昭和ゆとり族の時の大冒険記[ムネヒロ編]

新藤忠【非ゆとり・非グローバルの会】

《第1話》日本滅亡、そして人生の出直しへ

2025年(中華民国暦114年)7月5日4時18分、群馬県南部を震源とする最大震度7、マグニチュード9.9の地震が日本中を襲った。

しかし、それでも日本の公共放送は臨時ニュースも緊急警報放送もせず、L字型スクロールテロップも無く通常放送を続けていた。

そして、日本列島全土に超大型地殻津波が6時2分に到達するという緊急警告予告が出されたが、これは他国にいる人を含む全ての日本人と在日する外国人の全員を犠牲にするモノであり、避難しても逃げ場は無く身を切るしか無かった。

しかも、同年6月12日未明から続く朝鮮半島地震の影響と翌日の朝に大噴火した白頭山の影響も兼ねていた事から、火山灰も日本に拡散されていて屋外に出られず、日々が流れる毎に建物も徐々に崩れ、全人類はクラッシュダウンの餌食となった。

多くの現代人から圧力を受け続けて大きなストレスになり、3週間前の自動車事故により入院中である群馬県太田市在住の昭和ゆとり世代の中高年ムネヒロは地震の衝撃で帰らぬ人となり、同時に全人類が魔界国に召され、昭和の不適切ゆとり派の中高年ムネヒロは自らの人生を悔い改めて鞍替えする様、閻魔様に命じられた。

その直後、昭和の不適切ゆとり派の中高年ムネヒロは館を後にしてバスに乗り、魔界国の飛行場に向かったのだった。

そして小型プロペラ式旅客機に乗り、低空飛行で時空を超え、辿り着いたのは昭和56年8月7日の日本だった。

そこで昭和の不適切ゆとり派の中高年ムネヒロに与えられた使命は当時、小学3年生だった自らの運命を変えるべく、昭和のゆとり穏健派ツネオ氏が作り直した世の中の運命に従い、幼い頃から成らず者だった事を認め、家族にその事を話した。

そして家族や教諭と協議した結果、昭和の不適切ゆとり派で成らず者のムネヒロは教育委員会に届けを出し、翌年度から太田市内の特別支援学校への転校を決めた。

そこで中学部までの残りの6年間、通い続ける事になっていたが、小学部6年の時に突然、方針を変えざるを得ない出来事が訪れた。

ある日、教諭が見ていたTVのニュースで昭和のゆとり穏健派ツネオ氏が専売・電電と同時に郵政・水道・消防・警察・医療・社会福祉・農協・生協・宗教、そして学校などの国公立教育機関を一気に民営化・私立化・有限会社化・株式会社化して学区制を完全撤廃、国内全ての中学校や高等学校及び一部の国公立小学校は宗教会社や社会福祉サービス会社などの民間企業にそれぞれ移管し私立民営化、学校法人は有限会社か株式会社に移行、特別支援学校は全て民間企業への移譲を経て将来的に中高一貫化、国公立大学と残り一部の国公立小学校のみ独立行政法人化させるという事を可決したと発表した。

しかし、昭和の不適切ゆとり派で成らず者のムネヒロが通っていた特別支援学校は中学部3年まで在校しなければならず、卒業後の自らの進路先も教諭からの推奨通り、県外の特別支援施設への入所を選択しなければならなかった。

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