかった。

 彼女は自分の人生を幸せだといった。それは実に良いことだ。だが、彼女は結局俺のことなど見ていなかったのだ。

 俺に救われたから恩を返したい。それは自分の都合だ。それに自分が幸せだったから俺も幸せだと――いや、確かに俺は幸福だったかもしれない。

 だがこの先永遠に一人で生きていく俺の不安や恐怖、孤独を知らず、彼女は幸福に一人で笑って逝ってしまった。


 どうせ俺の変化なんて彼女は気づいていなかったのかもしれない。彼女は俺ではなく、夢香に憧れていたのだ。

 彼女は俺を見て、理解してくれていると思っていたのに。勝手に期待して、勝手に失望して、自分自身が馬鹿馬鹿しくて気が狂ったように笑った。


 そして紫苑の葬儀が終わり眠りについたその日。

 久方ぶりに夢を見た。


「あの女死んだのね。とうとう一人になっちゃった」


 可笑しそうに笑いながらリンがこちらにやってきた。どうやら落ち込んでいる無様な俺を笑いに来たようだ。

 久方ぶりに会ったが、相変わらず彼女の姿は変わっていなかった。そして俺も、彼女と同じように一切変わっていない。


「……これが貴女のしたかったことですか」

「あの女も結局自分のことで頭がいっぱいだったのよ。霞のことなんてぜんっぜん、これっぽっちも見てくれてなかったの」


 紫苑と俺の生活を、彼女は一部始終見ていたのだろう。

 嘲笑うように腹を抱えて、慰めるように俺の身体を彼女は強く抱きしめた。


「ねぇ、霞。私と一緒に過ごさない。私はずっと貴方の傍にいるわ。私は貴方を理解してあげられる。その姿もこちらの世界ではなんの変哲もないのよ」

「何度もいうように、俺はそちらに行くつもりはない」


 きっぱりと言い切り、リンを睨みつけた。

 その言葉を聞いたリンは泣きそうな悔しそうな表情をして俺の頬を平手打ちした。


「そう。じゃあもう二度と救いの手は差し伸べないわ。干からびるまで、ずっと永遠と一人で生きていなさい!」


 そうして俺は二度と夢を見ることは亡くなった。


 それから長い、長い時を生きてきた。夢を見る事もできず、時を動かす事もできず。誰に見られることもなく、たった一人で。

 時が流れないこの体が怪しまれないように、俺は息を潜めて生きてきた。流れていく時代の中で、段々俺の存在を目にとめるものなど誰も現れなかった。 


 眠っても夢にいけない。唯暗闇の中ずっと彷徨うだけ。

 だから夢香を焚いた。自分の夢を観るために夢を集め続けた。もはや商売などどうでもよかった。

 こうなったら俺は最初から夢世に行けばよかったのだと。夢世で永遠とさ迷えばよかったのだと思っても後悔はなかった。

 そうして俺は永い永い時を生きる中で、霞という名を捨て、夢を食って生きる獏を名乗った。


 自由気ままに生きて、夢を見て。

 つまらない人生を、長く、長く、孤独に生きていた。


 日々繰り返される同じ毎日。

 色あせて、擦り切れて、白黒の世界になりかけていた時――俺は彼女と出会ったのだ。

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