第5話 トランスジェンダー?

「トランスジェンダー」

 というと、

「性同一性症候群」

 というものと同意語と言ってもいいだろう。

「身体は男なのに、心は女性」

 その逆である、

「身体は女なのに、心は男性」

 というものである。

 中には、手術によって、

「性転換」

 を行う人もいるという。

 ただ、これに関しては、ずっと、

「気持ち悪いもの」

 という認識からか、倫理的に、

「許されないもの」

 ということにもなっていた。

 宗教的なものが絡んでくると、さらにややこしくなるものであって、やっと最近になって、認められるようになっていたのだった。

 そもそも、人種差別などが平気で行われていた国が、今は、

「世界の中心」

 と言ってもいい国になっているのだ。

 そもそも、大航海時代に大陸が発見され、そこから移民が移り住むことで、そこにいた原住民を奴隷にしたりして、勝手に侵略したものを、

「開拓」

 という言葉で、正当化したのだから、

「自分たちの理屈」

 でしかないと言えるのではないだろうか?

 そんな歴史を持っているところなのに、なぜ、

「日本が、満州を占領したことで、自営とは認められない」

 などという理屈が言えるのか?

 確かに、行動自体は、

「自作自演」

 だったのかも知れないが、実際にそこに至るまでの歴史を考えると、

「中国からの反日に対しての嫌がらせ」

 だったり、

「のっぴきならない、日本国内の事情」

 というものを考えると、

「自営以外の何物でもない」

 と言えるのではないだろうか?

 歴史というものは、

「どこに正解があるか分からない」

 ということでもあるし、

「それが正解なのかどうか、誰が決めるというのか?」

 ということを考えると、

「歴史が答えを出してくれる」

 という言葉は、

「間違いではないが、それを証明できるものではない」

 ということになるであろう。

 歴史というものは、そんなに簡単なものではないが、

「歴史というものが答えを出してくれるとでも思わないと、時代を生きることはできない」

 という考え方は、間違っているわけではないだろう。

 時代というものは、その時々で区切ってみればいいのかも知れないが、

「流れになっている」

 という意味では、歴史が答えを出してくれて理宇ということに変わりはないだろう。

 そんな中で、最近、日本でだけ、

「人間消失事件」

 というものは起こっているが、世界ではどこも起こっていない。

 それが、

「日本政府の隠蔽」

 ということに繋がっているのであって、ある意味、

「仕方のないこと」

 ということで、それまでの、

「グダグダ」

 だったと言われる日本政府のやり方からすれば、

「考えられないほどの、素晴らしい考えだった」

 ということになる。

 もちろん、自分たちが矢面に立たなければいけなくなるのを嫌ってのことであるのは明白であるが、それでも、

「結果良ければすべてよし」

 ということで、

「いいことをした」

 ということでいいのではないだろうか?

