過去②
幸せとか不幸せとかあまりよく分からない。
そういうことを感じる感情そのものが湧き上がってこない。
ヨウちんは「そっか」とだけ返し、それ以上は何も言わずに表通りが見える所まで送ってくれた。
別れ際、「またね」とヨウちんに手を振り歩き出しながら、ヨウちんの話を思い出し、ふと思った。
直人も私の過去が重かったんだろうか、と。
直人もヨウちんのように私の過去に苦しんだんだろうか、と。
私は気付かない内にどれだけ直人を苦しめたんだろうか、と。
考えれば考えるほど胸が苦しくなり、後どれだけこうして直人に懺悔を繰り返すんだろうと思うと、涙が出そうになる。
――私が無意識に犯した罪は、いつか償える時がくるんだろうか……。
後悔と懺悔を繰り返す私の視界に表通りのまぶい光が強く入ってくる。
少し足を速めて裏通りから表通りに入ると、コータ先輩を探そうと辺りを見渡し――…
「……今、探そうと思ってた」
いつの間に現れたのか、目の前にはコータ先輩が笑って立っていて、私の言葉にコータ先輩は「タイミング良く会ったな」と私の頭に触れた。
「何か欲しいもんあるか?」
繁華街を歩きながらコータ先輩が突然口にした質問に、「うん?」と聞き返すと、「再来週、クリスマスだろ」とコータ先輩が笑った。
全く気付かなかったって訳でもないけど、繁華街に来るようになってから月日の感覚があまりなく、あちこちにクリスマス用の装飾があることでクリスマスが近いんだとは思っていたけど、毎日同じようなことをしていた私は、
「あぁ、そうなんだ……」
今日が何日なのかとか何曜日なのかとか気に留めていなくて、クリスマスが再来週にまで迫ってきているとは知らなかった。
「何か欲しいもんあるか?」
「……ううん。てか、コータ先輩って何でお金あるの? 仕事してるの?」
不意に疑問に思ったことを口にすると、
「お前って……本当、俺の事知らねぇよな」
コータ先輩は溜息を吐き、
「んー、何か特に気にしてなかった」
「ひでぇ女」
私の返事にフッと小さく笑う。
だけど、
「仕事してねぇよ。けど、金だけは腐るほどある」
「そっか。お金持ちなんだね」
私のその言葉には、「まぁな」と答えてただけで何も言わなかったから、私もそれ以上は何も聞かなかった。
繁華街は日に日にクリスマスムードが高まっていき、至る所にキラキラと光るツリーやサンタクロースの格好をした看板持ちの人たちがいた。
赤と緑のライトが繁華街をいつもより明るくする。
心なしか通りを歩く人たちの足取りも軽いように思えた。
「バイトしよっかな……」
繁華街をコータ先輩に手を引かれて歩きながら呟いた言葉に、
「ん? 金いるのか? いくらいる?」
コータ先輩はそう言って、ジーパンの後ろのポケットから財布を取り出す。
「ううん。お金が欲しいんじゃなくて」
「なら、何だよ?」
「サンタクロースの格好可愛いじゃん」
そう言って、サンタクロースの格好をした看板持ちの人を指差すと、「理由が不純だから、バイトは却下」と、コータ先輩は笑った。
そんなコータ先輩の背後にある、キラキラと光り輝くネオンを見て、不意に去年のこの時期を思い出した。
ちょうど去年の今頃に直人と付き合った。
好きで好きで大好きで、何度も諦めようとしたのに諦められなかった直人を、やっと手に入れたのが去年の今頃。
優しく抱き締めてくれた直人。
私のために頑張ってくれた直人。
私を守ろうとしてくれた直人。
思い出すたびに胸が苦しくて、泣きそうになる。
私はこれから先も、毎年この時期になるとこうして直人を思い出すんだろうか。
直人を思い出して、こうして切なくなるのだろうか。
直人は私を思い出してくれているだろうか。
少しでも直人の中の私の思い出が綺麗でありますようにと、心から願った。
十二月二十四日。繁華街のクリスマスムードは絶頂に達していた。
コータ先輩やコータ先輩の知り合いの人たちと歩く、いつもより人の多い通りは、すれ違う人たちみんなが楽しそうに笑っていて、コータ先輩たちも何だか妙に機嫌がよくて、クリスマステンションってすごいと思った。
「酒でも飲み行く?」
コータ先輩の知り合いのその提案で飲みに行くことになり、「うるせぇトコはダメだ」というコータ先輩の要望から、みんなが一斉に色んなお店に電話を掛け始めた。
だけどクリスマスイヴだから、どのお店もいっぱいらしく、みんな引っ切り無しに電話を掛け続けていて、「一軒いい店が空いてた」と誰かが言うと、「クリスマスの奇跡だ」とみんな笑った。
空いていたのは繁華街の隅にある小さな居酒屋さん。
お店に入って、みんながビールやおつまみを注文している時、「酒、飲めるのか?」と隣に座っていたコータ先輩に聞かれ、私は首を傾げた。
