私の物語にヒーローなんて必要ない。
「…いつまで抱きついてるのよ。」
またあの別荘で、しかも今度は2人きりで抱いてもらえる喜びで長く抱きついていた私を七星さんは咎める。
そうなれば私は惜しむようにゆっくりと体を離して、七星さんを上目遣いで見つめるしかない。
そんな私を見て、七星さんは眉を八の字にして困ったような表情をした。
「…またすぐに抱いてあげるからそんな顔するんじゃないわよ。」
そんな顔ってどんな顔だろう。自分では分からない。
けれど、七星さんの困った顔は大変貴重だ。日常生活ですら全く見られない物だし。
今日は優しかったり、激しかったり、少し困ってみたり…七星さんの色々な顔が見られる。さらにトイレの個室なんていう狭い空間で抱いてもらえた…すごく良い日だ。
それでも欲は止まらない。
もっと見たい。もっと知りたい。七星さんの全部が欲しい。
「…ほら、行くわよ。」
七星さんは、そんな私の熱い欲の籠った視線をかわすように踵を返して言う。
個室のドアが開き、今度こそ長く居座ったトイレから出る。
私の気分は最高潮だった。今まで生きてきて、ここまで胸が高鳴ったことなどない。
ずっとずっと、誰からも必要とされず、むしろ不要とされてきた私。
そんな私を求めてくれた七星さん。私の想い人。
そしてこれからまた、私は別荘で激しく求められる。
普段より軽い足取り、心の底から幸せな気分だった。
「…あ!!四ノ宮さん!!」
…この男の声を聞くまでは。
心臓が嫌な跳ね方をした。七星さんといる時とは違う、不快な跳ね方。
声をする方を見れば、トイレと教室の間にある廊下で、さっき私をいじめから守ろうとしていた男が地べたに座ってスマホを弄っていた。
私の身体が硬直するのを、確かに感じた。
「神谷…」
私の前を歩いていた七星さんの表情は見えない。
けれど彼の名を呼んだ声は、酷く低い音をしていた。
「トイレにしちゃ長すぎるだろ。…四ノ宮さんに何したんだ七星。」
私達を認めた男は、すぐさま立ち上がり、険しい表情をしながら私たちの方へ歩いてきた。
「なに、あんたずっとここで待ってたの?」
「質問に答えろよ」
そして私の前で、2人は睨み合いながら仁王立ちをした。
どうしてか、男の方はかなり怒っている。
「はぁ…七星はもういいわ。話になんねぇ。」
暫く睨み合ってから、男はため息をついてから私を見た。
その目に恐怖を感じて、身体に力が籠る。
「…おいで、四ノ宮さん。」
そして優しい顔と声で、私に手を差し伸べる格好をした。
この手を取れと、彼の目は言っている。
取りたくない…なのに、身体が硬直して動けない。
「…俺が助けてあげるから。そいつから今すぐ離れるんだ。」
そんな私の目を見て、彼は優しく微笑んでそう言った。
全く意味がわからなかった。
何から助けるの?私は彼女に恋をしているというのに。助けなど誰も望んでいない。
背中に冷や汗が流れるのを、確かに感じた。
拒否しなければいけないのに、体も、唇さえも動かない。
ちゃくちゃくと迫ってくるのは、彼のゴツゴツとした大きな手。私の事を求めてくれる七星さんの手とまるで違う。
…怖い。…怖い怖い
そんな風に私が窮地に立たされている時、七星さんは首だけ曲げて私を横目で見た。
「…あんたの好きにすれば良い。」
…そして、発したその言葉に私は大きく目を見開いた。
同時に、身体の自由が戻った事を確かに感じる。
「…なに、…してるんだ四ノ宮さん…」
私のとった行動に、男は目を大きく開いて驚愕の表情をする。
…私は、手を伸ばしてきた男の間を掻い潜り、背後に隠れるように七星さんの背中に抱きついた。
七星さんが選択肢をくれた。それならば、私が取る選択肢はこれしかない。
ぎゅっと七星さんのブレザーを握り締め、男の姿を見ないように顔を七星さんの背中に埋める。
「はっ!…残念。あんたはこいつのお眼鏡にかなわなかったみたいね。」
少しの静寂を経て、七星さんは彼を揶揄うように笑う。
「まぁそうよね。あんたとこいつじゃ、あまりにも釣り合わないわ。」
「…分かったら授業に戻ったら?優・等・生・君?」
そして更に煽るように言葉を繋げる七星さんに、私は背中に埋もれた顔の口角をひっそり上げる。
私のよく知る七星さんだ。しかも、今回は私の敵へ攻撃してくれている。
さっきとはまるで違う。彼女へしか感じない暖かい胸の高鳴りを感じた。
「…どこまでも卑劣な奴だ。」
「…はあ?」
私が七星さんに隠れていると、2人はどうやらまた喧嘩腰の姿勢をとっているみたいだった。
恐る恐る七星さんの後ろから顔を覗かせて、男を見る。
これでもかと眉間に皺を寄せて、怒りの表情で私達を見つめていた。
