第23話



「――お目覚めですか」

「――……え」


 目を開けた栞那は驚き狼狽えた。それもそのはずだろう。逃げ出したはずの四畳半の狭い狭い和室に自分が座っているのだから。

 状況を理解できないまま視線を彷徨わせると、皆の視線が栞那に集中していることに気づく。

 特に友里に至っては信じられないものを見るような揺れた瞳で栞那を見つめていた。


「濡れ衣着せられた上に、悪魔呼ばわり。おまけに店まで潰した挙句に結さん諸共亡き者にされるとは。いやぁ……夢とはいえ酷いことしてくれますねぇ栞那さん。そうは思いませんかぁ、結さん」

「怪しさ満載の店長はともかく私も悪者に思われてたなんて……なんかもう、嫌になる」


 獏は栞那を見据えながら可笑しそうにくすくすと肩を揺らし嘲笑を浮かべた。しかしその目は一切笑っておらず怒気を含んでいる。

 結は獏と同類の人物と見られていたことに、頭を抱えながら大きなため息をつきあからさまに落胆していた。


「……カンナ、どうして」


 驚愕の表情で栞那を見つめていた友里がようやく口を開いた。

 栞那は何かを話そうと口を開くが、声にならない空気が出てくるのみで言葉を発することなどできなかった。

 身体全体が熱いはずなのに、凍えるような悪寒を感じる。眩暈でも起きているかのように目の前が歪む。呆然と冷汗を流しながら、落ち着きなく視線を泳がせた。


「夢ですよ。今までのことが、全て」


 友里を落ち着かせるように、全てを諭すように獏はゆっくりとした口調で現実を告げた。

 綺麗な半月を描く絵に描いたような笑みを見て友里の全身にぞくりと鳥肌が立った。


「――……な、んで」

「矛盾も矛盾。いいように現実を捻じ曲げた実に夢らしい夢ですねぇ。いやぁ栞那さん。貴女の夢は何度見ても実に面白いですねぇ」


 獏は恐ろしい程不気味な笑みを浮かべたまま、まるで自分を楽しませてくれた友里を褒めたたえるかのように手を叩いた。

 友里は震える手を持ち上げて無意識に頬を抓った。夢の中で抓った時は確かに痛みのようなものを感じていた筈だ。これで、もし痛みを感じなければこの現実こそ夢ということになる。

