第19話
◇第三章/夢想う
気だるげな足取りで
教室に入ると同級生が談笑している。その間をくぐり、蚊の鳴くような小さな声で挨拶をしながら窓際一番後ろの席に座った。
「ねぇ見た? 黒百合JKの夢」
「うん見た……もう、すっごい怖くて……」
聞こえてくる談笑に耳を傾けながら鞄の中から筆箱など授業道具を机の中にいれて小さくため息をついた。
今日の一限目は数学だ。きっと彼女は宿題をやって来ていないんだろうなと小さく笑みを零しながら、きちんと問題を解いた数学のノートを机の中に重なった教科書の一番上に置いた。
身支度を整えると読みかけの本を開いた。いつも朝礼の時間までゆっくりよ読んでいるはずなのに何故だか今日は読む気が起きなかった。
開いた本は一ページも捲ることなくぱたりと閉じられた。栞那は大きなため息をついて机に突っ伏した。
「おーはよ。本読んでないなんて珍しいじゃん」
太陽のように明るい声が栞那の頭上に降り注いだ。顔をゆっくりと上げるとそこには親友の
友里の席は栞那の前。何度席替えをしようとも何故か二人はいつも前後左右いずれかの近くの席だった。
「友里……おはよう」
「もー。なぁに、その死にそうな顔」
「ふあぁ……最近寝不足で」
栞那は大きな欠伸をしながら突っ伏していた身体を起こした。
友里は呆れたような笑みを零しながらもどこか心配そうな眼差しを向け、鞄を机の上に置くとすぐに椅子をずらして栞那と向かいあった。
「カンナも例の黒百合JKの夢見たの?」
「じぇーけーってなに? 外国人?」
「女子高校生のことだよ! もう、本当にカンナは真面目ちゃんなんだから!」
若者言葉に疎い、今時の若者であるはずの栞那に友里はころころと笑いながら彼女の肩を叩いた。
二人は家は隣同士で、生まれた病院も、幼稚園も、小学校、中学――そして高校もずっと一緒の幼馴染。
元気で明るく流行に敏感な友里とは対照的に流行に疎く引っ込み思案で臆病で真面目な栞那。
常に一緒でも性格というものは個性は違う。二人の性格は正反対だったがとても仲が良く姉妹のような関係だった。
「――で、話を戻すけど。今学校中で噂になってる黒い百合の花を持った女子高生の夢……カンナも見たの?」
「……よく覚えてないけど。見たような気がする」
最近この学校では世にも奇妙な不思議な噂が囁かれていた。
夜の学校。果てしなく続く長い長い廊下で黒い百合の花をもった女子学生に追いかけられるという噂だ。
トイレの花子さんなど、どこの学校でもいい伝えられている所謂学校の怪談という類のものだが、最近この“黒百合JK”の噂が現実となっていた。
寝不足による体調不良や、貧血で倒れる生徒が続出して連日満員の保健室。インフルエンザなどの流行り病が流行する時期でもないのに学校を休む生徒が増えている。
表向きは風邪などの体調不良だが、休んだ友人と連絡を取ると皆口を揃えて「黒百合JKの夢を見た」というのだ。
学校内での噂の伝達速度は驚くほど早い。あの噂の黒百合JKが夢で襲ってくる。夢の中で捕まえられると一生目覚めない。などと当初の何倍も装飾された噂が学校中を飛び交っていた。
そんな噂のせいか本当に黒百合JKが夢に出てきたと口々にいう生徒が続出。その魔の手は生徒だけではなくついに教師にも忍び寄った。
新任の女性の英語教師が“黒百合JKに襲そわれた”とうわ言のように呟いて倒れたのはつい先日のこと。
ただのいい伝えだと鼻で笑っていた教師陣にもその一件は大きな波紋を広げた。そして昨日の全校集会ではとうとう校長が黒百合JKの話題を出したのだ。
人間は目に見えないものに怯えるものだ。単なる小さな小さな噂が、今では学校中を不安と恐怖へと落とし込む巨大な闇へと変わっていた。
