第10話
◇第二章/夢結ぶ
「あのね、わたしね、昨日空を飛ぶ夢をみたの!」
「オレはヒーローになって怪獣と戦う夢!」
まだ幼い頃、学校に行くと友達同士で昨夜見た夢の話をすることが多かった。
やれ空を飛ぶだの、魔法使いになるだの、ヒーローになるだの、想像力溢れる子供は非現実的なとてもユメらしい楽しい夢を見ていたと思う。
もちろん私も人並みに魔法使いのアニメは好きだったし、将来の夢はケーキ屋さんだなんてそれはそれは子供らしいユメを描いていたものだ。
だけど、私はそんなアニメや漫画みたいな夢をみたことは生まれてこの方一度もなかった。
眠る間にみる夢は家族と晩御飯を食べていたり、学校で授業を受けていたりとなんの面白みもない現実的な夢。だからそんなユメみたいな夢をみられる友人達を幼心に羨ましいと思っていた。
「私、好きな俳優と付き合う夢見ちゃった! 正夢にならないかなぁ」
「えー、いいなぁ。羨ましい!」
それは成長して大学生になっても変わることはなかった。
私だって好きな俳優の一人くらいいるし、夢でくらい好きな人と幸せになってみたいものだ。
向かいで夢如きできゃーきゃー騒ぎあっている友人がとてつもなく羨ましい。
「――で、お前はどんな夢みたの」
講義前、目の前で繰り広げられる話題に乗っかるように隣に座っていた友人の
向かいに座っていた友人、スズたちも興味ありげに私に振り返る。態々聞くほど面白いものでもないのだけれど。
しかしそんな興味深そうな眼差しを向けられたら答えないわけにもいかない。面倒臭くため息をつきながら仕方なく面白みもない夢を答えることにした。
「この授業。チャイムが鳴ると同時に教授が教室に入ってきて、教壇に躓いて転ぶ夢」
答え終えた瞬間、タイミングを見計らうように授業の始まりを告げる予鈴が鳴り響いた。
そして閉められた扉の向こうで予鈴が鳴るのを待っていたかのように、勢いよく扉を開けて授業担当の教授が教室に入ってきた。
松笠をはじめ、こちらを向いていたスズもすぐに前を向いて教授を熱心に見つめた。
頭頂部が綺麗に禿げて、皺まみれのスーツと小汚い白衣に身を包んだ、正直学生たちにあまり好かれていない気難しい教授。
彼が担当する授業も物凄く退屈でつまらないもので。必修単位でなければ誰もこんな授業受けようとも思わないだろう。
猫背のまま速足で歩いた教授は、教壇に乗ろうと足を上げた瞬間教壇に躓いて豪快に転んだ。
「すっげ――」
「また当たったよ――」
松笠達が小さく歓声を上げた。私は溜息をついて頬杖をつく。
予鈴が鳴り教授が登場するタイミング、そして転ぶ動作、静まり返る教室。
おまけに教授のボロボロのサンダルから見える靴下の親指部分に空いた穴まで、寸分違わず夢でみた光景が目の前で繰り広げられていた。
「お前すげぇな。未来予知ができるとかいってテレビに出て大儲けしたら?」
「ばか……。偶々だし、そんな大したことないって」
私は非現実的な夢はみず、現実的な夢しかみられない。だが不思議なことにその夢の殆どが正夢になるのだ。
災害を予知したり、一等の宝くじの当選番号が分かったり、未来予知と呼ぶほど大それた夢をみることはない。
そもそも自分の好きな夢をみられるわけではないし、毎日みた夢を鮮明に覚えているわけではない。
たまたま繊細に覚えていた夢が、正夢になっただけ。
まあ唯一の利点といえば、時々試験問題などが分かることくらいだろうか。
「――はぁ、眠い」
ペンを回しながら、それとなく授業に耳を傾ける。
教授は相変わらず早口でなにをいっているか全く聞き取れないし、板書の字もみみずが張ったみたいに汚くて解読なんてできたものじゃない。
とても研究熱心な教授らしく、授業を聞こうとしない生徒に授業を教える暇があるなら自分の研究に没頭したいのだろう。
理解できない者は聞くなといわんばかりに教授は一人で勝手に授業を進めていく。
はなから理解しようとも思わない学生は、聞く耳を持たずスマホやゲームなど自分の世界に熱中し始める。
投げやりな授業は教授にとっても生徒にとっても悪循環にしかならない。
これでも真面目に勉強に勤しもうと思ってこの大学に入ったのに、全く現実とは上手くいかないものだ。
時計を見たら授業開始からまだ十分しか経っていない。授業が終わるまであと一時間以上――苦痛だ、苦痛すぎる。
ちらりと隣を見ると松笠はスマホゲームに夢中だし、向かいの二人はきっと彼氏とラインで連絡を取っているのだろう。
開いた窓からそよそよと心地よい風が吹き込んできて、カーテンを揺らす。お昼を食べてからの授業はどうしても眠くなる。こんな心地よい風、昼寝をしろとでもいわれているようだ。
小さく欠伸を零すと、ちらりと教授と目が合った。慌てて取り繕ったが、教授は怒るどころかなにも言葉をかけることなく、黒板に向き返った。
教授もきっとこの授業が苦痛なんだろうな、なんて同情しながら私は睡魔に耐え切れず机に突っ伏した。
目を閉じると、教授の声が子守歌となりがくんと眠りの中に吸い込まれていくのが分かった。
教授――身なりはお世辞にもいいとはいえたものではないけれど、声だけは低くて心地よい、素敵な声だ。
暫く微睡に身を委ねていると、やがて教授の声が聞こえなくなり、ぼんやりとした意識だけが現実ではないどこか遠くへ沈んでいくような感覚を感じた。
ああ、私はこのまま眠りに落ちるんだろうなと思ったのが最後、全ての雑音が遮断され抵抗することもなく深い深い眠りの底に沈んでいった。
瞼の裏には果てしない暗闇の世界が広がっていた。
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