 先ほどよりも強く爪を立てる程に強く頬を抓った。思わず涙が浮かぶほど頬に走る痛み。手を放してもじわじわと広がり続ける痛みが此処こそが現実なのだと訴えている。

 夢の中で感じた痛みはまやかしだった。抓られた頬は赤くなり、深い爪の痕を残して栞那の手は力なく落とされた。


「くくっ……現実を受け入れられないような表情ですねぇ。どれだけ自分の夢に酔いしれていたかはわかりませんが……可笑しすぎて笑い転げてしまいそうですよぉ」


 堪えられずに獏は噛み殺しきれない笑みを零した。

 その口振りや表情は人間を弄んで暇をつぶしている悪魔のようで、夢の中の彼より非常に恐ろしく感じた。


「性悪」

「おやおやぁ、酷いですねぇ。俺は夢に溺れる愚かで間抜けな客人を助けようとしているだけなのに」


 獏に聞こえないように呟いた結の言葉を獏は聞き逃さなかった。普段どれだけ大声で起こしても聞こえないというのに、こういうところは地獄耳の様だ。

 この獏という男は性悪だけでは事足りず、人が困ったり焦ったりする表情を見るのが好きな加虐体質のようだ。

 結は今度は獏に聞こえるように態と大きめに舌打ちをすると、彼は大した気にした様子はなく怖い怖いとおどけてみせた。


「栞那さんも、そして貴女も状況を理解できないのであれば全て教えて差し上げましょう。

 黒百合女学生の正体、そしてこの夢を作り出したのは紛れもなく目の前にいる栞那さん本人ですよぉ」

「――……っ」


 呆然と押し黙っている二人の客人に、獏はなんの遠慮もなく冷静に真実を告げた。

 その言葉に心当たりがあるようで、栞那はぴくりと肩を揺らした。


「で、でも……学校中の人が同じ夢を見てるんだよ。カンナが皆にこの夢を見せた証拠なんてないし、そもそも見た夢を人に見せるなんてこと……」


 友里は震えた声で栞那を庇った。栞那は俯いたまま拳を強く握りしめている。


「おやおやぁ、この店に何度も通う貴女ならこの店のことをよぉく分かっていると思ったのですがぁ……」


 相手を挑発するような間延びした声で、獏は試すように友里を見た。

 この男は敢えて栞那が一番信頼している友里から答えを口にするように仕向けているのだろう。

 夢の中で犯人に仕立てあげられた仕返しとはいえ、どこまで歪んだ性格をしているのかと結は心の中で悪態づいた。

 そのことを察しのいい栞那も気づいたようだ。憎悪が籠った鋭い瞳で獏を睨みつけた。その眼差しを一心に受けた獏は一切動じることはなく、答えを急かすように友里に視線を向けた。


「――……夢香」

「ご名答」


 獏はよくできました、と幼い子供でも褒めるかのように手を叩いた。

 その言葉を聞いた友里は信じられないと目を見開いて隣で憎らしく獏を睨みつけている栞那の肩をゆすった。


「ね、ねぇ……カンナ、嘘だよね。カンナはこの店にくるの初めてだもんね」


 そうだ。友里が扉を蹴っていた時栞那は驚いていたし、人見知りの彼女は獏の視線から逃げるように友里の背中に隠れたはずだ。

 友里は縋る様に栞那の肩を揺すった。彼女の身体は人形のように力なく揺れ動いたが、返事は一切返ってこない。


「いいえ、彼女が此処に来るのは二度目ですよぉ。それはもう上手に扉を蹴って、入ってきましたねぇ。ですが貴女の前では“初めて”でいたかったのでしょうねぇ? だから声をかけようとした俺から逃げたのでしょう」


 栞那の代わりに答えたのは獏だった。獏はおどけた様に肩を竦める。


「でも私、彼女と会うのははじめてですよ?」 

「それは偶々結さんが……ほら、あの愉快なご友人達に連れ出されている時にきたからです」


 つい二週間ほど前、突然大学時代の友人の鈴と松笠が店に現れて半ば無理矢理遊びに連れていかれたことがあった。

 獏のいうとおりその時に栞那が店に来たのであれば、結が会っていなくても当然だろう。

 獏という男は基本的にあまり他人に興味を示さない。関心がない人間の顔と名前も覚えようともしない。中々友里の名前を覚えられないのはこのためである。

 この男が興味を示すのは夢のこと。一度しか会っていない栞那の名前を憶えていたのは、彼女が放つ夢の香りが独特で興味を持ったからであろう。


「……じゃあ、この夢香を作ったのは」

「勿論俺ですよ。この世で夢香を作れるのは俺しかいませんからねぇ」


 栞那達が通う学校中を悪夢という不安で覆っている原因の香を作った張本人は一切悪びれる様子もなく平然といい放った。

 迷いのない物いいに友里は呆然と口を開けた。全ての元凶はこの男だったのだと、友里は獏を見る瞳を憧れから侮蔑へと変わった。


「おやおやぁ、そんな眼で見ないでくださいよぉ。俺は栞那さんが“悪い夢で悩んでいる”というのでその夢を二度と見れないように、夢香という形で凶夢を抜いて差し上げたのですよぉ」

