《第2話》新しい人生の道のり
群馬県太田市の特別支援学校で中学部の3年間を過ごしていた昭和の不適切ゆとり派のムネヒロは、卒業後の入所先する民間の特別支援施設の件について教諭から色々聞かれていた。
しかし、その件について未だに家族とは何も話しておらず、教諭側が推薦した北海道夕張市の民間特別支援施設への入所を検討する様、協議に入った。
その結果、教諭側が推薦した北海道夕張市の民間特別支援施設から歓迎の連絡が入り、昭和の不適切ゆとり派ムネヒロ本人と家族もその方針で同意する事となり、進路が決まった。
そして昭和の不適切ゆとり派ムネヒロは太田市の特別支援学校中学部を修了し卒業、閉式直後に家族の送迎で新潟空港に向かい、そこから先は一人で千歳空港行きの航空機に乗り、辿り着いた先で北海道夕張市の民間特別支援施設運営会社の社員が迎えに来て、送迎車で夕張市内の共同住宅に向かったのだった。
共同住宅での生活を始め、その翌日から特別支援施設に通い始めて早くも勉強会が行われ、昭和の不適切ゆとり派ムネヒロは気になる作業内容を聞いた途端、とても興味深くなった。
その内容は夕張市内をはじめ北海道内の小・中学校や公園などのトイレ清掃・美化・見回りなどの下請け業、未だに一部残っている非水洗式トイレを安全設計に応じた簡易水洗式に置き換え、低予算で短期間の工期で進む一般型和式を中心に普及拡大させる事であり、特に幼い時からの基本的習慣として身によく付く様にするだけでなく、深く屈んで足腰の筋力を維持したり便秘症のリスクを抑えたりする事も考えられてるからである。
そして、昭和の不適切ゆとり派ムネヒロは作業の仕方を覚えるべく徹底的に学び、毎日基本から作業をやりこなし続けた。
夕張市内のみならず北海道内各地遠征も多く、都市間バスや航空機を利用して移動する機会も少なくはないと知りながらも、何れは昭和の不適切ゆとり派ムネヒロ自身も必ずやるだろうと意識し、その為にも何度も勉強し直し続けた。
そして、専売・電電と同時に郵政・水道・消防・警察・医療・社会福祉・農協・生協・宗教、そして学校などの国公立教育機関を一気に民営化・私立化・有限会社化・株式会社化して学区制を完全撤廃、国内全ての中学校や高等学校及び一部の国公立小学校は宗教会社や社会福祉サービス会社などの民間企業にそれぞれ移管し私立民営化、学校法人は有限会社か株式会社に移行、特別支援学校は全て民間企業への移譲を経て将来的に中高一貫化、国公立大学と残り一部の国公立小学校のみ独立行政法人化させてくれた昭和のゆとり穏健派ツネオに感謝し、変わりなく尊敬し続ける昭和の不適切ゆとり派ムネヒロであった。
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