第39話

「そういえば、ずっと思ってたんですけど。夢見堂でしか作れないはずの夢香がなんで夢倉さんのお店にあったんですか?」


 壮絶な夢見を終えた三人は、店内の上がり框に座ってかりんとうをお茶儲けに一服していた。

 かりんとうをつまみながらふと結は疑問に思っていたことを口にした。

 その言葉に夢倉も同意したように頷いた。この夢香は夢見堂でしか作れないということが彼も分かったはずだ。

 ならば何故その夢香が夢倉の店、夢乃蔵に受け継がれていたのかだ。


「貴方の店に受け継がれていた夢香木は恐らくこの店から持ち出されたものですね」

「な――なっ。百年以上も前の話ですよ。何故そんなことが分かるんですか」

「さぁ、どこかの誰かが記録に残したのでしょう」


 驚きを隠せない夢倉と結だが、獏は一切表情を変えることなくお茶を啜りながら平然と告げた。

 彼の言葉が事実かどうか、当時の時代を生きていない夢倉たちにはわからない。

 だが獏の言葉は真実の様にも聞こえるし、いつものようにホラを吹いているのかもしれない。

 獏はその心の中が読めない程の張り付いた笑みを浮かべ、茶を啜っている。


「そうだ、雪見さんこちらをどうぞ」


 まるで菓子を差し出すような感覚で、獏は雪見に香を渡した。

 懐紙の中にはいかにも古そうな真っ黒な香が包まれていた。


「これは」

「貴方はこれから香の世を支えていく方だ。これは俺が持っているとびきり上等な夢香です。精々頑張ってくださいね」

「ありがとう、ございます」


 獏の満面の笑みに、夢倉はとても感激したように嬉しそうに微笑んで香を受け取り、その激励を噛み締めるかのように深々と頭を下げた。

 基本獏が相手を褒めたり何かを差し出すということは何か企みがあるということ。

 感動的なそのシーンを見ながら、結は引き攣ったように頬をぴくりと動かしていた。


「色々とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。あの香は私が責任をもって回収します。

 そして今度は客としてこちらの店に遊びに来させていただきます。では、これで」

「ありがとうございました」


 夢倉が店を後にしようと立ち上がった時獏が何かを思い立ったように呼び止めた。

 

「最後に一ついいでしょうか。貴方は何故突然夢香を作り、売ろうと思ったのですか」

「……お恥ずかしい話なのですが、夢香を知るという占い師さんに“お香同士を混ぜ合わせると面白いものができる。それを売ると商売繁盛の運気が流れ込んでくるよ”といわれまして。

