第21話
◇
気が付くと先程までいた狭い和室とは全く別の場所にいることに栞那は驚いた。
果てしなく続く長い廊下。気味悪く点滅を繰り返す青白い蛍光灯。窓の外に広がる暗闇。そしてどこからか感じる背筋が凍るよううな不気味な気配。
間違いない。以前夢で見たことがある光景そのものであった。
自分はつい先ほどまであの暗くて狭い不気味な和室にいたはずだ。栞那は信じられない光景に混乱を隠し切れずにいた。
栞那は友里と二人で夢見堂を訪れたことははっきりと覚えている。決して夢などではないはずだ。
混乱しながらも、栞那は平静を保つように自分にいい聞かせながら状況を確認する。恐らく自分は今夢の中にいるのだろう。
目の前にいた不気味に笑う無礼で偉そうな男の姿がいない。その隣にいた盲目の女性もいない。
あれだけ自信ありげに話しておきながらこの場に現れないとはなんて役立たずで無責任な男なのだろうと栞那は忌々しく舌打ちをした。
「友里!? どこにいるのっ」
なにより一番大切である友里の姿が見えないことが栞那にとって最も不安で恐ろしいことだった。
彼女の名を叫んだものの廊下に自分の声が不気味に反響するだけで返事は返ってこなかった。どうやら他の者と同じように友里もこの場にいないようだ。
友里を探すために栞那は長い廊下を歩きはじめた。
「友里……ねぇ、友里……どこにいるの」
蚊が鳴くように震えた声で、友里の名前を呼んだ。怖い。恐怖で足が竦む。心細くて友里を呼ぶ声が震える。
この場所が恐ろしいのではない。友里が傍にいないことが、友里の姿が見えないことが、友里の声が聞こえないことがなによりも恐ろしくて、心細かった。
「――……」
ふと背後に気配を感じて、栞那は勢いよく振り向いた。
二十メートル程先に人影が見えた。遠くて暗く、その人物の顔は見えない。だが栞那と同じ制服を着ていることは分かった。
「友里っ!」
いつもの夢の中であれば栞那は逃げ回る立場だった。しかし今日は栞那自らその人影に走り寄った。
あれは友里だ。間違いない。小さい頃からずっと一緒だった。学校だって、遊ぶ時だっていつだってずうっと一緒にいた。友里をずっと傍で見てきた栞那が彼女を見間違うはずがない。
やっと見つけた。友里に会えないことが心細くて。友里が傍にいてくれないことが怖くて寂しかった。
友里であろう人影に走り寄ったが、もう少しというところでその人影は栞那に背を向けて逃げるように走り出した。
「……なんで逃げるの。友里、私だよ!」
こちらを見て逃げる友里らしき人影に栞那は悲しくなって叫んだ。
なんで。なんで避けるの。なんで逃げるの。
待って。待ってよ。私は友里が一緒にいてくれないと駄目なんだ。友里と一緒じゃなきゃ生きていけないの。
思いを吐露するように、求めるように栞那は必死で走る人影を追い求めた。運動が得意な友里とは違い、栞那の息はすぐに上がってしまう。それでも諦めず走り続けた。
息が切れる程走っても端に辿り着くことはない長い長い廊下だった。すると人影は観念したのかぴたりと足を止めた。
「はぁ……ふふ……友里」
さすがにこれ以上走ることはできない。諦めてくれてよかった。これでやっと顔が見られる。
ほっとして、嬉しくて、荒い息を整えながら出た微笑みは酷く掠れていた。疲れて笑う膝に鞭打ちながらゆっくりと後ろ姿の人影に歩み寄った。
人影は栞那に背を向けているから本当に彼女が友里だという確証なんてなかった。しかし栞那は彼女を友里ではないと疑うことすらしなかった。
こつり、こつりと栞那の足音が廊下に響く。栞那は近づきながら何度も友里の名を呼んだが、相変わらず友里からの返事はなかった。
後数歩で友里に手が届く。ところが再びその人物は栞那から逃げるように歩き出そうとした。目を見開いて今度こそ逃がさないと、栞那はその腕を強く掴んで引っ張った。
「友里、やっと見つけた!」
「……カンナ」
振り返った人物はやはり友里だった。ほっとして栞那は友里を抱きしめようとしたところで目を疑った。
友里の顔色は死んでいるかのように真っ青で、いつもの眩しく輝く笑顔が嘘のように不気味なほどの無表情だった。
友里だけど、友里じゃない――栞那は本能的に危険を察知して掴んでいた腕を離した。
「ねぇ、なんで逃げるの?」
逃げ出そうとした栞那の腕を、今度は友里は強く掴んだ。
友里は人形の首が折れたかのように、ほぼ直角で首を傾げた。
「ふふ、うふふ……カンナ。みぃつけた」
首を傾げたまま友里はにいっ、と真っ白な歯を見せて笑った。
首を傾げたことで前髪で隠れていた顔がはっきりと見えた。その目は骸骨の様にぽっかりと空洞が開いて、その奥には底知れぬ闇が広がっていた。。
栞那は恐怖で瞳を震わせながらゆっくりと視線を下に動かした。そこで漸く友里が真っ黒な百合の花束を大切そうに抱きしめていることに気づく。“黒百合JK”の正体は友里だったのだ。
金縛りがあったように動けない栞那に、友里は不気味に微笑みながら黒百合の花束を渡した。栞那の胸に花が押し付けられて、血でも広がるように百合の花粉がべっとりと服についた。
「ずっと、ずうっと一緒だよ」
友里は動けない栞那の首に腕を回した。甘く妖美な声音で囁き、微笑みを浮かべながら回した腕に力を込め密着した。
栞那は金縛りにあったように動けず花束を抱きしめながらじっと友里の真っ暗な瞳を見つめていた。
そして友里は恋人のような優しい口づけを栞那の唇におとした。栞那は悲鳴を上げることもなく、友里の瞳の中に意識が吸い込まれるような感覚に陥った。
この感覚は先程夢の中に入った時と同じ。目の前が闇に包まれる。自分の意識や体が渦潮に巻き込まれるような感覚の中、百合の花の匂いを感じた。
むせ返るような悪臭だというのに、不思議と不快ではなかったのだ。
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