第5話 陽炎①
◆陽炎
ああ、15歳の時の私は、飛び込み台に立つ彼女の姿を心に刻みつけたまま年老いて、人生を終えるなど考えもしなかった。
あれから数十年の歳月が経った。
その間、夏は何度もやって来ては消えていった。
当然、彼女のいない夏だ。
そんな季節は何度やって来ても空虚だった。
だが空虚のままでは生きてはいけない。それなりに、勉強をし、大学に進み就職をして、人並みの人生を歩いた。
だが、心のどこかに彼女の存在が住み続けていて、それが次第に大きくなっていった。
もうそろそろ、人生の終着点が見える年齢になっても、
「お前はこのまま終わっていいのか?」と自問自答してしまう自分がいる。
そんな私は、人生の最期にプールに来てみようと思っていた。
廃プールはあったが、水の張ったプール・・それも誰もいないプールは中々なかった。
市民プールでは物思いに耽ることはできない。
どうしても水があり、誰もいない25メートルを前にしたかった。
そう思いながら数年が過ぎたある日、ある知人に、清掃前の少しの時間なら椅子に座っていてくれてかまわないと言われた。
ただ誰もいないプールを前にするというだけのことだが、私の念願がかなった。
時間は昼下がり・・プールの授業と同じ時間だ。
プールの水面は15歳の時に見たプールと同じように、夏の太陽を受け、光の粒子を乱反射させている。
水面もプールサイドも静かだ。プールサイドには私以外に誰もいない。
デッキチェアの僅かに軋む音と、セミの鳴く声と遠くで子供の遊ぶ声しか聞こえない。
意味の成さない音と声は無いのと同じだ。
こんな静けさがずっと欲しかった。
仕事の電話や、大きな声がない所で静かに時間を送りたかった。
時折、プールを囲む森の枯れた葉が迷い込み、水面をさ迷って落ちていく。
葉は水面に僅かな波紋を広げた後、静かに沈んでいく。
その様子はまるで人生の縮図のようだった。
何かを成そうとしては、消えていく・・
やがて、私はこの葉っぱのように、水分をすくい上げ、重くなり、薄汚れたまま沈んでいく。
私は消えゆく波紋を見ながら、
「ずっと君が好きだった」
と、誰ともなくポツリと言った。
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