第15話
◇
「――随分と久し振りですね。酷い顔ですが……なにかあったんですか?」
そうして、いつの間にか私はあの和室にいた。
目の前にいる獏さんは相変わらずいつものようにお茶を啜りながら、いつものように私にお茶を淹れてくれた。
「両親が、死にました」
「――……それはそれは、ご愁傷さまです」
湯のみを両手で持って水面を覗き込むと、自分のやつれた顔が僅かに見える。
驚いたように息をのむ音が聞こえ、僅かな間の後に獏さんはいつも通りの声音で言葉を返してきた。
「両親が、事故にあう夢を、見たんです……」
「口に、出してしまったんですか」
「いいえ。いいえ……一言も。夢の中でも、現実でも止められなかった……なんで、どうして」
「――……正夢を見たんですね。それは、まあなんてお気の毒に」
湯のみを割れる程握りしめた。
獏さんの口調はいつもと変わらない。同情も、悲しみも慰めも、何の感情も感じない人の神経を逆なでするような声音に思わずきっと顔を上げて彼を睨んだ。
彼は瞳を伏せながら、テーブルの上に置いた湯のみの縁を指でなぞった。
「私には夢世と現実を結ぶ力があるんですよね。なんで、夢で分かっていたのに止められなかったんですか……!」
八つ当たりするように獏さんに言葉を吐き捨てた。
彼は指を止め、伏せていた瞳を私に向けた。とても冷たく、僅かに怒気が籠っているように見えた。
「正夢は何人たりとも覆せない。貴女は自分が神にでもなったつもりですか。俺は一言も貴女は夢を自在に操れる、なんていっていない。人のせいにするのはやめていただきたいですねぇ」
氷のように冷たい、馬鹿にするような瞳で獏さんは私を見下ろした。
「貴女の力は見たり、視た夢を言霊によって現世に繋げる。とても有能ですが、決して万能ではない。みてしまった正夢は何があっても覆せない。
貴女自身は夢に対して無力でしかないのです……ですから、このことに関して貴女が――」
獏さんの言葉頭の中に木霊する。私は獏さんに“夢と現実を繋ぐ力がある”なんていわれて図のっていたんだ。舞い上がっていたんだ。
自分自身に力があるなんて、勘違いしていたんだ。
追い詰められていた私にはその後獏さんが続けていた言葉なんて聞こえなかった。
「嗚呼、今の貴女はとっても不快な匂いがする――」
袖もとで鼻を覆い隠しながら、不快そうに眉を顰める。
現実では両親を失い、縋るように逃げ込んだ夢の中でも彼に突き放された。
彼と話ができるなら、ずっとこの和室で二人でお茶を飲んでいられるのなら二度と目が覚めなくてもいいと思った。
このまま夢の中に囚われて、永遠に目覚めることがなければどれだけ嬉しいことだろう。
現実では目をそむけたくなることばかりだから――。
「――こんなことになるなら、夢なんて、見なければよかった」
涙が一筋流れた。虚ろな瞳に獏さんを写す。
彼はなにか口を動かしているが、なにも聞こえなかった。
徐々に獏さんは心配そうな表情を浮かべ、なにかを叫ぶように私の方に手を伸ばしているように見えた。
瞬きを、ひとつ。
目を開けると、そこは先程までいた和室ではなくなっていた。
獏さんとはじめて会った時のように、果てしなく広がる暗闇の空間。私はそこに立っていた。
先ほどまで持っていた湯飲みも、目の前にいたはずの獏さんも消えている。
ああ、彼はきっと幻だったのだ。
獏なんて男の人は存在していない。きっと私が妄想の中で作りだした一人の幻影だったのだろう。
私は最初からこの暗闇の中に一人きりで。ひょっとしたらこれは夢なんかではなくて、現実なのかもしれない。
もしかしたら私は実は両親と一緒に事故に逢って死んでいるのかもしれない。死を認めない私はひたすら暗闇の中を彷徨っていただけなのかもしれない。
なにが現実で、なにが夢かわからない。
体の感覚が曖昧で、座っているのか立っているのか、横になっているのかも分からない。
私は一体なにをしているんだろう。ここは、どこなんだろう。
お父さんと、お母さんはどこにいるんだろう。わたしはいったいだれなんだろう。
耳を塞ぐ。目を閉じる。
暗闇の中に、蹲った。
辛くて、苦しくて、悲しくて、悲しくて、悲しくて、寂しくて。
――こんな
「夢を、みたくないの?」
頭の中に声が響いた。
耳から手を離し、目を開けてゆっくりと視線を上にあげると綺麗な白い髪の女の人が立っていた。
暗闇の中に白い髪の毛が雪のように輝いていた。
「寂しそうで、
彼女は私の頭を撫でながら、目線の高さを合わせるようにしゃがみ込んだ。
同情しながらも、どこか楽し気なその声と微笑みはあの人とどことなく雰囲気が似ているように思えた。
竜胆色の瞳に映る私は自分でも驚くくらい涙を流していた。
「ねぇ、夢を、見たくないの?」
私を諭すように、彼女は瞳を動かすことなくゆっくりと言葉を繰り返した。
その瞳から目を離せなくて、私はゆっくりと頷いた。
「なら、助けてくれたお礼に私が協力してあげる――」
彼女はとても綺麗に微笑んで、私の頬にそっと手を寄せた。
暖かくもなく冷たくもなく、体温を感じない無機質な白く細い綺麗な手だった。
「――駄目だ、いけない」
どこか遠くで獏さんの声が聞こえる気がしたが聞こえないふりをした。
女性の顔がどんどん近づいてくる、そして私の瞼に唇の柔らかい感触を感じた。
満面の笑みを浮かべる女性。それが私の最後に見えた景色だった。
目の前が暗くなっていく直前、ふわりと花のような甘い香りがした気がした。
でも、これでいいんだ。ようやく、私は救われる。
――こんな
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