「分かんない。飲んだことない」
「じゃあ、チューハイにしとけ」
言われるまま、カルピスのチューハイを頼んだ私は、初めてお酒を飲んだにもかかわらず結構いける方で、チューハイを三杯飲み干した頃には、ナチュラルハイになっていて、
「お前、大丈夫かよ」
コータ先輩は心配そうに私の様子を見ていた。
「だぁいじょぶらぁ」
呂律の回らない口調でそう言い切り、グビグビとチューハイを飲み続けた私は、それから何杯飲んだのか覚えていない。
気が付くとコータ先輩におぶられて、マンションへの道を歩いていて、
「……コータ先輩?」
背中から声を掛けると、「やっと気付いたか、この飲んだくれ」と、コータ先輩が笑った。
「……記憶ない」
「だろうな。散々飲んで寝てたよ」
コータ先輩は怒る様子もなく、ずっと笑ったままで、
「……そっか」
私は少し申し訳ない気持ちになり目を伏せた。
「お前、結構酒強いんだな」
「……血だね……」
そう小さく呟くと、「ん? 何?」とコータ先輩が聞き返し、私は更に小さな声で「何でもない」と呟いた。
大嫌いな父親の血が私の中に流れていて、その血が私にお酒を強くさせている。
そう思うと少し悲しくなる。
自分じゃどうしようもない『血』を呪いたくなり、切っても切れない縁のようなものに吐き気がした。
結局コータ先輩は私をおぶったままマンションに戻り、部屋に入ると私をベッドに降ろしてすぐに着替え始めた。
そして着替え終わると「じゃあ、行くわ」と言って、コートのポケットから緑の包装紙にピンクのリボンがついた少し大きめの長方形の箱を取り出し、
「クリスマスプレゼント」
そう言ってその箱を私の方へ差し出した。
「あ……ありがとう……私、何も用意してないや」
プレゼントを受け取りながらモジモジと答えた私に、コータ先輩は「いらねぇよ」と笑う。
「開けていい?」
「あぁ」
その返事よりも先に包装紙を破っていた私の目に飛び込んできたのは携帯電話。
「俺の名義だから、いくら使っても大丈夫だ。いっつも連絡取れなくてこっちは迷惑してんだよ」
「ありがとう」
「0番の短縮に俺の番号入ってるから」
「うん」
携帯を取り出してアドレスを開くと、そこにはコータ先輩の番号だけが登録されていて、
「友達に電話掛けたかったら、掛けていいぞ」
その言葉に、私はコータ先輩に顔を向けた。
「誰の電話番号も分からないから……」
「止まってる方の携帯に入ってんだろう?」
「あれ、無くした」
「本当トロくせぇなぁ」
コータ先輩は笑ってそう言うと煙草に火を点け、
「後、クローゼットの中にもプレゼント置いてあるぞ」
クローゼットを指差し、柔らかい笑みを浮かべる。
「まだあるの?」
そう聞き返しながらベッドから起き上がり、クローゼットの中を覗いてみると、
「サンタクロース!」
そこにはサンタクロースの服がかけられていた。
「コータ先輩、ありがとう!」
「携帯の時と明らかに反応が違うじゃねぇか」
興奮気味にクローゼットからサンタクロースの服を取り出す私を、コータ先輩はクスクスと笑う。
「これ、欲しかったの!」
「知ってる」
「すっごい欲しかったの!」
「知ってるよ」
コータ先輩はやけに興奮する私を楽しそうに見つめ、「じゃあ、また夜にな」と、サンタクロースの服に着替え始めた私を置いて寝室から出ていった。
その背中を、サンタクロースのズボンを履き、急いで追い掛けた私は、
「どうしてここで寝ないの?」
玄関で靴を履いているコータ先輩に追い付き問い掛けた。
「一緒に寝てほしいのか?」
振り返ったコータ先輩はふざけたように笑う。
――だけど。
「そうじゃなくて、何でかなって思って……」
私のその言葉に、顔からスッと笑みを消した。
「色々ある」
「言いたくない事?」
「違う。俺の問題じゃない。樹里の問題だ。まだ準備出来てねぇだろ」
目を細め優しく笑ったコータ先輩のその言葉に、訳が分からずきょとんとしていると、コータ先輩は私の右頬を軽く抓み「じゃあな」とマンションを出ていく。
その時の私は、コータ先輩の言葉の意味も、どれだけコータ先輩が苦しんでいるのかも分かっていなかった。
……ねぇ、直人?
私がどうしてもサンタクロースの服が欲しかったのは、与える側の人間に憧れていたからです。
私は直人から沢山のものを与えられました。
愛も。優しさも。温もりも。沢山沢山もらいました。
私もいつかあなたのように与える側の人間になりたいと思ってた。
――私は、サンタクロースになりたかったの……。
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