「でも、お香を作ったのは獏さんじゃないですか!」

「……香を作ったのは確かに俺ですが。その香をどう使うかは、全て客人に一任しています。香という形になったとはいえ、その夢を扱う権利は夢をみた者にあります。

 客人が廃棄せよというのであればその様に対処しますし、香を分けてほしいとなれば持ち主にのみ無償で引き渡します」


 自分には一切関係のないことだと獏は素知らぬ振りをした。

 しかしその瞳は友里とは一切重なることなく、栞那を一心に見つめている。

 口ではその後何が起きたか一切知らないと入っているが、その様子は栞那が何を考えてその夢香をどうしたか全て手に取る様に分かっているようであった。

 それどころかその答えを友里に答えさせるためか、態といつもより言葉をゆっくりと、含みを持たせて話している。


「まさか、カンナが――う、ううん。でもカンナ、今日学校であの夢を見たっていってたもんね。夢香を作ったんなら、その夢はもう見ないはずでしょ」


 ここまで話しても友里は栞那を信じていた。いや、信じようとしていた。


「ねぇ、カンナ。お願い。違うっていって」


 縋る様に。違うといってほしいように、膝の上に置かれている友里の手を震える手で握った。


「見たとはいったけど。“昨日見た”とは一言もいっていないよ、友里」


 俯いたままぽつりと栞那は呟いた。

 友里は動揺で瞳を揺らし、握っていた手を離した。


「――この人のいう通りだよ、友里。私がこの人に頼んであの夢香を作ってもらった。そして……私がお香を学校中にばらまいた」 


 友里を向いた栞那は獏が浮かべているようなお面のような冷たい笑みを浮かべていた。その表情と気味が悪い程優しい声音に友里はぞくりと背筋が凍り付いて動けなくなった。

 挑発するような視線を送る獏を栞那は一瞥して、スカートのポケットから何かを取り出した。

 そして力なく降ろされている友里の柔らかく僅かに震えている手をそっと持ち上げて、暖かな手の平に取り出したものを握りこませるように乗せた。


「――……これ、は」

「友里。これが黒百合JKの正体だよ。夜遅くまで作ってて……寝不足なんだ」


 友里は握らされた手をそっと開いて目を見開いた。

 そこにあったのは煤にでも塗れたかのように黒く薄汚れた不格好な小さな匂い袋だった。黒ずんだ汚れの下には元々の生地の白色が見えた。

 その巾着袋から香ってくるのは先程夢で嗅いだ香りと同じ、嗅ぐに堪えない百合のきつすぎる悪臭だった。


「最初は白百合みたいに真っ白な生地だったんだけど……なんでかな、いつの間にかこんなに黒くなっちゃったんだ」


 匂い袋は栞那が自ら作ったもののようで、糸目がちぐはぐでお世辞にも上手とはいえない程不格好であった。

 黒ずんだ汚れを僅かに拭うと、白い布の上に赤黒い染みが幾つも見えた。栞那の手をよく見ると、指先の至る所に絆創膏がまかれていた。きっとこの染みは血痕だろう。

 栞那は独り言のように呟きながら人差し指に巻かれた絆創膏を親指で弄っていた。


「はじめは教室の隅に置いておいただけなんだけど、やっぱり匂い袋は近くに置いておかないと意味がないみたいで。だから取り合えず色んな教室の机の奥に仕込んだんだ。

 ほら、皆授業とか真面目に聞かないから机の中身までしっかり確認する人いないじゃない。私、一番後ろの席だからそういうのよくわかるんだぁ……」

「で、でも……先生も見たって……」

「質問するふりして先生の机の上に入れたの。ほら、私って真面目だから先生も親身に質問に答えてくれて……ふふっ、意外と簡単だったよ。

 でも学校中の人に同じ夢を見せるにはまだまだ足りないから今もまだ作ってるんだ。お陰でお裁縫も少しずつ上手になって来たんだよ……凄いでしょ?」


 目の前にいる栞那は友里がいつも知る大人しく内気で優しい彼女とは別人のように見えた。先程夢に入る前に見た黒い靄のようなものが栞那の全身を包み込んでいるように見えた。

 まるで栞那が自身の夢に憑りつかれて操られているかのようだった。友里には栞那がこの世の者とは思えない程恐ろしいモノに見えていた。大切な親友の身に一体何があったのか想像すらもできなかった。


「カンナ……ねぇ、一体何があったの。どうしてこんな――」

「え、分からないの? 友里のためにやったんだよ?」


 きょとんと眼を丸くして栞那は首を傾げた。


「か、かんな?」

「友里のせいだよっ!!」


 震える声で友里は栞那に話しかけた。彼女の声を聴いて、栞那は絆創膏を弄っていた手をぴたりと止めたと思うと真顔だった表情が一変して鬼のような形相に変わる。

 呪うように、憎むように友里を睨みつけて部屋中に響き渡るような大声で怒鳴りつけた。

 栞那の気迫に友里はびくりと怯えるように肩を震わせた。険悪な雰囲気は伝わってくるが状況を目視できない結も突然のことに驚いて肩を震わせた。


「友里が、友里が私を置いて遠くに行っちゃうから!」

「ちょっと待って、なんのこと……」

「友里は私の傍にいてくれればいいのにっ! 友里の傍にいるのは私だけでいいのにっ! このまま皆があの夢で苦しめば、皆学校を休んで学校閉鎖になるでしょう?

