第22話
◇
「――……大丈夫ですかぁ」
獏の緊張感のない声が聞こえて栞那はゆっくりと目を開いた。
先程まで目の前に広がっていた薄気味悪い学校の廊下は、元の狭い四畳半の和室へと変わってきた。
古典的に頬を抓ると僅かに広がるぼんやりとした痛みを感じたような気がした。ここが現実なのだと確認して安堵したように息をついた。
皆既に目を覚ましていたようで、最後に目覚めたのは栞那であった。
「結さん、見えましたか」
「ええ。もう、最悪…………」
獏に問われた結は眉を顰めながら小さく頷いた。夢なんてみたくないのに、とため息をつきながらやれやれと首を横に振る。
どこか疲弊したようにも見える彼女を見ながら、獏はどこか楽しそうにくすりと微笑んだ。
そんな二人を横目に見ながら、栞那は隣に座っているであろう友里に視線を移した。
先ほどまでの明るさはどこへやら。友里は俯いて膝に両手を置いて、拳を握り小刻みに震えていた。
「さて、あの夢にいた女性は……貴女でしたねぇ」
結との会話を終えた獏はちらりと冷たい瞳で友里を見た。
獏の声に友里ははっとして顔を上げた。そこでようやく見えた友里の顔は血の気を失くしたように真っ青であった。
「黒百合女学生の正体は……栞那さん達を苦しめていたのは貴女ですねぇ」
「違うんです。私は……なにも分からなくて……こんなのしらない」
獏は薄ら笑いを浮かべながら、意地悪く見下したようにその凍えた瞳に友里を映した。
くつくつと笑いながら友里を責め立てるその姿はどこか楽しげにも見える。
対する友里は知らない、違うとうわ言のように呟きながら何度も首を横に振った。
「黒百合の花言葉は、確か――」
「呪い」
獏の言葉の後にすかさず結は続けた。
二人は同じように口元に弧を描き、怪しく友里を見つめた。その表情は先程夢の中に出てきたあの友里にそっくりな少女と同じ不気味な笑顔だった。
目の前に座る二人が化け物――いや、悪魔のように栞那は見えた。
「友里……」
「違う! 私じゃない!」
栞那が声をかけると友里は叫びながら立ち上がった。その目には今にも溢れてしまいそうな程涙が溜まっていた。
本当に身に覚えがないのか、両手で顔を覆いながら泣き崩れた。栞那は慌てて駆け寄ってその肩を抱いた。
「友里、大丈夫だよ……!」
「カンナが私を置いて遠くにいっちゃいそうで……怖かったの」
「大丈夫、私はどこにもいかないよ。ずっとずっと一緒にいるから」
安心させるように微笑みながら栞那は泣きじゃくる友里を強く抱きしめた。
その時部屋の四隅に置いてあった蝋燭がふっと消えて、部屋の中が真っ暗になった。
不安がり友里を抱きしめながらその肩越しに獏と結を見ると、スポットライトの様に不思議な光に突然照らされた二人の腕には黒い百合の花束が抱かれていた。
「――……っ」
あの夢の正体は。あの夢を作っていたのは、操っていたのはこの二人なんだ。栞那の瞳が驚愕で揺れる。
夢の中で友里を犯人に仕立て上げて、全ての責任を友里に押し付けて。なんて、なんて卑怯で意地が悪い悪魔のような人たちだろう。
「友里っ、早くここから出よう!」
友里は自分が守る。他の何にも代えられない、唯一の大切な人なのだから。
こんな悪魔たちに友里を壊されてたまるものか。栞那は座り込んだまま泣き止まない友里の手を必死に引いて狭い部屋から走り出た。
暗くて狭い廊下を友里の手を掴んで必死に走る。こんなにこの廊下は長かっただろうか。走っても走っても前に進まないような不思議な感覚。
しかしここで諦めるわけにはいかない。友里をなんとしても守ってみせる。繋いだ手に力を込めて、前だけを見続けた。友里がいれば大丈夫。恐怖は感じなかった。
「おやおやぁ、もうお帰りですかぁ」
あの男の声が細い廊下全体に響き渡る。後ろを見ると数えきれない程の白い手が二人に向かって伸びてきた。
嫌だ、つかまるものか。負けてたまるものか。栞那は友里の手を強く握りながら暗闇の中をもがいた。
そしてようやく光が見えてきた。栞那は全ての力を振り絞って光の中に飛び込んだ。
目が眩むほどの真っ白な光に包まれて固く目を閉じる。次に目を開いたとき、二人は店の前に座り込んでいた。
「……かんなぁ」
「友里、酷い顔……でも、もう大丈夫だよ」
これまでの恐怖か、逃げ切れたことへの安心感か、泣きじゃくる友里の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
可愛い友里の顔もここまで崩れるのだと、栞那は可笑しくて笑った。ポケットからハンカチを取り出して、友里の顔を拭きながら力強く抱きしめた。
いつも守られてばかりだったけれど、ようやく友里を守ることができたと栞那は満足そうな表情を浮かべた。
「ねぇ、カンナ見て……」
栞那の声で友里は後ろを見た。
そこには今にも崩れ落ちそうな廃墟と化した夢見堂が佇んでいた。その店に人の気配なんて微塵も感じられない。
「お店、なくなっちゃった」
「――……ううん、最初から夢見堂なんて店なかったんだよ」
二人は共に立ち上がると、支え合うように互いの手を強く繋ぎ合った。
あの怪しい男の亡霊に誘われるように、二人は廃墟であったこの幻の店に迷い込んでしまったのだ。
獏と結、あの二人はきっと未練を残したこの世には存在しない者。栞那と友里は不思議な夢を見ていただけなのだ。
あまり長い時間はいないように感じたのだが、明るかった筈の空はすでに日が暮れて夜になっていた。
どこからか冷たい風が吹いて二人の身体を震わせた。
「……友里、帰ろうか」
「……うん」
今までのことは悪い夢。早く帰って忘れてしまおう。
栞那と友里はお互いに顔を見合わせて微笑みあった。そして固く手を繋ぎながら帰っていったとさ。
――めでたし、めでたし。
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