 しかし、日本国において、大変な状態などで、世界においてどのようなことになっているのかということは、、日本政府には分かっていなかった。

 なぜなら、

「日本では、その傾向は今のところ見られない」

 ということで、日本以外の国で、極秘裏に調査が進んでいたのだ。

 もちろん、

「国連を動かして」

 ということであったが、その内容というのが、

「トランスジェンダーというものを主張する人が増えてきた」

 ということであった。

 日本では、その傾向は見られないが、日本人の感覚としてなのか、

「トランスジェンダーと同性愛というものを、混同して考える傾向がある」

 ということは、諸外国も分かっていた。

 確かに、以前は、

「同じくくり」

 として見られていたが、

「トランスジェンダー」

 というものを主張する人が増えてきて、最初に社会問題が起こった時に、日本でも、その渦中にいた。

 しかし、世界的に認められてくると、日本人の中には、その許容というものを、

「少し違っている」

 と考える人も若干いたのだ。

 それが、

「トランスジェンダーというものと、同性愛」

 というものを一緒くたになって考えるという、その考え方だった。

 もちろん、皆が皆そうというわけではなく、それこそ、

「偏見の類」

 ということなのかも知れないが、このあたりが原因で、

「日本が、世界から、乗り遅れている」

 ということになるのだった。

 実際に、日本という国は、島国であり、

「閉鎖的なところがある」

 ということで、歴史的にも、

「よかった」

 と思える時もあれば、

「悪かった」

 と感じる時もあるだろう。

 それこそが、日本の特徴であり、そして、今の日本というものは、

「歴史が出した答え」

 なのかも知れない。

 それを考えると、

「日本という国は、世界から遅れているのか?」

 それとも、

「世界を凌駕しているのか?」

 ということで、その特異性は、世界でも、無視することのできないものであろう。

 何といっても、

「開国の際の不平等条約を、幕末の混乱から、明治維新を曲がりなりにも成し遂げて、結果、30年くらいで、不平等条約を撤廃させた」

 のだからすごいことだ。

 もっとも、今の政府は、

「失われた30年」

 と言って、

「バブル崩壊のツケ」

 を、一切払拭しておらず、さらにドロ沼へと、日本国民をいざなうのだから、とんでもないことだと言えるだろう。

 日本の歴史の中で、同性愛というものを考えた時、一番ピンとくるのは、

「群雄割拠の戦国時代」

 ではないだろうか?

「男色」

 と言われたり、

「衆道」

 などという言われ方もしたりした。

「長い間の戦国の世であれば、女を戦場に連れて行くわけにもいかず、戦場という一種異様な世界において、いつ命がなくなるか分からないという状況で、精神状態も、モラルや倫理の則るというわけにもいかない」

 ということであろう。

 戦国時代において、戦場で、

「男同士の寵愛」

 というのがあっても、無理もないことだ。

 だから、戦国大名や戦国武将では、

「あの人は男色だった」

 と言われることも多い。

「それだったら、どうして、大名などは、側室をたくさん持って、一夫多妻制のようなことをするんだ?」

 と言われるかも知れないが、

「それは、性欲に関係ないところで、あくまでも、お家存続ということが重要だということから来ている」

 ということになる。

「いくら、恋愛を繰り広げても、男性に子供を産むという力はない。それは、地球上の動物のほとんどは、同じ習性をもっているのだ」

 と言えるのだ。

 もちろん、下等動物の中には、

「男性であっても、子供が埋める」

 という種族もあり、そもそも、

「一つの個体で、男女それぞれの特性を持っている」

 という生物もいたりする。

 だから、基本的には、

「人間の見える範囲では、子供を産むのは女」

 ということが常識という風に考えられるようになったのである。

 だが、そんな時代であったが、

「戦国時代においても、女好きの武将もいた」

 ということであった。

 特に、秀吉などは、

「女好き」

 ということで有名だったが、時代が時代なので、考えてみれば、今の時代と比較をすれば、

「秀吉がまともで、他が変態だったんじゃないか?」

 ということになる。

「時代も変われば、人間も変わる」

 まさにそういうことではないだろうか。

 人間というのは、

「求め合うもの」

 ということを言っている人もいたが、

「求めあう」

 という意味では、他の動物の方が強いかも知れない。

 ただそれは、

「本能によるもの」

 ということで考えると、なるほど、

「種の保存」

 というものを本能だということになると、

「性欲」

 というものを、果たして、

「本能」

 だと言えるだろうか?

 もし、

「欲と本能を一緒くたにできるとすれば、それは、人間以外の動物ではないだろうか?」

 と考えるのは、あくまでも、

「人間には、他の動物にはない、思考能力というものがある」

 ということからなのであろう。

 思考能力というものが、

「本当に、高等動物の証明だ」

 と言えるのだろうか?

 確かに、他の動物は、本能の赴くままに生きているので、思考能力はないかも知れない。しかし、逆に、

「思考能力がなくても生きていける」

 というのは、それだけ、すごいことである。

 そのために、

「弱肉強食」

 などという、

「自然の摂理」

 というものが、蔓延っているのだろう。

 だから、

「保護色」

 であったり、自分の身を守るために、身体に特徴を持っていたりする。

「ハリセンボン」

 のような棘であったり、

「フグ」

 のように、身体に毒を持っていたり、さらには、

「カメレオン」

 のように、保護色で身体の色を自在に変えることができるという、特殊能力を持っているということになるのだろう。

 それが、動物というものの習性であり、人間であれば、それが、

「思考能力」

 というものであり、その中には、

「欲」

 というものも存在していることで、

「他の動物よりも、より高等で、人間が、地球の支配者」

 ということなのかも知れない。

 しかし、実際にそうなのだろうか?