 そうしたら友里は他の友達と遊ぶことなんてなくなって、ずっと私と一緒にいてくれるでしょう? 私はいつでもずうっと友里と一緒にいたいんだよ」

「……っ、ふふっ。栞那さん、貴女お友達がいないんですねぇ」


 張り詰めた空気を壊すように獏の少しだけ堪えた笑い声が響き渡った。

 あまりにも辛辣すぎる言葉に結は仰け反る様に身を引いて、友里は唖然とした。


「お友達が沢山いる彼女が羨ましかったんですねぇ。いえ、それとも彼女に対する独占欲……嫉妬や恋慕の感情を抱いていたんですかねぇ。

 自身の負の感情は、時として具現化して夢に出てきます。あの黒百合女学生は貴女の醜い心そのものですねぇ。貴女は彼女に構ってほしい一心でこの夢を学校中にばらまいた……嗚呼、なんて滑稽で哀れなことでしょうか」


 全てを見透かしたように獏は目の前で友情劇を広げている二人を嘲笑した。

 落ち込んだように肩を落とし俯いた栞那。よく見るとそこからは涙のような雫が零れていた。そのつもりがなくてもそこまで彼女を追い詰めてしまっていたことに友里は驚きを隠せなかった。

 栞那の気持ちや行動に恐怖を抱いていないといえば嘘になる。しかしこのまま自分が今彼女を見捨ててしまえば、栞那はこの悪い夢に取り殺されてしまうのではないかと不安になった。

 友里は幼い頃からずっと栞那を守ってきた。いじめっ子の男子からもいつも友里が身を挺して守ってきた。

 そんな栞那も友里が親と喧嘩したときなどいつも親身に話を聞いてくれて、守ってくれた。二人はいつもお互いに支え合っていた。

 友里はあまり積極的に人と関われる性格だから、クラスでもどこか浮いた存在になっていることには友里も気づいていた。だからこそ一人にしないようにいつも友達に席を譲ってもらって栞那の傍にいた。

 それでも友達が多い友里は他の友人と遊ぶのも当たり前だ。しかし栞那は友里しか頼る人物がいない。

 そうだ、今彼女を支えなくて誰が支える。栞那を守れるのは自分しかいない。友里は決意を固めたように拳を握りしめ、目を大きく見開いた。


「大丈夫だよカンナ。一緒になんとかしよう」

「友里……」


 頭上から明るく降り注ぐ友里の声に、栞那はゆっくりと顔を上げて虚ろな瞳で友里を見上げた。

 そして友里は先程栞那に握らされた黒ずんだ匂い袋を獏に押し付けた。


「獏さん、この匂い袋燃やしてください」

「はい?」

「今から証拠隠滅してきます」

 

 そして友里は思い立ったように立ち上がると栞那の腕を掴むと引っ張り上げた。

 なすすべもなく立ち上がった栞那は驚いたように友里を見つめた。


「三十分で戻ってきますから、お店開けておいてくださいね」

「……ゆ、ゆり?」

「ほら、学校行くよ!」


 友里は栞那の手を引いて走り出した。まるで先ほどの夢と真逆の立場で状況の変化に栞那の思考が追い付かなかった。


「友里……どこいくの」

「栞那が置いた匂い袋全部回収して、獏さんに燃やしてもらうの! そしたら誰もあの夢を見なくなる……」


 学校の生徒を助け、そして何よりも大切な親友である栞那を救いたかった。このままでは栞那が壊れてしまうような気がして、今すぐ早急に彼女をあの悪夢から断ち切る必要があると思ったからだ。

