第40話



 結が出掛けた後獏は部屋に閉じこもっていた。

 何の気なしに部屋を片付けようと、散らばっていた書物を整理していた。

 本来整理整頓は苦手とする獏。すぐに飽きるだろうと思っていたがついつい考え事に夢中にになってしまって気が付けば数時間経っていた。

 これで彼女がこの部屋に入ってきてもしばらくは転ぶことなく歩くことができそうだ、と獏は満足げに肩を撫で降ろした。

 夢倉に偽の夢香を作らせた占い師。確か以前、ここを訪れた客からも“よく当たる占い師”の話題が上がった覚えがある。

 一体その占い師とこの店、そして夢香にどのような関りがあるのか分からない。

 だがその占い師という人物がどんな者だとしても、自分の――いや、今のこの平穏な生活を壊されるのであればどんな手段を使っても守るまでだ。

 この店を、自分自身を、そしてようやく傍に置いても良いと思え始めた大切な人々をこれ以上何人にも踏みにじられるわけにはいかないと、思った。思え始めてきた。

 ゴミ箱の中に見える夢倉が作った偽の夢香の箱を見つめ、その夢香を覆い隠すように纏めたごみを乱雑に捨てた。


 いつもの状態と比べれば綺麗に片付いた部屋を見回して一息つくと、奥にある一段に人一人入りそうな程大きな桐箪笥の一番下の段を開けた。

 その一番奥からは厳重に保管された明らかに古い香木が出てきた。その香木を小刀で僅かに削り香炉にくべる。


「嗚呼、こんなに静かなのも久しぶりですねぇ」


 今日はとても静かだ。そういえば今はこの家には自分一人しかいないのだと思い出す。

 気が遠くなるほどの永い永い時をこの場所でたった一人で過ごしてきたが、いつもいる彼女とその騒がしい友人たちがいないとどこか寂しく感じてしまう。

 自分も常人と同じように寂しさを感じる繊細さがあったのだと思って、次から次へと堪えきれない笑いが込み上げてきた。


「……この俺が、情が沸くなんてねぇ」


 いつしか見捨てたはずの少年の顔があの夢倉という男と重なった。

 当時の自分であれば香の作り方を教えるどころか手を差し伸べることすらしなかっただろう。

 自分も丸くなったものだと、ふっと呆れたように嘲笑を浮かべて獏は布団に体を預け、ゆっくりと目を閉じた。


 目を閉じると浮かぶ姿はあの妻ではなく、いつの間にか結へと変わっていた。

 最初は利用するつもりだったのに。それがいつしか彼女と共にいることが楽しいだなんて。自然と笑みを零す日がくるだなんて。

 そして亡き妻でも見破ることができなかった自分自身の本性を、彼女は全てを見ていてくれた。

 彼女といると冷めきっていた筈の心がぽかぽかと温まる。こんな気持ちは久方ぶりだ。

 しかし情が沸いたとて、自分と彼女では流れる時間が違う。想いを寄せるだけ無駄なことだ。


「ただいま帰りました。獏さん、寝てるかな……」


 身体を起こし火をつけようとしたところでその時彼女の声が聞こえた。

 いつもなら迎えにはいかないのだが、今日は迎えにいってやろう。

 そして彼女とまた他愛のない会話をして――今夜は懐かしい夢を見ようじゃないか。

 獏は取り出した香を箪笥にしまい、下に降りていった。


「おかえりなさい。結さん、楽しかったですか」

 

 


◇第五章/夢贋る 完

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