恐怖で、ぎゅっとまたブレザーを掴む手に力が入る。
そんな私を見て、男は一段と顔を歪ませた。
「どんな弱みを握られているか知らないけど、必ず君を助けてみせるから。…四ノ宮さん。」
そして、そんな不穏な言葉を残した男は私達に背を向けて、廊下を逆方向に歩いて消えていった。
正直、もう構わないで欲しい。
七星さんも同じような気持ちでいてくれているのか、…何あいつ、キモ。…と。私にしか聞こえない小さな声で呟いていた。
「…はぁ…ダルかったわね。」
男が完全に消えるのを認めたと同時、七星さんはため息をついて私の方へ振り返った。
「あんたには色々聞きたいことはあるけど、とりあえず早く行きましょう。」
そして、私の事を正面から抱きしめる。
ふんわりとした感触が私の身体を包み込む。優しい香りと、ほんの少しの汗の匂い。
全て私の良く知る物。そして安心する物。
「…今、物凄くあんたの事が欲しいの。」
しかし、最後に耳元で囁かれたその言葉はあまりにも刺激的な物だった。
ゾクゾクと身体中にありえない量の歓喜が走る。そして数瞬後、身体が性的快楽を覚えた時と同じように震えて跳ねた。
ここまで直接的な表現で求められたのは初めてだ。
恋心を宿した心臓は、煩いくらいに大きな音を立てていた。
◆
前に一度連れてこられた大きなベッドの上。
─…優しくできなそう。
この場所に着くなり、七星さんはそう言って私の服を性急に剥ぎ取った。
それからもう何時間経ったのかわからない。ただ、綺麗だったシーツは汚れに汚れている。
主に私の体液なのが申し訳ないが、七星さんは気にしていない様子だった。
そして最後。
七星さんにぎゅっとキツく抱きしめられながら、腰につけた玩具で突き上げられて私は身体を何度か震わせた。
その震えを終えて、私が呼吸を整えている間、七星さんは私の身体の隅々に唇を押し付け、舌を這わせてくれる。
行為はすごく激しい物だったけど、随所から優しさを感じる。そして心が温まる。
「…大丈夫?」
ほら、また。
…私の心配をする言葉と、汗で肌に張り付いた私の髪を払ってくれる柔らかい手のひら。
本当に今日の七星さんは、どこまでも優しさで溢れていた。
体勢は行為中そのまま、ぎゅっと抱きしめられながら私達はゆっくりとした時間を過ごしていた。
時折ちゅっちゅと降ってくる肌への軽いキス。そして縦横無尽かつ優しく這う手指。
もうそれだけで気持ちが良かった。まるで恋人同士にでもなった気分だ。
勿論、七星さんにそんなつもりはないだろうが。
実際、私達は今日まで一度たりとも唇同士の接触をした事がない。私からすることは出来ないし、七星さんからしてくれる様子もない。
それに加えて、私を抱く際、七星さんはいつだってブレザーしか脱がない。ワイシャツやスカートはそのまんま、肌を見せてくれない。
私は本当に、ただの性欲処理の道具なのだろう。
実際それで良いと思うし、それを望んだのは私だ。こんな私を求めてもらえるだけでありがたいのだから。
だけど、今日の優しい七星さんを見てしまった私は、図々しくもその先まで望んでしまう。
…七星さんからの愛を。
そんなの、あるわけがないのに。
頭の中で、ずっと妄想してしまう。
好きだと言いながら、私にたくさんキスしてくれる七星さんを。
私には、何かを望む権利なんてないのに。
「ふぅ…え、もう18時過ぎ?…やば。何時間盛ってたのよ私達。」
そんな風にありもしない妄想に、軽く胸を痛めていると七星さんは時計を見て驚いた声を上げる。
確か学校を出たのが9時頃だったはず。そこから別荘までは10分もせずに着いたから…そう言うことなのだろう。
正直幸せすぎて、今は腰の痛みや身体のダルさすら気にならないくらいだ。時間なんて気にしてる余裕は無かった。…きっと身体は明日にはすごく響くだろうけど…
…抱き合っていた身体が、離れていく。
あぁ、終わってしまう。
勿論、私の身体もさすがにこれ以上は無理だ。けれど、寂しい。
そんなことを思っていても、どうする事もできない。そして完全に離れた七星さんの身体。
しかし、その手は動かずに倒れている私の頭に置かれた。
優しく撫でられて、思わず目を細める。
「…もしかしてあんたさ、あいつの事嫌い?」
そして、そのままそんな事を聞かれる。
あいつ…恐らく神谷とかいう男の事だろう。
嫌い…なのかはわからない。正直全く知らない人だし。私みたいな底辺の人間が、人様を嫌いになるなんてあってはならないと思うし。
けど、好きか嫌いかしか選択肢がないのなら、圧倒的に嫌いだ。
私はコクリ、と頭を一度縦に振った。
「ぷっ…あはは!!え、まじ??…あはは!!面白すぎ!!」
