第3話

「せんぱぁい、もう一軒いきましょうよぉ」

「もう酔っ払ってるんだから帰らないとだめ。また飲もうね」


 花の金曜日、つまり明日は待ちに待った休日である。一週間の疲れを癒すように由乃は桃川と仕事帰りに飲んでいた。やはり次の日が休みだと思うと心なしか浮き足立つものだ。

 仕事の愚痴や恋愛話等二人で盛り上がり、桃川はすっかり出来上がってしまっている。駅前でタクシーを拾おうと桃川と肩を組み歩いていく。千鳥足の酔っ払いを運ぶのはかなり難しい。


「……あなた。そこのあなた、ちょっと待って。あなた、シソウが出ているわ」


 どこからか声が聞こえて思わず足を止めた。

 声がした方を見ると怪しい占い師の老婆が静かに座っていた。

 小さな移動机の上に置かれている提灯の炎がゆらりと揺らめき、猫背で背中が丸まった小さな老婆を怪しく照らしている。

 あまりにもその場は非現実的な雰囲気で、近づくことが躊躇われる。聞こえないふりをして立ち去ろうと思ったのだが、占い師とばっちりと目が合ってしまった。

 他の誰かに向けての言葉だろうと、最後の望みを賭けて周りを見回してみたが“アナタ”に該当しそうな人物は由乃と桃川の二人しかいなかった。おまけに桃川は泥酔状態でそれどころではないだろう。

 そうして消去法でいくと、否が応でも目がばっちりと合っている由乃自身しかいないのであった。


「ちょっと、占い師さん。いきなり失礼じゃないれすかぁ!」


 酔った桃川は怪訝そうな表情を浮かべながら占い師の老婆に食って掛かった。これはもう完全に逃げられない。占い師は由乃を真っ直ぐ見据え満面の笑みでゆっくりと頷いた。

 桃川を引き戻そうと由乃は仕方なく占い師の下へ脚を進めた。


「死相よ。死があなたの顔に出てる」


 まじまじと占い師は由乃の顔を見つめる。占い師の暗い瞳に自分の顔が映るのが見える。

 死相――そんなものどこに見えるのだと、自身の顔をペタペタと触った。きっと疲れが顔に出てしまっているのだろうか。


「疲れ溜まってるわねぇ……顔色が酷く悪い。ちゃんと寝ているの」

「ちゃんと寝てますよ。寧ろ寝た方が疲れるんです」


 その言葉に占い師は僅かに目を細め、ふぅんと声を漏らした。そうして

彼女はペンライトを取り出して勝手に由乃の目や顔を照らし始めた。

 まるで医者に診察されている気分だった。

止める暇もなくいつの間にか手を取られ、手相までも見られている。何度か断ろうと口を開きかけると、そのタイミングを見計らうかのように質問や言葉をかけられる。

 新手の占いの押し売りか。はたまたただの親切心か。フードの奥に覗くぎょろりとした瞳は感情が読み取れない。

 由乃は困ったように自身の手を掴む老婆の皺々の手を見つめた。見た目からは想像できないが、柔らかく暖かい手だった。


「それは夢見の問題ねぇ。これはあたしには専門外だ……夢見堂に行くといいよ」

「ゆめみ……どう?」

「しってます! とーっても古いお香やさんなんれすよ、センパイッ!」


 泥酔した桃川は立ち上がり誇らしげにいった。夢とお香がなんの関係があるのだろうと由乃は小さく首を傾げた。

 桃川の酔い方が面白かったのだろう。占い師はくすくすと笑いながら、紙に何かを書き込み始めた。


「夢に関してはあの店の右に出るものはいないからね。あなたの場合早く行かないと取り返しがつかなくなるから気をつけて」


 由乃の手にメモを握らせた。四葉のクローバーが描かれているメモには、夢見堂という店の地図が細かに書かれていた。

 その口調は年老いた老婆のものにしては、とても艶やかで色っぽさも感じたような気がした。


「あなたに幸運が訪れますように」

「ああ……だからクローバーなんですか」


 先ほどから死が見えるだの、取り返しがつかないだの、散々脅してきた割りに可愛らしい気配りだと思った。

 確かに四つ葉のクローバーを見ても悪い気分になる者は早々いないだろう。

 

「ふむ、健康運は最悪。仕事運は……ちょっと悪くなるけど、あなたは元々仕事ができるタイプだし上手くいくことでしょう。恋愛運は今のご縁を大切にすること。まあ、あなたがこれからも生きてればの話だけど……占い料は五千円ね」

「たっか!」


 取って付けたような差し障りのない占いを述べ、ペンライトを消した。そしてにんまりと悪どい笑顔を浮かべながら皺くちゃの手を差し出した。

 テーブルに置かれている行灯の明かりが占い師の顔を下から照らし、まるで怪談を話す話し手のような不気味な雰囲気を醸し出す。

 それよりもなんという暴利な占い料。思わず声を出して一歩身を引いてしまった。


「でもあなた、私に会ってなかったら死んでるわよ? 寧ろ命の恩人だと崇めて欲しいくらいねぇ」

「そんな大袈裟な……」

「取り敢えず明日にでも行って見なさい。おやすみなんでしょう」

「……え、なんでわかったの」

「あたしは占い師だからね。なんだってわかるのよ」


 ひっひっひ、と笑う彼女は占い師というよりはおとぎ話に出てくる悪い魔法使いの様だった。この占い師当たるのか当たっていないのかよく分からない。


 仕方なくいわれた通りの五千円を財布から抜いて、占い師の手に乗せた。彼女はまいど、と嬉しそうに微笑んだ。


「あー、センパイだけずるいです。わたしも占ってもらいたぁい」

「うん、今度にしよう。ほら、はやく帰るよ!」

「ええー、せんぱいだけずるい」


 泥酔状態の彼女が占われたら幾ら取られるか分かったもんじゃない。

 ちょっとした恐怖を感じ、彼女の腕を肩に回して半ば引きずるように帰路に着く。


 ふと後ろを見ると、老婆はまた酔っ払い客を呼び止めて占いの押し売りをしているのだった。


 その後駅前でタクシーを拾い、桃川を自宅に送り届けた。

 少し静かになった車内で運転手と僅かに世間話を交わし、その後すぐに会話はなくなった。思い出したように先ほど占い師に渡されたメモ帳を見る。

 店の場所はここからそう遠くはない。 あれだけはっきり死ぬと言われれば誰だって怖くなるだろう。おまけに早急に行けといわれれば尚更である。


 携帯を確認したが誰からの着信もメールもない。どこか寂しさを覚えて恋人に電話をかけたが、留守電に繋がった。

 仕事以外の事が上手くいかない。思わず泣きそうになって、体にのしかかった重みを吐き出すように深く大きなため息をついた。

 由乃はシートに凭れ掛かり流れ行く景色を見ながらふっとため息をついたのであった。


 このメモに描かれているクローバーの様に、自分に幸運を運んでくれるとよいのだけれど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る