初めてのすれ違い。
「…大丈夫?」
姫乃ちゃんは肩で息をする私に覆い被さって、顔に張り付いた髪を剥がしてくれる。
結局、私から誘った営みは、盛りに盛って気づけばお昼時だ。
ただ、私の身体を労ってくれたのか、すごく優しい抱き方をしてくれたおかげで、下半身に余計な負荷がかかることは無かった。
「はい…すごく、良かったです。」
私が答えると、すごく優しい笑みを浮かべる姫乃ちゃん。
その両手が私の頬を包んで、顔中に軽いキスを何度もくれる。行為の後はいつも訪れるこの優しい時間。本当に大切に愛されているなと実感するひと時だ。
そうして幸せを感じていると、姫乃ちゃんの右手の指がびっしょりと濡れている事に気がつく。
「ぁ、汚れてます‥綺麗にしないと…」
私は迷わずにその指を口に含んで、綺麗になれと念じながら舌を動かす。
そんな掃除のつもりでしていたこの行為。
しかし、口に含んでいるのが姫乃ちゃんの指なのだと思うと、次第にすごく美味しい物のように感じてしまう。
気付けば本来の目的を忘れ、もっともっとと、味わう為に両手で姫乃ちゃんの腕を掴んで、逃がさないようにしてからじっくりと味わっていた。
しばらくそうしてから、視線を姫乃ちゃんに移すと、その姫乃ちゃんが顔を上気させてゴクリと息を呑んだのが分かった。
「…ねぇ、わざとやってるの?」
それからかけられた言葉に、私がしていた行為が何かを理解して、恥ずかしさに顔が熱くなる。
「…あ、ご、ごめんなさい…」
ぎゅっと抱きしめられて、肌と肌が密着する。
綺麗な顔が近づいてきて、また抱かれるんだと察した。
「だ、ダメです…っ…もう、無理…」
けれど本当にこれ以上はまずい。
世界には時間という物が存在して、有限という言葉が存在する。
このまま堕落し切った生活を続けては、お互いにとってよくない。
…すごく今更感あるけれど。
私は断腸の思いで、姫乃ちゃんの柔らかな胸を押した。
「…のり子が煽ったくせに。」
「ほ、本当に…お掃除しようとしただけで…」
「…それが煽ってるって言うのよ、バカ。」
姫乃ちゃんは、すごく不機嫌そうに唇を尖らせた。
私の行為で性欲を煽ってしまったならすごく申し訳ないし、お預けしてしまったのも悪いとは思っている。
けどそれ以上に、自分の行動で簡単に煽られてしまう姫乃ちゃんが可愛くて仕方なくて、胸がきゅっと締め付けられた。
「でもそうね…さすがに盛りすぎだわ私達。」
しかし、姫乃ちゃんもどこか後ろめたさがあるのか、私を襲う事をやめて、ただ覆い被さって私のことを抱きしめた。
それでも無意識に私を求めてくれているのか、手は色々なところを摩ってくる。
気持ちがいいけど、変な気持ちになるからどうにかして欲しいという気持ちもなくはない。
「結局今日も学校行けなそうだし。明日明後日は休日だからいいけど…」
「ぁ…出席日数…」
そんな事を考えていると、姫乃ちゃんが口にした言葉からすごく大事な事を思い出して、一気に冷や汗が垂れてくる。
完全に忘れてたそれ。
今日で三日間連続の無断欠席。
水、木、金。
そして明日明後日は土日故に、自動的に5連休になってしまう。
宿題のないゴールデンウィークと考えれば、最高の休日とも言えるだろう。
…しかし、学費免除の対象からは確実に外されるという最悪のおまけ付き。
震える身体。いっきに青ざめる肌。
脳内は、急に降りかかってくるお金のことでいっぱいになってしまう。
そして思い浮かぶのは私の母の顔。
…払って貰えるわけがない。
私はひたすら絶望した。
「…ねぇ、のり子。」
そんな私の片手、そこに手を重ねた姫乃ちゃんは、全ての指の間を指で埋めてくる。
その行為で不安に冷めていた体が、一気に体温を戻していく。
─恋人繋ぎ
恋愛に関する事柄ほとんどを知らなかった私に、姫乃ちゃんが教えてくれたこれ。
愛する物同士だけが出来る特別な手の繋ぎ方なんだって、教えてくれたこれ。
それを知ってから私は、行為の度にたくさんねだって、ぎゅっと握ってもらっていた。
そうしながら果てると、愛されている事を強く実感できたから。
どうして今、それをしてくれたのか。
混乱する頭で、姫乃ちゃんを見る。
「…このまま、ウチに住みなさいよ。」
「…え?」
すると姫乃ちゃんが口にした言葉。
私の時間は停止した。
そんな固まる私の手を、ぎゅぅぅっと更に力強く握りしめた姫乃ちゃんは、言葉を続ける。
「学費や生活費なら全部払ってあげる。」
「必要なものがあれば全部買ってあげる。」
「最低な親からだって、守ってあげる。」
「愛が欲しいなら、全部あげるから…」
「…だから、ずっと一緒にいて。」
少し赤みがかった頬と、真剣な表情。
揺れる緋色の瞳。
姫乃ちゃんが本気で言っているんだってことは、すぐに理解した。
そして、そこまで私を求めてくれる姫乃ちゃんに心が温まる。
「…ダメです」
しかし、私はそれを断った。
「ど、どうして!?」
そうすると、ただでさえ強かった握る力が更に強くなる。痛みすら伴うくらいの握力だけど、それが姫乃ちゃんの愛だとわかる。
私は、握られていないもう片方の手で姫乃ちゃんの頬を撫でる。
「…姫乃ちゃんに全部頼りきりなんて、私は望んでません。」
「…私が、あんたの事欲しいのよ。」
「…でも」
