望まれなかった命、望んでくれた貴女。
私の母はシングルマザーだった。
私を身籠る前。
母は夜な夜な遊びまわり、何人もの男達と関係を持っていた。
その結果。そのうちの誰ともわからない人の子を孕んだ。それが私だった。
私を孕ってしまったことで母は遊びに行けなくなり、更には養育費を稼ぐために本格的に仕事をしなければならなくなった。
碌に勉強をしてこなかったらしい母は、とにかく仕事探しに苦労したらしい。
ようやくありついた仕事はハードワークで、更に子育てとの両立でやつれた母は、次第に男を捕まえられなくなり、本格的に結婚相手を探そうにも子持ちである事を理由に敬遠され続けた。
…この事を母の口から直接聞いたのは、確か小学校に上がった頃だったか。
『あんたのせいよ。』
『あんたなんか生まれてこなければよかったのに。』
『あんたの顔も見たくない。』
当時の私は、訳も分からず。ただひたすらに泣いて謝った。
母から愛情を貰った記憶はないけれど、それでも子供の私にとって母は親だったから。
多分あの頃の私は、まだ母の事を親として大好きだった。愛情を欲していた。
ただ、そんな子供の謝罪なんかで母が改心して私に愛情をくれるわけがなかった。
毎日毎日、母から言われるその言葉達。
一向に私に向かない愛情。
私がこの世に要らない子だったんだと悟ったのは、小学4年生の頃だった。
それから私は友達と話すの事すら怖くなった。だって私は要らない人間だから。相手を不快にさせちゃうかもしれないから。
目を合わせるのが怖くなって、視界を遮るために前髪が伸び始め、それを馬鹿にされる事が増えて。
『子供』という、人間が属するグループの中で最も残酷なグループで孤立した。
中学に上がると交友関係が全部無くなって、ただひたすらに勉強に励んだ。
高校の推薦を貰うため。学費の免除を受けるため。
多分、母を楽にさせてあげたかったのかもしれない。それか、まだ母に振り向いて貰うのを諦めきれなかったのか。
最低な母親だけど、それでも私にとっては唯一の親だったから。
その気持ちが伝わったのかは知らない。けど、常時テストで満点を取れるようになった中学2年。その頃には母から何かを言われる事は無くなった。
勿論、褒められたりする事もなかったけど。
そして高校。
いじめにあいながらも学校に通っていたのは、単純に学費免除の条件に出席日数も関わっていたから。
出席数不足で、学費免除の権利を剥奪されるわけにはいかなかった。母に迷惑をかける事になるから。
こうして出来上がったのが、今の私。
四ノ宮のり子という女だった。
◆
「…だから、心配してないのは本当です。」
お母さんが私を心配するなんて、天と地がひっくり返ってもありえない。
「…でも、多分すごく怒られます。学校に行かなかったこともそうですけど、料理担当でもあるのでご飯がないと…」
でも、怒られてしまうのは簡単に予測できる。
帰りが遅い母に代わって、基本的に家事をこなすのは私の役目。
中学の頃に一度、遅くまで勉強をしてて母よりも後に帰宅した事があった。
その時に、ご飯の準備も碌にできないのか、と酷く怒られた記憶が残っている。
それから19時までには必ず帰宅して、2人分の料理を用意するのが日課になっていた。
それが昨日、ご飯がないだけでなく、帰ってさえこなかった私。
きっと母は今頃すごく怒っているはずだ。
「…最低。」
私の話を静かに聞いてくれていた七星さんは、そっと呟く。