その答えを聞いた七星さんは、吹き出して、それから見たこともないくらい満面の笑みで笑い出した。
その様子に、私はキョトンとする。
私の答えに、何か面白い要素があったのだろうか。
「…はぁぁぁ…はぁ、はぁ…いや、笑った笑った。…はぁ…」
ついていけない私をよそに、しばらく笑い続けた七星さんは、目に涙を浮かべて息を整える。
そんな七星さんに、…笑った顔、すごく可愛いなぁ。と、密かに胸を高鳴らせていた。
「あぁ、ごめん。もしかしてあんた私が笑った意味わからなかった?」
息を整え終えた七星さんは、キョトンと固まる私に問う。
それに対して私が素直に頷くと、優しく微笑んでから口を開いた。
「ほら。ラブコメならさ、普通いじめから助けてくれた男と恋に落ちるもんじゃん?そんで私みたいな奴は悪役として天罰が下る。そして最後は2人が結ばれてハッピーエンド。」
「今日の展開、まさにそれじゃん?ありきたりでベッタベタな展開。」
「…でも現実は、あんたはヒーローであるあいつの事が嫌いで、悪役の私を選んだ。…しかも裏では悪役の私と何時間もセックスしてるのよ?」
「あはっ!ほんと、面白すぎるわ。何これ、駄作も駄作よ。」
説明を終えてからまたケラケラと笑いだす七星さん。
ラブコメ…恐らく漫画や映画の世界の話なんだろうけど、私にはそれもよくわからない。
漫画なんて読んだ事ないし、映画だって鑑賞の授業でしか見た事がない。学校の図書室にある小説が私の唯一の娯楽だった。
でも私なりに噛み砕くと、要するにいじめをしていた相手に恋心を抱く私が異端だという事なんだろう。それに七星さんは笑ったわけだ。
これに関しては、私自身が驚いた事だし、わかる。けれど現実の恋愛は、小説の中の恋愛とはまるで違う。
それを今、私が体感している。
「あんた、やっぱり良いわ。最高よ。」
また優しく微笑んだ七星さんは、私の顔を何度も何度も、優しく撫でる。
何故か褒められている。『最高』の言葉。
心地がいい。嬉しい。幸せ。
「…で、本当は私に抱かれてまで『七星』に取りろうとして…何が望み?」
「…え?」
…しかし、そんな優しい雰囲気は、七星さんの一言で完全に崩れ去る。
私はその綺麗な緋色の瞳と目線を合わせる。雰囲気は完全に壊れたのに、表情は穏やかそのままだった。
「とぼけなくても別に良いわよ。もう怒ったり、報復であんたをいじめたりしないから。…あんた、私の見込み通り面白い奴だったし。」
「現金でも、就職先でも。あんたには何でも好きな物をあげる。」
「何が欲しいの?『七星』に何を望むの?」
七星さんの言う言葉が、わからない。
いや、意味は分かる。けれど、私はそんなの微塵も求めていない。
揺れる瞳で七星さんを見ても、その表情は崩れない。穏やかな笑みを浮かべたまま。
「普通に考えて、ヒーローを選ばず悪者を選ぶ奴がどこにいるのよ。」
そして、七星さんは淡々と独自の理論を展開する。
「まぁあんたにも好みがあるだろうし、あいつ普通に性格キモいし、ナシなのは理解できる。」
「けど、どう考えても私につくよりマシでしょ?同性に、しかも散々ひどい事をしてきた女に抱かれるとか…普通にありえない。」
「だとしたら、私を選んだ理由は一つしかないわよね。」
「『七星』」
「でもここまで楽しませてもらったから…そうね、私があなたのヒーローになってあげる。」
「…ね、だから教えて?ヒーローの私がなんでも応えてあげるから。」
ここまで一気に紡がれた言葉。
理にかなっているが、やはり恋はイレギュラーだ。公式に当てはまる物じゃない。
勿論七星さんは私が七星さんに恋をしている事を知らないから、しかたないかもしれないが。でも現状、その事を伝えたとしても信じてもらえる雰囲気は無い。
それに少しだけ、七星さんの気持ちが読み取れてしまった。
彼女ももしかしたら、私と同じように孤独に生きている人間なのかもしれない。言葉や節々から『七星』にかなりコンプレックスを抱いているように思える。
だとするなら、私は愛する彼女に何をするべきか。
そんなの、一つしかない。
緊張からゴクリと喉を鳴らして、私はゆっくり震える唇を開ける。
「…なんでも…いいんですか?」
「ええ。いいわよ。」
私の確認は、七星さんの言質をとった。
ならば、私は選択するまでだ。
「…それなら…」
もう一度唾液を飲み込む為に、喉を鳴らす。
それから少しだけ間を空けて、深呼吸。
そして、真剣な表情で彼女を見つめて再び重い口を開く。
「…私は、七星さん……いえ、姫乃さんが欲しいです。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます