紫陽花
「さよなら。
にっこりと微笑む。人を殺すときの、僕のルーティーンだ。少し待つと、ターゲットの首から規則的に吹き出していた血流の勢いが弱まった。
「……行けたら、の話だけど。」
ため息をつき、つぶやく。今回の依頼人は、
依頼人は平民だが、復習のみを胸に抱き、執念のみで成り上がって財を成した。それを、今回の依頼に使ったようだ。
―――まぁ、この世界では別に珍しい話ではない。
身分が絶対の表の世界では、今回のターゲットのように腐った奴らが上流階級に居ることも少なくない。
世襲貴族の爵位は、問題を起こさない限りは滅多に剥奪されない。
人の気配が近付いてきた。
女の気配だ。僕のスタンスとして、罪なき女性にはつらい思いをさせたくない。
ターゲットは別だけど。
床を軽く蹴り、天井裏に入り、梁を伝って女性の真後ろに跳び下りつつ彼女の首に軽く手刀を入れる。
崩れ落ちる身体を抱きとめると、まだ幼さの残るあどけなく愛嬌のある顔が見えた。
「ごめんね。」
気を失い、もう何も聞こえていないだろう彼女に、自己満足にしかならない謝罪をする。
僕はきっと天国には行けないだろう、と自嘲の笑みを浮かべながら、彼女を階段近くまで運び横たえた。
亜麻色の柔らかな髪を撫でたところで、ハッとする。
汚れのないこの少女は、僕のように人の血に汚れた人間が触っていい存在ではない。
再び天井裏を通り、タゲーットの部屋に戻る。
証拠になりそうなものは全て回収し、
物音にようやく気がついたらしき階下が騒がしくなり、数秒の後には武装した男たちの足が階段にかかった。
これで、女性が発見する心配はなくなっただろう。
「ばいばい。」
証拠品を肩に引っ掛け、天井裏を経由して少し離れた場所から屋外に出る。
そして、ファミリーの本拠地に戻った。
戻った頃にはすでに暗くなっていて、本拠地のリビングには明かりがついていた。
「兄様、帰りました。」
兄様の名前は、エイヴェリー・レイ・インヴェルノ・ウィンター。
そして、僕と兄様は双子だ。
両親がつけてくれた名前に不満はないが、実際に対面してから女であることに驚かれることも多い。
一応、ユニセックスな名前ではあるのだが、男の名前からユニセックスな名前として変化したからだろう。
ちなみに僕の名前の中の“アウトゥンノ”は秋、兄様の名前の中の“インヴェルノ”は冬の意味を持つ。
そして、裏の世界では僕は“カイ”、兄様は“レイ”として活動している。
「……お帰り、カイ。」
ゆっくりと振り返った兄様は、ひどく疲れたような顔をしていた。
「また、陛下が?」
あぁ、と兄様の言葉が返ってくる。
陛下―――我が国、グローブ王国の国王陛下―――は、ウィンター大公家に度々問題を持ち込んでくる。
今回も、そのクチだろう。
「陛下は、なんだって?」
「……カイは、まだ知らなくていい。」
眉根を寄せる。隠し事をされるのは好きではない。それに、この反応は―――
「僕に関することを、本人が知らなくてどうするの?」
兄様は、やっぱり分かるのか、というようなため息をついた。
「紹介するから、さっさと結婚しろとさ。」
一瞬フリーズしてしまったが、それを誤魔化すように鼻で笑ってみせる。
「僕が?冗談じゃないよ。人の血で汚れた僕が相手で、嫌々じゃなく受け入れる家があるとでも?陛下も何を血迷ったんだか。」
血にまみれて汚れていると初めから分かっている人間を伴侶にしたいと思う人間など、居るはずもない。
ましてや、相手は貴族だろう。
見栄ばかり気にする人間が、喜んでこの話に飛びつくとでも?
以前、幼馴染のよしみで王太子殿下との縁談も来ていたが、アサシンの家門から王太子妃が出るのはいくらなんでも頂けないだろう。
それに、僕には重責すぎて無理だ。
だから、すでに断ってある。
「俺が
陛下はバカか。
男尊女卑が基本のこの世界で、妻が
「断っておいて。」
「無理だ。」
ギュッと唇を引き結ぶ。
「勅命だ。感謝祭のパーティーには必ず出席しろ、とさ。」
勅命は拒否できないな。
まだ先の―――半年以上先の話だが、面倒だ。
僕は舌打ちをし、自宅に帰る用意を始めた。
むせ返りそうなほど濃厚な血の香りが、部屋に充満している。
僕の下にいる女は、ヴィラン・アンタゴニストだ。
実際に顔を見て気がついたのだが。
この女は以前夜会で顔を合わせた時――普段は出席しないのだが、王家主催だったため出席せざるをえなかった時――に、どこで覚えてきたのか、言うのもはばかられるほどおぞましい下町仕込の罵詈雑言を吐き、ウィスキーをグラスどころかボトルから頭に直接かけてきたのだ。
害はないだろうと踏んでいたからその場から動かなかったのだが、酒に弱いことをすっかり忘れていた。
結果、僕は倒れた。
翌日目を覚ますとひどい頭痛に苛まれ、それは数日続いた。
しかも、頭痛の影響で仕事も本調子では出来なかったのだ。
その時の恨みも晴らすつもりで、今、公爵家本館から遠く離れた塔で謹慎させられているこの女をいたぶっている。
こんなことをして喜ぶなんて、我ながらいい性格をしていると思う。
そこら辺のご令嬢なら、こんな光景を見たら卒倒してしまうだろう。
けど、ご令嬢とかいった柄じゃない根っからのアサシンである僕は、血の匂いに快感を感じる―――とまではいかないかもしれないが、少なくとも微かな爽快感は覚える。
だから、こんな仕事も嬉々として続けている。
鈍く光るナイフを、かたわらの紅いシーツの上に放り投げた。
「―――ねぇ。」
パシンッ、と血だらけの
お腹の上に馬乗りになられている彼女は、低く呻いてから瞳を開いた。
僕は耳元に唇をそっと寄せ、ささやきかける。
「気絶しちゃ、だめじゃん。もっと、僕を楽しませてよ。ね?」
「ぁ……ゃ、やめ、ねぇ、ぉねが……い……。」
頬のラインをゆっくりとなで下ろしながら微笑んで見せれば、造形だけはまぁまぁの身体を震わせた。
「ふぅん。余力、まだあったんだね。喋れないくらいにはしたつもりだったんだけどなぁ。……安心して。しっかり削ってあげるよ。」
指先を滑らせ、首筋にあてがう。
「まだ、時間はたっぷりあるからね。期待、してるよ?」
指に、力を込めた―――殺さない程度に。
さぁ、踊り明かしましょう。
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