いつの間にか、私を抱く腕に相当の力が籠っている。私なんかの為に怒りを覚えてくれているのだろうか。
「…でも、人のこと言えないわよね。」
顔を少し後ろに向けて、七星さんの顔を見る。
酷く険しい顔で、私の事を見つめていた。
「私があんたの事いじめてたから…本当にごめん。」
そして口にしたのは謝罪の言葉。
まさか七星さんからいじめに関しての謝罪をしてもらう日が来るとは思わなかった。
「…気にしないでください。私、こんなんだからいじめられても仕方ないと思ってましたし。」
私なりに考えて、七星さんを元気づけようと唇に触れるだけのキスをした。
本当に気にしていない事を伝える為に。
「…そんな事ない。あんたはすごく素敵よ。ほんとに、私なんかには勿体無いくらい。」
すると、七星さんは私の頭を片手で抱え込んで『ごめんね』と呟きながら頬擦りをしてきた。
なんだか私に甘えているみたいで、すごく可愛い。
そんな感情と同時に、涙が込み上げてきて視界が歪む。
「…え?ど、どうして泣くの?」
それに驚いた七星さんは、あわてて私の顔を覗き込む。
「…うれ…しくて…」
そして私がそう呟くと、七星さんはすごく悲しそうな顔をした。
七星さんは私の為にそんな顔しなくていい。
だって、今の私は心の底から幸せを感じているんだから。
この涙は、幸せな涙だから。
そしてそれをくれたのは、貴女だ。
「私、生きてちゃいけない人間なんだって…ずっと思ってきたから…」
「…嬉しかったんです。いじめでもなんでも、私の事を強く求めてくれる人が居たことが。」
最初は確かにすごく辛かった。自分がいじめられるのは当然だとは思っていたけれど、何度か隠れて泣いた事もある。
「…初めて七星さんに抱いてもらった時、心の底から幸せを感じてしまったんです。」
「他の人がいる中で、私のことは誰にも触らせずに、七星さんは私の事を独占してくれた。…すごく、嬉しかった。」
けれどあの日。
いじめの延長線上で、七星さんが私を抱いた日。
こんな私でも誰かに求めてもらえるんだと、こんなに強く求めてもらえるんだと、そう教えてもらった。
そこに愛は無かったかもしれない。
私は七星さんの欲を満たす為だけの奴隷だったかもしれない。
それでも、どんな形であれ、私がこの世に生まれた意味があったと初めて実感したんだ。
「それから七星さんと顔を合わせる度にドキドキするようになって、恋を自覚しました。」
そして、そんな私の気持ちの悪い自分勝手な想いが、恋心に昇華した。
気がつけば、私の方から七星さんを強く求めるようになっていった。
もっと、もっともっと求めてほしいと。
「…気持ち悪いですよね。重い…ですよね。…それでも、本当に好きなんです。」
七星さんへの本当の気持ちを伝えると、七星さんは私の唇に軽いキスをくれた。
驚いて七星さんと視線を合わせると、その緋色の瞳に私への欲をこれでもかと感じて、胸がきゅっと締め付けられた。
「…そんな事ない。むしろあんたの事、余計に独占したくなった。」
唇を離した七星さんは、そのまま話し出す。
「だってその感じだと、あんたが好きになる相手が私以外の人間だった可能性が大いにあるじゃない。…例えば神谷とか。」
七星さんの理論と、上げられたその名前にぎょっとして、目を大きく開いてしまう。
・私を強く求めてくれた最初の人がたまたま七星さんだった。
・ならば、もしその相手が七星さんじゃなくて他の人だったなら?
・あの時私を抱いた人が、七星さんじゃなかったら。
・その人を好きになっていたんじゃないか?