 他の動物が、

「会話ができない」

 と思っているから、

「下等動物だ」

 という風に思っているのだろうが、実際には、人間が創造もつかない方法で、自分たちの種族だけではない力で、

「人間以外の共通の言語」

 というものを持っているのかも知れない。

「知らぬは人間ばかり」

 ということで、人間以外の動物は、

「人間っておろかだ」

 と感じていることだろう。

「アンチ」

 という言葉があるが、

「これは、ファンがたくさんいれば、その存在を認めたくない」

 という一派もいるわけで、

「ファンが多いということは、それ以外の人はみんなアンチだ」

 と言っても過言ではないと言っていた人がいたが、

「これももっともなことだ」

 と言えるのではないだろうか?

 それを考えると、

「人間というのは、本当は何も知らない愚かな生物なのではないだろうか?」

 ともいえる。

 つまり、その存在すら知らない相手から、

「洗脳されている」

 と言ってもいいのかも知れない。

 そのいい例が、

「世界各国に残っている、神話のようなものだ」

 と言えるのではないか?

 いろいろな形のものがあり、その数だけ、宗教というものがある。

「人間は、おのれの欲のために、人を平気で殺す」

 と言われるが、その最たる例として、戦争があるが、その戦争の原因として一番多いと目されるのが、

「宗教戦争」

 というものである。

「人間を極楽に導く」

 というのが、元々の精神のはずなのに、

「戦争を引き起こして、殺しあう」

 というのだから、それこそ、

「本末転倒もいいところだ」

 と言っても過言ではないだろう。

 それこそ、理不尽の代表ということになるのであろう。

 そんな宗教では、色恋を禁じているようなものもあれば、神話の中には、

「神が嫉妬心で、一つの国家を滅ぼす」

 などということが、平気で行われたりする。

 特に、

「ギリシャ神話」

 などでは、

「全知全能の神」

 と言われるゼウスという存在は、

「女好きで、手あたり次第に、オンナに手を出す」

 ということで有名だったりする。

 そんなゼウスに対して嫉妬した女神が、人間に対して禍を起こしたりするのだから、

「神というのは、人間以上に嫉妬深い」

 と言ってもいい。

 そもそも、人間というのは、

「神が自分たちの姿に似せて作ったものだ」

 と言われている。

 しかし、神話というのは、

「人間による、神の創造」

 ということであれば、

「神を作ったのは人間」

 ということになる。

 それこそ、

「タマゴが先かニワトリが先か」

 という、まるで禅問答のようなものである。

 しかし、

「今だからこそ、歴史に学ばなければいけない」

 という時代に、学ぼうとしない。

 以前であれば、詰込み教育のあおりがあったのか、

「暗記物」

 ということで、毛嫌いをされてきたが、最近では、

「学校では教えない歴史の裏側」

 などという本が出たりして、歴史をいうものを、

「面白おかしく描く」

 ということが行われたりするのであった。

 最近では特に、

「歴女」

 なるものが、トレンドだったりすることで、日本であれば、その文化として、

「日本建築」

「城郭」

 さらには、絵画や書物などという、芸術面からでも、歴史に興味を持つ人が増えてきた。

 特に、今までは、

「歴史が好きだとかいうと、変わってると言われて、変な目で見られていた」

 という時代があったのだが、今では、それが、トレンドとなるのだから、これこそ、

「歴史の不思議」

 と言ってもいいだろう。

 特に、最近では、

「マンガやアニメ」

 であったり、

「ゲームのキャラクター」

 ということで、基礎知識くらいはもっていないといけないということで、歴史を勉強する人も増えてきたということであろう。

 歴史というものを、勉強すると、それまで見えてこなかったものが見えてくるはずで、

「入口が何であれ、歴史に興味を持つのであれば、それに越したことはない」

 ということであろう。

 日本においては、歴史を勉強する、

「歴女が増えた」

 ということで、彼女たちの中には、

「男色」

「衆道」

 という道に興味をもって見る人もいるようで、

