誰からも愛されなかった私はもう居ない。
「もし一人で返して、帰ってこないなんて事になったら私は後悔してもしきれない。」
「言っておくけど、これはあんたの為じゃない。だからお願いでもない。…私のワガママで、命令よ。」
「何があってもあんたの事、逃さないから。」
「それにもし母親と何かあったら、あんたを無理やり奪いとる。どんな事をしてでも。」
「だから…私を連れて行きなさい。」
私をぎゅっと抱きしめて、恐らく思っていた事を全て話してくれた姫乃ちゃん。
私ってそんなに信用ないだろうか、なんて、そんな事も思う暇もない程の剥き出しの執着心。
姫乃ちゃんは、1mmだって私が逃げる隙を見せないつもりだ。
それを私は、ただただ嬉しいと思う。
ずっと望まれてこなかった私が、姫乃ちゃんと出会って、恋に落ちて、愛し合って、それでもまだこんなにも強く望まれている幸せ。それを改めて実感して。
「…のり子?」
体を震わせて黙ってしまった私。
それに不安を抱いたのか、姫乃ちゃんは私の顔を押し付けていた胸から取り出して、その顔を無理やり覗いてくる。
そして一瞬驚いた顔をした後、優しく微笑んで、私の顔を再びその柔らかな胸に隠した。
「…私のワガママに振り回されて、泣いて喜ぶなんてあんたくらいよ。」
私は何も言わずに声を殺して泣いているのに、私が喜んでいるから泣いているのだと確信した姫乃ちゃんの口調。
私の気持ちが全部バレているようで恥ずかしくて、それでいて胸がキュンとして温かくなる。
「…大丈夫。あんたのことは死んでも離さないから。」
そして、更にさっきの発言に説得力を持たせる言葉を言われて、私の感情は爆発した。
姫乃ちゃんの腕から抜け出して、胸元から上に見える姫乃ちゃんの唇目掛けて喰らい尽く。
また一瞬驚いた姫乃ちゃんだったけれど、私の腰に手を添えるだけで、抵抗もしなければ、姫乃ちゃんから何かしてくる事もない。
ただただ私の思うようにさせてくれた。
「…す…き…す…きです…好きですっ…はぁっ…んっ…すき、です、ひめのちゃ…っ」
私はされるがままの姫乃ちゃんの唇に、下からひたすら口付ける。
抵抗してこないのにわざわざ顎を両手で固定して、息継ぎの度に私の思いを伝える。
何度も何度もそれを繰り返して、しばらく経ってから再び姫乃ちゃんの胸元に収まる。
ぎゅっと細い腰に抱きついて、足も全部使って姫乃ちゃんの身体に絡みつく。
「…大好きです、姫乃ちゃん…っ」
そしてありったけの思いを凝縮させた小さな声で、それを口にする。
すると、姫乃ちゃんも強く強く抱きしめ返してくれて、心が温まる。
「ええ。愛してる。のり子。」
最後にそう囁かれて、私の心はこれでもかと満たされた。
◆
「…そういえば一つ聞いてもいいですか?」
姫乃ちゃんにひたすら抱きついて、私の感情が落ち着いた頃、私は口を開いた。
「なぁに?」
どこか優しく、甘く、私を愛おしむような声音で答えてくれる姫乃ちゃん。
私は姫乃ちゃんの胸から顔を出して、少し上にある姫乃ちゃんの顔を見つめる。
「頂いたお給料の使い道って、自由にしてもいいんでしょうか…」
そして口にしたその言葉。
姫乃ちゃんはそれにキョトンとした表情をして、私の髪で遊んでいた手を止める。
「え、当たり前でしょう?あんたが稼いだお金なんだから。あんたの好きにしなさいよ。」
そう言う姫乃ちゃんは、相変わらず優しいけれど、実は私の話の本質はそこじゃない。
「…その…」
「どうしたの?」
言い淀む私の頬に、どこか心配そうに手を添えてくる姫乃ちゃん。
私はその手に勇気をもらうように、頬を一度擦り付けてから唇を開いた。
「…私、お母さんに仕送りをしたいんです。」
「……………………………………えっ!?」
そして飛び出た言葉に、姫乃ちゃんはたっぷりと時間をあけて驚いた。
固まってしまった姫乃ちゃんに、私は真剣な表情で、私の考えを伝える。
「私は学費と生活費が払えるのなら、充分なんです。他に何もいらない。」
「だから、余った分はお母さんに送ろうと思ってます。」