 夢乃蔵も昔ほど経営が円滑に進んでいるわけではなくて、藁にも縋る思いでした」


 その発言に獏はぴくりと眉を動かした。表情が凍り付いた獏を見て申し訳なさそうに夢倉は肩を竦めた。


「今思えば私自身何故こんなことをしていたのか定かではありません。例えるなら、まるで操られるように夢香作りのことしか頭になくて。

 でも、今日ここですとんと憑き物が取れたような気がします。明日から私も心を入れ替えて自分にしか作れない飛び切りの香を作りたいと思います」

「それが宜しいですねぇ。一つ忠告をすると、占いなんて得体のしれないもの信じない方が身のためだと思いますよぉ」


 夢倉は憑き物が落ちた様な晴れやかな表情を浮かべ深々と頭を下げた。

 そしてまた遊びに来ますと、微笑みながら今度こそ店を後にした。

 しんと静まり返った店内で、二人は同時にお茶を啜りほっと息をついた。


「夢倉さんに何を差し上げたんですか」

「俺が所持する夢香の中で本物の霊が出てくる、最も恐ろしい凶夢ですよ……くくく、古くから伝わる四谷怪談の恐怖を思い知るといい」

「――――」


 未来ある若者に激励を送ったというのは真っ赤な嘘だった。この獏という男は一度嫌いになった相手は徹底的に苛め倒す悪魔である。

 悪役のように怪しく笑いながらかりんとうを頬張る獏に結は唖然と口を開けた。


「……なんで、夢倉さんにあんなに意地悪だったんですか」

「つい見覚えのある生意気な姿を重ねてしまって、ついつい苛めたくなるんですよ」


 煙管の中にいれた葉に火をつけて、煙を吐き出しながら何かを懐かしむ様に遠くを見つめた。


「そういえば、夢香木本当に盗まれたんですか?」

「ええ、俺は店で扱う夢は全て覚えています。間違いありません」


 普段の記憶力はあまりないというのに、夢香に関してはとてつもない記憶力があるようだ。

 その記憶力を客の名前を覚える方向にも使ってほしいものだ。


「でも代々伝わってたものだっていってましたけど……店長のご先祖様が記録でも残してたんですか」

「記録なんてありませんよ。唯、あの引き出しの中にぽっかりとなにも入っていない棚があったのでそう思っただけです」


 ぎょっと結は身を引いた。あれほど自信満々につげて、夢倉もそれなりの罪悪感を感じていたというのに――盗まれた確証なんてなかったではないか。


「確証もないのに、そんなこといったんですか」

「記録はなくても記憶はあります。それにすぐに取り返しに行くほど大した香でもなかったんじゃないんですかねぇ」

「どういうことですか?」


 獏が何をいわんとしているか、その意図が理解できず結は困惑して首を傾げた。


「俺ならば盗まれて困ったり、誰にも触れさせたくない程の貴重な夢は自分の手元に置いておきますから」


 まるで盗まれた香を作ったのは自分だ、とでもいっているかのような全てを見透かした笑みに結は背筋がぞくりと凍るのを感じた。

 普通の人間ならば百数十年も生き続けることは不可能だ。しかしこの不思議な雰囲気を漂わせるこの男が“俺は実は不老不死です”といっても信じてしまうだろう。

 だが獏ともいえど人間だ。まさか江戸時代から生きていることなんてありえないだろう。と結は一瞬脳内に過った推測を頭を振って消し去った。


「そういえば結さん気分は大丈夫ですか」

「はい。いまは割と落ち着いてますよ」

「……あんな変な夢につき合わせて申し訳ありませんでした。良いお香を差し上げますので、良い夢を見てください」


 獏は先ほど夢倉に渡したように懐紙に包んだ香を結に差し出した。

 まさか自分にも彼と同じ香を渡してはいないだろうか、と思ったがきっと獏の口ぶりからして恐らくそれはないだろう。

 香を手にした結はどこか困ったような表情を浮かべる。


「……どうかしましたか」

「私は……夢は嫌いです。できることなら見たくはないです」

「よぉく存じ上げておりますよ」


 その言葉に獏は困ったように肩を竦め微笑んだ。

 結は少し項垂れながら渡された香を手の中で優しく包み込んだ。


「――でも、店長は私が悪夢を見ないようにこうして香を渡してくれているのですよね」

「魘される結さんみるのも可笑しくて好きですけどねぇ」


 夢を見たくないといいながら、悪夢に魘される自分に獏がいつもこうして吉夢香を渡してくれる。それはきっと獏の優しさなのだ。

 素直に礼を述べると、このひねくれ者の男はきっと誤魔化すのだろう。


「……本当に性格悪いですよね、獏さんは」

「ふっ、誉め言葉として受け取っておきますねぇ」


 だから結も遠回しに礼を述べた。素直じゃないな、と獏は全て理解しているように可笑しそうに肩を揺らした。

 うん、でも。いや、そんなことをいいたいのではないと結は首を横に振った。


「夢は嫌いです。でも、獏さんの作る夢香は……私に見せてくれる夢は、好きですよ。だから……」

「だから?」

「私がなにか獏さんの役に立てることがあるのであれば、これからも協力します」

「――……ありがとうございます」


 滅多に笑顔を見せない結が笑ったことに、獏は虚を突かれたように目を見開いた後笑顔を浮かべた。


「あの、獏さん。一つ聞いても良いですか」

「はい」

「奥さんどんな人でしたか」

「……何故、そんなことを」


 突然の問いかけに獏は僅かに目を見開いた。

 結も何故突然こんなことを口走ってしまったのか、驚いたように慌てふためいた。


「い、いや……あんまり店長のこと聞いたことないなぁ、と思って」

「嗚呼、あまりにも昔のことなのであまり詳しくは憶えていませんが。とても朗らかで優しい人でしたよ。どことなく結さんに似ているかもしれませんねぇ」


 獏の声はどこか遠くに話しかけているようで、遠い昔を懐かしむような感情が感じ取れた。

 獏が結をここまで世話を焼いてくれているのは亡くなった妻に重ねているからだろうか。