確かに七星さんの言う事は、間違っていないのかもしれない。
でも、私の初恋は七星さんだし、私の初めては全部七星さんのものだ。
それが現実だし、事実だし、もしもの過去なんて存在しないし、存在しなくていい。
私は何度やり直しても、どんな出会い方をしても、きっと七星さんに惹かれていたはずだ。
だって、私が好きになった七星さんは、私の事を独り占めしようとしてくれる人だから。
結局出会いなんて後付け。なんだっていい。
私はただ単純に七星さんの事が好きになっただけ。
「…そんなの、絶対に許さないから。」
ほら、私の好きな人は、こうやってありもしないifに独占欲を働かせる。
愛しくて、愛しくて、仕方がない。
私はバシャッと浴槽の水を揺らして、身体の向きを変える。
そして、図々しくも七星さんの足の上に跨って、腕を七星さんの首に回して抱きついた。
「…私には、七星さんだけです。ずっと。ずっとです。」
「…そうして。」
私がそうやって囁くと、七星さんは私の腰をぎゅっと抱きしめて応えてくれる。
さらに片手を私の後頭部に回して、優しく撫でてくれる。
「あんたが誰からも望まれない人間だったとしても、私が…私だけがあんたを望んであげるから。他の奴なんか見なくていい。」
その気持ちよさに目を細めていると、耳元で熱い囁きを受けて、思わず七星さんに回していた腕に力が籠る。
「…だから、ずっと私のモノで居なさい。」
そしてそう言いながら、七星さんは私を軽く押して頭をずらす。
そうすると七星さんに跨っている私の顔は、七星さんを上から見下ろすような形になる。
七星さんはぐっと顔を上げて、その緋色の瞳で私を見上げる。
私よりも背が高い七星さんが、こうして私を見上げている。いつもと逆の世界。
ゴクリ…私は唾を飲み込んだ。
そして恐る恐る、七星さんの頰を両手で包んでみる。
そんなことをしても、真剣な表情で私を見つめ続ける七星さん。
それを、OKサインだと勝手に受け取る。
そうすれば、我慢なんてできるわけがなかった。
上から押し付けるように、何度も何度も七星さんに深い口付けをする。
舌で唇をノックすれば、素直に開いてくれる。挿し込めば絡めてくれる。唇で挟んで引っ張ればされるがままになってくれる。
私に技術や知識なんてないから、七星さんが私にしてくれた気持ちよかった事を、そのままお返しするように実践した。
それを素直に受けてくれる七星さんが愛しくて、何分、何十分、時間なんてわからないけれど、夢中になって唇を押し付けた。
◆
「…あんた、見かけによらず激しいのね。飢えた肉食獣みたい。」
私の顔の下にある七星さんの顔。
頬は薄く朱色に染まっていて、口周りを私の大量の唾液で濡らしている。そして私を見上げる緋色の瞳には薄く涙が滲んでいて、ゆらゆらと揺れ動いていた。
いつもの気が強い雰囲気がまるで無くなっている。キスだけしかしていないのに、完全に事後の表情だ。
それを見て、もっとこの人が欲しいという想いが込み上げてくる。…が、それをグッと堪えてどうにか閉じ込める。
自分からこうして七星さんを好きにしたのは初めてで、なのにあまりにも気持ちが良くて、夢中になりすぎた。
これ以上はさすがにやりすぎだ。調子に乗りすぎだ。
「ぁ…ご、ごめんなさい…っ」
私は急いで謝罪を口にしながら、汚してしまった口元をお湯で拭ってあげる。
こんな事で嫌われるのは避けたかった。はしたない女だと思われたくなかった。
けれど、七星さんは私の無駄に大きな胸に顔を乗せて気持ちよさそうに目を瞑った。
「…気にしないで…これからはあんたも私に望みなさい。」
そしてそんな事を言うから、私は目を見開く。
私が…望む?
「私にして貰いたい事、逆に私にしたい事、遠慮せずに何でも言いなさい。全部叶えてあげるから。」
そんなこと、いいのだろうか。
だって、私は七星さんにとって…ただの遊び相手のはずだ。
すごく優しいから勘違いしてしまうけど、所詮は仮の恋人。元奴隷だ。
「…今したみたいに、私の事を好きな時に、好きな場所で、好きなようにしていいのよ?」
私が返答を迷っていると、私の胸から斜め上の流し目の視線を送ってきて、誘うような文句を言ってくる。
そのあまりの妖艶さに、思わず喉を鳴らす。
「…私が…私なんかがそんな…」
それでも、やっぱり私みたいな人間は命令される側だ。
七星さんの好きなように遊ばれる玩具。飽きたら捨てられる存在。
それがお似合いだ。
「…何言ってるの。」
しかし、私の答えを聞いた七星さんの眉間に皺がよる。
…バシャッッッッ…!!