「男とは、一線を画した発想を持っている」

 と言ってもいいかも知れない。

 その頃世界では、

「宇宙人の目撃情報が、最近増えてきた」

 ということが言われていた。

 ただ、

「宇宙人が目撃されるからと言って、だから、何をする」

 というわけではない。

「宇宙人は、地球に来て、地球人にその姿を見せるということが、目的であり、それ以上でも、それ以下でもない」

 ということではないだろうか。

 今、

「日本で何が起こっているか?」

 ということは、他の国でも分かっていることであるが、

「人間消失事件」

 というものを、一足飛びに、

「宇宙人の仕業だ」

 と一刀両断にするということはできないということであった。

 確かに、発想としては十分にあることであろうが、だからと言って、その裏付けともなると、その問題は解決しないといってもいいだろう。

 それだけ、今の、

「日本と、それ以外の国というものは、考え方が、かけ離れている」

 と言ってもいいのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「日本人だけが、地球人の中で考えが突出しているのであれば、ひょっとすると、日本人というのは、その先祖は宇宙人なのかも知れない」

 という突飛な発想が生まれたとしても、無理もないことではないだろうか?

 と考えられるのであった。

 この考えは、

「当たらずとも遠からじ」

 という有識者の中でも信憑性の高い、博士号を持った研究家の人たちは、その意見を、

「当たり前のこと」

 として考えているのであった。

 そんな考えを持っている日本人がいないというわけでもなかった。

 しかも、それが、

「政府内における有識者」

 ということもあって、政府にその意見を、

「握りつぶされた」

 と言ってもいいだろう。

 政府というのは、

「煩わしいことは握りつぶす」

 ということに躍起になっていることだろう。

 他にも問題は山積しているのに、根拠もないことで騒がされては、どうしようもないということになるであろう。

 しかも、そんな自分たちが考える、

「他愛もない」

 ということが、

「政府の命取り」

 ということになるかも知れないと思うと恐ろしいのだ。

 特に、

「他愛もない」

 と思うことが、意外と、他の人は、いわゆる

「一般国民」

 としては、

「他愛もないということでは決してない」

 と思ったとすれば、有権者の目から見れば、

「政府の眼は節穴だ」

 と見るか、そうでなければ、

「政府は分かっていて、いつものように隠蔽しようとしている」

 ということで、国民から、愛層をつかされるということになるであろう。

 それを考えると、

「国家というものが、政府であり、その政府があてにならない」

 ということを分かっているので、国民も、自分たちの間で、政府に対して、

「暗黙の了解」

 というものを持っていたといってもいいだろう。

 そんな中で、有識者がいくら隠そうとも、

「異本人の祖先は、宇宙人なのかも知れない」

 という発想がどこから漏れたのか、本となって出版され、ベストセラーになったりしたものだ。

 それこそ、世紀末にあった、

「ノストラダムスの大予言」

 に匹敵するくらいのものがあったのだ。

 その話というものが、

「あれだけ、説得力があり、論理的で、ほとんどの人が信じた」

 と言われる、大予言であったが、肝心の、

「1999、7の月」

 に、

「恐怖の大王は降ってこなかった」

 ということになる。

 その後続本で、

「実は、その四行詩の裏には、もう一つの暗号が含まれていて、実は。20XX年に何かが起こる」

 ということだという本が出たようだが、

「一度外した予言を、誰が信じるというのか」

 ということで、中には、

「あの本は詐欺だった」

 ということで、本当にその時に地球が滅亡すると思い、全財産をつぎ込んで、何かをしようと思った人も多いだろう。

 そんな連中が、

「詐欺だ」

 というのは、

「どっちもどっち」

 で、

「因果応報なんでは?」

 という人もいないとも限らないだろう。


   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る