 彼の口から妻の話を聞けば聞く程、自分の存在は彼の中にはないのだと思い知って結は聞いたことを後悔した。


「――……でも、彼女は最後まで俺を視てはくれませんでしたから」


 懐かしむ様に絞りだした獏の声は、どこか寂しそうだった。

 視力的な意味で“見ていない”のではない。きっと獏の心を、獏という一人の人間の全てを獏の妻は見られなかったのだろう。

 その寂しそうな声は、今にも彼が消えてしまいそうな気がして思わず獏を引き止めるように口早に結は言葉を呟いた。


「ば、獏さんは、意地悪で捻くれてて……何を考えてるか分からなくて。仕事はさぼるし、部屋は汚いし。デリカシーないし」

「……随分と手厳しい」

「でも――」


 そこで言葉を切った。

 確かに獏は酷く捻くれて、意地悪だけれど根は違う。何故ならこんなどうしようもない自分を見捨てることなく手を差し伸べてくれたのだから。


「獏さんは、とっても優しいです」

「意地悪だっていったじゃないですか」

「いいえ。狡いけど。優しくて、とても寂しそう……だから何かを隠すようにいつも笑ってるんですよね」


 その言葉の後に獏は笑みを浮かべるのみでなにも言葉を返さなかった。

 言葉の代わりに獏は彼女の頭に手の乗せ、髪の感触を確かめるように柔らかく優しく、慈しむ様に結の頭を撫でた。


「俺からも聞いていいですか」

「はい」

「結さんは今の生活は楽しいですか」


 結はすぐに返答できなかった。否、すぐに返答しようとは思わなかった。

 思い返した。今までの日々を。

 確かに出会いは人に話しても信じてもらえるようなことではない。こちらに来てからも毎日のように獏にからかわれ、弄られ、笑われてばかり。

 でも、それでも。この夢見堂で過ごす日々は楽しかった。様々な客と出会い、夢を嫌い続けていた結が――徐々に夢を見たいとおもえるようになってきている。

 そして何よりも、獏の為に、自分は逃げずに向き合おうと思っているのだ。


「――……楽しいですよ。獏さんは?」

「――……思った以上に、楽しいですよ。貴女との生活は」


 お互いにその言葉が聞けただけで、十分だったのだろう。

 それ以上の会話はなく。二人がサクサクとかりんとうを咀嚼する音だけが店内に響いていた。

 かりんとうを食べながらふと考えていたことを思い出して、結はかりんとうをつまむ手を止めた。


「あの、獏さんお願いがあるんですけど」

「俺にできることですか?」

「獏さんが鈴にいつも頼んでるかりんとうのことなんですけど――」


 その時、何かが衝突したかのような凄い勢いで店の扉ががたりと揺れた。

 

「結!」

「遠渡! いるか」


 平穏な空気をぶち壊すように、突然鈴と松笠が店に乗り込んできた。

 突然のことに結だけでなく獏でさえもびくりと肩を震わした。


「鈴、松笠……どうしたの」

「獏さん。偽物退治の途中で申し訳ないんですけど、やっぱり結を連れ出してもいいですか!」


 深々と頭を下げる二人。

 一体この数時間に何があったのか分からず、獏たちは顔を見合わせて首を傾げた。


「松笠と二人で出かけるのも嬉し――楽しいんだけど、でもやっぱり結がいないと寂しいの」

「あんな顔されて追い出されたら、誰だって気にするだろう!」


 あんな顔、とは先程鈴たちと別れた時のことだ。

 あのまま二人で出かけて、そのまま二人の時間を多く共有して自分のことなんか忘れてくれればいいと思っていた。

 これで自分から会うのは最後にしようと思って、二人を見送った。

 唯一の繋がりがある獏の依頼も、今後は自分でどうにかしようと思い獏に話そうとしていた所だったというのに――。

 まるで結の決意の邪魔をするかのようなタイミングで二人は勢いよく店に飛び込んできたのだ。


「あ、あのね。鈴、松笠。私を誘ってくれるのは嬉しいんだけど――」

「変な力があるからってお前が俺らから離れようとしても、俺達は離れねぇからな!」

「危なくなるから私に関わらなくていいとか、忘れてくれとか、そういう寂しいこといわない!」 


 やんわりと誘いを断ろうとしたところに、耳がきんとなるほど響き渡る二人の怒鳴り声。

 その言葉からは怒りと、悲しみ、そして大きな寂しさが伝わってくる。


 ああ、距離を置こうとしていたのは自分だけで二人は自分の全てを認めて、理解したうえで傍にいようとしてくれていたのだ。

 何故こういう時に目が見られないのだろう。今すぐ目の前にいる二人の顔を見て、その目を見つめて礼を述べたい。

 僅かに震える結の背中を叩いたのは獏だった。


「偽物は先程こらしめたので、大丈夫ですよぉ。あの夢を忘れるためにも存分に遊びに行ってきてください」 

「で、でも。まだ閉店時間じゃないし、後片付けとか」

「そんなもの俺がやるのでいいですよぉ。ほら、鈴さん松笠さん彼女をさっさと連れて行ってください。お二人には今度しかるべきお礼を致しますので」


 獏はぐいぐいと結の背中を押して、鈴と松笠に彼女の身を預けた。

 その対応に三人は驚いて獏を見た。なにより獏に初めて名前を呼ばれたであろう松笠は目玉が飛び出そうな程見開いていた。

 三人分の困惑を受け止めた獏は、面倒臭そうにしっしと追い払うように手を祓った。


「ほら、獏さんもいってくれてるんだし早くいこう!」

「今日はお前の好きなモン喰いに行こうぜ。鈴がご馳走してくれらしいぜ」

「――二人とも、獏さんも、有難う」


 結は僅かに涙を流しながら、嬉しそうに微笑んで鈴たちに支えられながら店を出ていった。


「――……本当に騒がしい人達ですねぇ」


 嵐が去ったようにしんと静まり返った店内で、獏はやれやれと息をつきながらかりんとうを頬張った。

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