そして、大きな水音を立てて私の身体を力づくで持ち上げて、自分の位置と交換した。
私は壁際に追いやられて、七星さんは壁に両手をついて、私を逃げられないようにする。
大量の水が、七星さんの身体から流れ落ちて、その綺麗な身体を惜しげもなく晒す。
今度はいつも通り、私が上から見下ろされる番だった。
「…あんただからよ。」
そして、そう言いながら近づいてくる七星さんの顔。
「こうしてキスしてあげるのも…」
…触れるだけの優しい口付けを。
「身体を許してあげるのも…」
…私の手をとって、その柔らかな胸に押しつけて。
「あんただからよ。」
…熱い視線をおくってくる。
「特別なの。この世であんただけなのよ。…あんたがダメなら、私に触れていい奴なんてこの世に存在しなくなるから。」
また、私の目から涙が流れ出る。
好きすぎて、どうにかなりそうだった。
こんなに生きていることに感謝をするなんて思わなかった。
私を、この世界にたった1人しかいない私を認めてくれる人。求めてくれる人。幸せをくれる人。
だとしたら、ただ一言。
私にはどうしても欲しい言葉がある。
「…嘘でも…いいです。」
震える声。
滲む視界で、それでもその綺麗な緋色の瞳を捉えながら、言葉を紡ぐ。
「…嘘でもいいから、『好き』っていいながら…キスしてほしいです…っ」
必死すぎて、自分の顔は酷いものになっていただろう。
それでも、七星さんから顔を晒さずに言えた自分を褒めたい。
初めて本気で、他人に望んだ。
自分の幸せを願った。
ただ一言、貴女からその一言が欲しかった。
「それがあんたの望みなの?」
私からのお願いを聞いた七星さんは、一瞬だけきょとんとした後、優しく微笑んで私の頬に手を添えた。
コクリ…と、頷いて肯定する。
それを認めた七星さんは、困ったように笑った。
「…でも、ごめんなさい。それは聞けないわ。」
そして、申し訳なさそうにその言葉が発される。
ズキンと、胸がきしむような痛みに襲われた。
「あんたが本当に欲しいのは、嘘の『好き』じゃないでしょう?」
当たり前だ。七星さんが許したと言っても、限度がある。
そして七星さんの言う通り、わたしが望んだものは言わせた偽物じゃない。本物の愛だ。
…強制で言わせるものじゃなかった。
胸が苦しくて、自分の頭の悪さに後悔して、流れ出る涙の量が何倍にもなる。
七星さんは、そんは私の涙を丁寧に丁寧に何度も指で拭ってくれる。
その優しさが辛かった。
「だから、今から言う言葉は…正真正銘私の本音だから。」
そんな七星さんは、よくわからない事を言って、私の顔と七星さんの顔の距離を限りなく0にする。
「…え?」
次の瞬間、七星さんの唇が、私の唇に軽く触れた。
「…好きよ。私はあんた…うんうん。…のり子の事が…好き。」
そして、私の名前を呼びながら、私の一番欲しかった言葉を口にする。
「好き…好きよ。…好き。」
それから繰り返される『好き。』
その言葉を言う度に、口付けをくれる。何度も、何度も何度も。物分かりの悪い私に教え込むように。
心臓が煩い。
何が起こったのか、まるで理解が追いつかない。
かろうじて分かるのは、私が望んだ以上の事が起きているという事。
後頭部を抑えられて、次第に深くなる口付け。そのせいで更に思考が鈍る。何も考えられない。
気付けば私の腕は七星さんの体に絡み付いていて、このよくわからない状況の、それでも最高の幸せを離す気なんてないようだった。
何度も繰り返される快楽の拷問のような行為の途中、一度唇を離した七星さんが、私を見下ろす。
「…愛してる…のり子。」
そして最後にそんな事を囁かれると、ヘソ下がきゅっと締め付けられて、私の身体は幸せに大きく震えた。
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