そこまで言うと、姫乃ちゃんの眉間に皺が寄る。
「…確かにあんたのお金だからどう使おうがあんたの勝手だけど…でも…」
その言葉と、その怒りを堪えるような表情。
それらが意味するものが、全部私に伝わる。
…本当に私は愛されてるなって、よくわかる。
それに対して、心の中で感謝を伝えつつ、姫乃ちゃんに私の思いを聞いてもらう。
「…確かに最低な親だったと思います。」
「でも、私を産む決断をしてくれたのはお母なんです。」
「養育費を稼いでくれたのも、ここまで育ててくれたのも…そこに愛はなかったかもしれないけれど…お母さんなんです。」
…おかげで、貴女に会えた。
「それに私のせいで人生を台無しにしてしまったという罪悪感もあります。」
「それはっ…!」
私の言葉を軽く頷きながら聞いてくれていた姫乃ちゃんだけど、この言葉に対しては否定するように私の頬に添えられた手に力が籠った。
けれど、私がそれに対して微笑むと、姫乃ちゃんはまた眉間に皺を寄せてから、開いた唇をゆっくり閉じた。
姫乃ちゃんは私が私を責める事をよく思わないのだろう。
けど、この罪悪感は私の物で、私の中に確かに合って、だからこそ罪滅ぼしをしたいと思っているのだ。
「せめて、金銭面で楽させてあげたいんです。」
人生を犠牲にして稼いだお金を、最低限とはいえ私に使ってくれた母。今更だけど、返してあげたかったし、これからは好きなことにお金を使って欲しかった。
それが私にできる、唯一の…そして、最後の親孝行だから。
「…そう。」
私の思いが全て伝わったとは思わない。
けれど、私の固い意志は伝わったようで、姫乃ちゃんはそれを尊重するように、優しく私の頭を撫でた。
「…強いわね、あんた」
そして、どこか寂しそうに呟いたそれ。
それにどんな意味があるのかわからない。
「そんなことありません。」
けど、私は強くなんてない。それだけは確かだった。
「…でももし、私が強そうに見えているのならそれは…全部、姫乃ちゃんのおかげなんですよ。」
「…私の?」
目をパチパチと動かして、キョトンとする姫乃ちゃんのパジャマを握りしめる。
「姫乃ちゃんが私を愛してくれるから、お母さんと向き合う勇気が湧いてくるんです。」
「私はお母さんに愛されてないだなんて、そんなの分かってましたけど、心のどこかでずっと母からの愛を求めてました。」
「だから怖かった。お母さんと向き合う事が。」
もう何年プライベートな事で口を聞いてないのか分からない。話すのは学校で必要なことだけ。それも殆ど一言二言。
高校を選ぶ時なんて、願書をテーブルに置き、隣にメモで要件を書いて、それだけで書類を完成させた。
どれもこれも、母親と向き合うのが怖かったからだ。
口を聞いたら、また私が必要ない事を強く実感してしまいそうで。母からの愛がない事を完全なものにしてしまいそうで。
ずっとずっと、逃げてきた。
「でも、もう大丈夫。」
私は両手をパジャマから離し、目を見開いて固まる姫乃ちゃんの頬に添える。
「私を愛してくれる人がいるから。だからどんなに辛い現実だって、今なら受け入れられる。」
「…私を愛してくれて…ありがとう…姫乃ちゃん。」
姫乃ちゃんの頬に当てられた私の手に、姫乃ちゃんの手が重なる。
そして真剣な表情の姫乃ちゃんが、唇を開く。
「安心しなさい。絶対私があんたを誰よりも幸せにして見せるから。」
「他の奴からの愛なんて入る隙がない程、私の愛で埋め尽くしてあげる。」
「…だから、やりたいようにやりなさい。」
力強い激励に、また私の視界が滲む。
「…はいっ。」
そのまま何度目かの、姫乃ちゃんの胸に収まりにいく。
本当に素敵な人に出会った。素敵な人に愛されている。素敵な人に恋をした。
…ようやく私は、"愛されなかった私"を愛する事ができる。
全部愛する貴女のおかげだ。愛してくれる貴女のおかげだ。
初めて私を産んでくれた母に、感謝した。
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