「…何か問題があるなら、言って。ちゃんと話し合いましょう。」
私の言葉では納得できないらしい姫乃ちゃんは、私の握った手を離すことはなかった。
私の事が欲しいとありのままの感情をぶつけてくれるのは、やはり嬉しい物だし、きゅんとする。
けれど…
「…お金目的だと、思われたくない」
ただ、それだけだった。
しかし、それが私の中で最重要な事だった
「そんなこと思わないわよ…」
姫乃ちゃんは困ったように眉を顰める。
けれど、ここだけは譲れなかった。
「…施しを受ける為に抱かれてるんだって、恋人になったんだって…少しでもそういう関係を疑われる様な事をしたくないんです…」
「気にしすぎよ…。」
「気にしますっ…だって、それだと対等の関係にになりません…買う側、買われる側…せっかく恋人同士になれたのに…」
私はあくまで対等を望む。
せっかく望めるようになったんだから、望みたい。
お金も、権力も、なにもない絡まない所で姫乃ちゃんと愛し合いたい。
「…なら、私があんたと一緒に居たいって気持ちはどうなるの?」
しかし、姫乃ちゃんは眉間に皺を寄せて、どこか懐かしさすら感じる顔を私に見せた。
奴隷だった私と、主人だった姫乃ちゃん。
…その時してた顔と、同じ顔だ。
「…そ、それは。」
「あんたは、私と居たくないわけ?」
思い通りにいかない私を、権力で黙らせようとするその姿勢。完全にヒートアップしてしまっている。
このままでは…私の主張は、無かったことにされる。
私はぎゅっと目を瞑って、ヒートアップした姫乃ちゃんが元に戻る事を願おうとした。
「お二人の関係が悪くなりそうなので、お口を挟ませていただいて宜しいでしょうか?」
その瞬間、ベッドの脇から聞こえてくる姫乃ちゃんの物ではない優しい声。
私と、それから姫乃ちゃんは同時にその方向を見た。
「…え!?マリア!?」
そして姫乃ちゃんがすごく驚いた声を上げた。
視線の先に、黒を基調とした執事服が大変似合う超美人さん、姫乃さんの従者であるマリアさんが立っていた。
「はい。シリアスブレイカー・マリアでございます。」
ニコッと、綺麗な笑みを浮かべるマリアさん。
「な、なによその二つ名!?…ていうかいつから居たの!?」
「大丈夫ですよ。お二人が営まれている所は見ていませんので。」
姫乃ちゃんの質問に、マリアさんが答えた言葉に違和感を覚える。
どうして、私達が…シてた事を知って…
そこまで考えて、自分と姫乃ちゃんの格好を見て、一気に顔に熱が溜まった。
それと同時に、私は姫乃ちゃんに抱きついて、胸と胸を合わせるように身体をぎゅっと密着させる。
言い合いをしていた事と、突然のマリアさんの登場で完全に忘れていたが、私達は生まれたままの格好だった。
大事な部分を隠すには、姫乃ちゃんに身体を合わせるしか無かったのだ。
姫乃ちゃんは最初こそ私のその行動に疑問を持っているようだったけど、すぐに理解したのか、顔を真っ赤にしながら掛け布団を手繰り寄せて私達の事を包んでくれた。
「ところで、四ノ宮様はお嬢様から金銭的施しを受けるのが嫌と言うお考えをお持ちのようで?」
わちゃわちゃと必死に裸を隠す私達に、ただ1人冷静なマリアさんは、唐突に話を戻しだす。
「ぇ…ぁ…は、はい。」
「しかし、対してお嬢様は四ノ宮様をどうしても自分のモノにしたい。」
「…何よ。説教するつもり?」
まだ顔を赤くしている姫乃ちゃんは、キッとマリアさんを睨む。
「いえ。先ほど言った通り、このままだとすれ違い続けて、お二人の仲が悪くなるだけだなと思いまして。」
その言葉を聞いて、胸がきゅっと締め付けられる。
さっきは突然現れたマリアさんに動揺して、何も感じなかったけれど、改めて聞くとすごく怖い話だった。
私は思わず姫乃ちゃんの体に回している腕に力をこめてしまう。この人から離れるなんて、絶対に嫌だった。
姫乃ちゃんも同じ気持ちでいてくれるのか、布団に隠れた私の背中を優しく撫でてくれる。それだけで不安が幾分か消え去った。
「…何が言いたいの。」
相変わらず不機嫌な様子でマリアさんに問う姫乃ちゃん。
そしてこちらも相変わらずニコニコな表情を崩さずに、マリアさんは指を一つ立てて口を開いた。
「ここは第三者の私が、折衷案を提示しようかと。」
「…折衷案…?」
私と姫乃ちゃんが同時に首を傾げる。
すると、マリアさんの笑顔がどこか悪い顔になる。
「四ノ宮様、私が見た限りでは…ご奉仕、ひいてはお掃除が…大変お得意なようで?」
そして発されたその言葉。
意味を理解するのに、数秒。
理解してから、顔が蒸発するまで一瞬だった。
『ぁ、汚れてます‥綺麗にしないと…』
さっきの行為…
私は姫乃ちゃんの肩に顔を埋め、ただひたすらに羞恥心に犯された。
「ぁ、ぁぁ…ぁんた…っ…み、見てないって…っ」
対して、姫乃ちゃんはかろうじて抗議する気力はあるようで…しかし、動揺しすぎて呂律が回ってない。
「と、いうことで!」
そんな私達を羞恥心の地獄に突き落としたマリアさんは、全く悪気を感じさせない笑みを浮かべて、一度手を叩いた。
そして、折衷案とやらの内容を、口にした。
「着ちゃいましょうか、メイド服♡」
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