「カンナまで見たとなると、いよいよ信憑性が増してきたなぁ……黒百合JK伝説」
「友里は……見てないの? その黒百合じぇーけー」
「ふっふっふっ、私は毎日夢香でいい夢みてるからへっちゃらなのだ――……あ」
不敵な笑みを浮かべる友里を見て栞那はつられるように微笑んだ。ところが途端にぴたりと表情を固め、顎に手を当ててなにかを考えているかのように唸っている。
友里は百面相のように泣いたり笑ったり怒ったりところころと表情を変えるから一緒にいて飽きないのだ。
「……ねえ、カンナ。夢見堂いってみようよ」
「ゆめ、みどう……」
友里が珍しく神妙な顔で話すものだから、栞那は思わず身構えながら首を傾げた。
「学校の近くにある古いふっるーいお香屋さんだよ。そこで売ってる“夢香”っていうお香を焚くといい夢みられるんだ! しかも店員さんが超イケメン! 目の保養だよぉ……」
「へ、へぇ……」
友里は顔かたちが整った――俗にいう“イケメン”というものに目がなかった。
ずいずいと詰め寄ってくる友里に栞那は僅かに身を逸らしながら声を漏らした。栞那の身を案じてのことなのか、自身の欲望を叶えるためかどちらが本命かわからない。
「その店“
友里は栞那の手を握りながら強く詰め寄った。
イケメン店員に会いたいというのも一つの理由なのだろうが、何よりも友里を心配していることがひしひしと伝わっていた。
こんな地味で根暗な自分を見捨てることなくずっと仲良くしてくれている友里に栞那はとても感謝していた。
そして今も明るい友里に元気づけられているのも事実。彼女のいうとおり今日の放課後にでもその夢見堂というお店に行ってみよう。
「うん、放課後行こうか」
「よし決定! じゃあ今日も一日頑張ろう」
タイミングよくチャイムが鳴り、担任が入ってくる。
じゃあまたあとで、と友里は手を振って椅子を戻して仕方なく前を向いた。
日直の号令で起立、礼といつもと変わらない日常が幕を開いた。
挨拶後すぐに教室に飛び込んできた遅刻常習犯の生徒をまたかと叱る生徒、それを笑うクラスメイトと友里。
教師の話をどこか遠くに聞きながら、栞那は前に座る友里の背中を見つめた。
彼女は栞那の視線など気付くことなく、隣の席の遅刻常習犯の彼女に笑いかけながら肩を軽くたたいていた。
友里の座る窓際一番後ろのこの席は、クラス全体が見渡せる。
授業中こっそりと机の下でスマートフォンを弄っていたり、制服の袖にイヤホンを通しあからさまに怪しい頬杖をつきながら音楽を聴いていたり。
全てを見渡せるが、まるで自分だけがこのクラス全体から切り離されているように感じることもある。
クラスメイトと楽しそうに話す友里を栞那は真顔でじっと見つめながら、膝の上で無意識に拳を握り、人差し指に巻かれた絆創膏を親指で引っ掻いた。
「カンナ様ぁ……このおバカなワタクシメに数学の宿題を見せていただけませんでしょーかっ。このとーりっ! 今度新しくできたお洒落なカフェのパフェ奢るからっ!」
「ふふ……そういうと思ったよ。本当に友里は私がいないと駄目なんだから」
朝礼が終わった途端、この世の終わりみたいな表情をした友里が栞那に両手を合わせて拝み始めた。
真顔だった栞那はスイッチが入ったように一瞬で笑みを浮かべた。そして先ほど机の中の一番上にしまっておいてた数学のノートを友里に差し出した。
いつものように椅子を後ろに向けて栞那の机で真っ白なノートに栞那のノートを急いで書き写していく友里。
そんな彼女を見下ろしながら、栞那はとてもとても嬉しそうに微笑みを浮かべた。
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