 店に向かうときに校舎の中を駆けたように、友里は栞那の手を引いて学校までの道を真っすぐと走っていった。

 時刻は午後五時頃。まだ運動部の声が校庭に響くものの、校舎の中に残る人は少ない。いつもより静かな校舎の中を歩き回って、栞那が置いた夢香の匂い袋を回収していった。


「友里。あの……私……」

「心配しなくても、栞那は私の大切な親友だよ。今までも、これからも!」


 友里は虚ろな目をした栞那の手を強く握って満面の笑みを浮かべた。

 いつもの大人しく優しい彼女に戻ってほしいと、友里は目を逸らすことなく真っ直ぐに栞那を見つめた。

 黒い負の気配が漂っていた栞那から徐々に黒い影が消えていくように見えた。そして友里は栞那を強く抱きしめた。

 力強い腕に、友里の瞳に光が戻った。


「……ありがとう。友里……大好きだよ」


 震える手で栞那は友里の背中に手を回した。

 その表情はなにかから解放されたように穏やかなものだった。

 そして友里は栞那の手を引きながら、残りの匂い袋を回収していった。匂い袋は友里達と同じ三年生を中心に置かれていた。

 中でも一番多かったのは二人のクラス。栞那は友里以外の全ての机の中に匂い袋を仕込んでいた。


「あれっ、友里帰ったんじゃなかったの?」

「あ、栞那ちゃんも一緒じゃん。ほんと仲良しだよねぇ二人とも」


 教室から出ると、運動部の友里の友人が手を振って近寄ってきた。


「うん、カンナが忘れ物したから一緒に取りに来たんだ」


 驚いて思わず後ろに隠れる栞那を友里は引っ張りだした。

 栞那は恥ずかしそうに手をもじもじと弄りながら、俯いていた。


「ねぇ、今度行くカフェ、カンナも誘っていいかな?」


 栞那が自分から踏み出せないというのであれば、友里が彼女の背中を押せばいい。

 親友である栞那を仲間に入れないほど、友里の友人は心は狭くない。自分が他の誰かと一緒にいるのが寂しいのであれば、皆で一緒に楽しめばいい。

 友里は紹介するように、栞那の肩に両手を置いて二人の友人に突き出すように背中を押した。 


「もちろんだよー」

「……え」


 予想外の言葉に栞那は言葉を失った。今まで挨拶しても誰も自分に返してくれた人はいなかったのに。

 初めて友里以外の人間と目が合って、微笑みかけられたことに栞那は心底驚いた。

 決してクラスの人間が栞那を無視していたわけではない。友里が発する挨拶は蚊が鳴くほどの小さな声で皆に聞こえていなかっただけなのだ。

 誰も自分を見てくれないのは、誰も自分と関わろうとしないから。傍観者を気取って遠くから教室を眺めていたからだ。

 自分には友里がいればそれだけでいいと思っていたから。


 でも、友里がいうのなら。友里が背中を押してくれるのならば、自分も踏み出そう。


「ま、またね……あの……楽しみに、して、ます」

「うん、またね明日ね栞那ちゃん!」


 初めて返事が返ってきた。

 二人が自分たちの横を通り過ぎてすぐ、たまらなくなって友里を見た。とても嬉しそうに笑っている友里を見て栞那も満面の笑みを浮かべた。

 手提げ袋の中をみれば、数十個の匂い袋がみっちりと入っていた。


「よくこんなに作ったね……カンナ不器用なのに」

「……なんだろう。なんか、さっきまであの夢のことしか頭になくて不思議な感じだった」


 手を繋ぎながら学校を後にしてのんびりと夢見堂へ向かう。

 まだ日は長く、太陽が沈むまでまだまだ時間はある。急ぐたびではないと、ようやく二人は落ち着いてゆっくりと歩いていた。


「そういえば、栞那はどこであの店のことをしったの?」

「占い師さん。あの商店街にいる」


 友里のいう通り、栞那は今まで操られたようにあの夢のことを考えていたような気がした。

 勿論友里への嫉妬心があったのは確かだ。でも、それよりも色んな人に悪夢を見せて苦しませたいという願望の方が強かった気がする。

 そして今客観的に袋の中に詰め込まれている大量の匂い袋を見ると、自分は今まで何をしていたのだろうととても不思議に感じるのだ。

 そうだ、それも全てあの人物に出会ってからだ。あの占い師にあの男のような果てしなく冷たい侮蔑の眼差しを向けられてから自分はおかしくなってしまったのかもしれない。

 でもきっと、きっと気のせいだ。なぜなら、栞那の友里への気持ちは――本物なのだから。


「うっそ、あの当たるって有名な激レアの占い師さん!」

「うん……今度、行こうよ。その、皆で」

「もちろんだよ!」


 やっぱり、笑っている彼女が好きだ。この秘めた思いは告げず、友人として彼女の傍にい続けよう。ずっと、ずっと。

 安心したように微笑む友里の後ろで栞那はにいっと笑みを浮かべたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る