第13話 俺は遠慮した
ウナさんがゆっくりしろとすすめてくれたのに、俺の生活はそんなに変わらなかった。
毎日、ベルデト山までは行かなくなったけど、途中のフォルミガルの町までは毎日走っている。
フォルミガルの町では、綺麗な湧き水が汲めるガレングア川が有名だ。
そこで湧き水を汲み、ウナさんにプレゼントするのが俺の日課になっていた。
だって、金がないからなあ。
革袋3つにたっぷりと水を入れ、それを担いで家まで戻る。
10kmなら楽勝だ。
革袋3つも平気だしね。
「この水はなかなかの銘水ね。柔らかな舌触りの中にも、微かに炭酸の刺激とスギの木の匂いを感じるわね」
ソムリエみたいに講評を加えた後、木のコップでこくこくと水を飲むのがウナさんのルーティンだ。
俺には、この辺の水と大きな違いを感じないけど、ウナさんが喜んでいるのを見るのが好きで毎日、走っている。
それが終われば、石切場での仕事が待っている。
「じゃあ、行ってくる」
「いつもありがとうね」
フワッとした笑顔のウナさんに手を振りながら、俺は石切場に走って行く。
「お、デイル。今日もやる気に溢れてるな。よろしく頼むぞ」
石切場を仕切っている親方のガストンが、俺の胸をどやしつけながら破顔一笑だ。
最近は人の3倍の石を運べる。
1日の給料も大銅貨4枚になったんだ。
「じゃあ、今日もしっかり働けえ!」
「おりゃあ」
朝の9時から昼の2時まで、ガッツリと汗をかく。
石の運搬は上半身を鍛えるだけでなく、足腰にもいい負荷がかかってる。
トレーニングしながらお金が稼げるなんて、ご機嫌な仕事だ。
「お疲れ! デイル!」
親方から大銅貨4枚を受け取る。
これで、ウナさんが喜ぶスープの材料が買える。
すぐにマーケットに行き、ニンニク、 パースニップ、 パン、 キャラウェイシード、塩、コショウを購入する。
タマネギやジャガイモなども入れても美味しい。
ウナさん、喜ぶかな。
それらを袋に詰めて、格闘技のマックール道場に向かう。
マックール道場のいいところは、入口の近くに井戸があり、弟子はそこが使い放題になっている。
俺は道場に来るたびに、上着を脱ぎ、汗を洗い流している。
「効くなあ」
ザバザバと上半身に水をかけると、筋肉が引き締まる感じがする。
身体の毛穴から、冷たい綺麗な水が入り込んでくるようだ。
「デイル、相変わらず石運び?」
師範代のサリアが呆れた視線を俺に向けてくる。
最近は時折胴を捕まえているけれども、今だに格闘術ではかなわない。
「師範代、今日もよろしくお願いします」
俺は折り目正しく、頭を下げる。
礼儀こそが最強へ至る道と親父は繰り返し話してくれた。
確かに今は、その意味が分かる。
「そういえば、父上がデイルに話があると言っておりました」
「マックール卿が?」
サリアの父、アート・マックールは平民から武によって領主となった英傑なんだ。
先の戦いで武勲をたて、準男爵にも任命されている。
「おう、デイル。相変わらず、いい筋肉だな」
「いえ、マックール卿には敵いません」
「普通に話せ、デイル。父親の友人に水臭いぞ」
マックール卿は父の数少ない友人であり、道場に入門するときも、入門料を安くしてもらっている。
「お前、今、この町にワレンターク帝国の一行が訪問しているのを知ってるか?」
ワレンターク帝国は俺たちの住む伯爵領の南側に位置し、武をもって周辺国を併吞している物騒な帝国だ。
ここ伯爵領でも、ときどき小競り合いが起きている。
その度に、マックール卿が駆り出されるらしいのだ。
「実は、親善試合を申し込まれていてな」
椅子を勧めながら、マックール卿は従者に飲み物を注文する。
俺が椅子に座ると、相変わらずギシリと音を立てて椅子が軋む。
高い椅子なんだろうと、ビクビクしてしまう。
「相手は3対3の練習試合を所望だ。いつもなら、わしとサリア、そして、もう一人の師範代でいいのだが……」
聞けば、別の師範代が武者修行に出ているため、3人目が決まっていないのだ。
「お前は入門して3ヶ月の新人だが、こつこつと努力を続けてきた。力量も上がっている。どうだ、お試しで試合に出てみないか」
「いやいやいや。俺は戦えるほど練習をしてないですよ。それで、相手に勝てるんですか?」
全力で手を振って拒絶する。
そんなやっかい事に関わりたくないな。
「まあ勝てる、勝てないは二の次だ。掴まれたら相手は何もできない。投げるなり、締めるなり、蹴るなり、お前なら好きに戦えるぞ」
この人たちって、凡人の気持ちがわかってないよ。
すぐにできると思っているけど、凡人の俺には無理なんだ。
時間がかかるんだ。
「無理です。別の人をあたってください」
俺はマックール卿の部屋から素早く逃げ出した。
どうして、弱い俺に試合をさせようとするかな。
考えを振り払うために、俺は稽古に集中する。
相手は、入門3年目のクインテッドだ。
25歳の中堅で、なかなかの強さを誇っている
俺はクインテッド相手を掴めるが、その後の攻撃が続かない。
結局、絞め技や投げ技で、まいったをしてしまうのだ。
散々地面に投げられ仰向けで倒れている俺に向かって、クインテッドが話しかけてくる。
「なあ、デイル。知ってるか?」
「何だ」
息がなかなか整えられない。
くそう、あんなに強く投げるなんて。
けれども、次の一言は俺を打ちのめした。
「今週末の試合は、サリアお嬢さんの婚約がかかってるらしいって噂だ」
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