第3話
-なぜ、なぜ気が付かないんだ。
私の頭に昨日工事担当課長が言っていた都市伝説の話が過った。
-まさか人が消える原因ってのは、人がアスファルトに飲み込まれたからなのか。
それも世の中のルールを乱した人物がターゲットにされていたはずなのに、なぜ自分なんだ。市政を淡々とこなしてきた私が消されるなんて納得などいくはずもない。
-これは何かの間違いだ。私ではない誰かと間違えられたんだ。
私は何とかしてアスファルトに閉じ込められたことを誰かに伝えられないかと考えた。作業員たちが何度となく私の近くを通り過ぎたが、声が出せない上に身動き一つ取れず、皆私のすぐ傍を通り過ぎていくばかりだった。
一人の作業員が私の右の掌と思われる部分を踏んだ瞬間に、私は動かない腕に力を入れてみた。作業員が立ち止まった。
-ここだぁ、ここに閉じ込められているぅ!
私は指先から念を送ってみた。作業員が自分の足元を見下ろし、そして私の身体と思われる部分の上に跪いた。
—そうだ、ここにいる、私を掘り出してくれ!
その思いも虚しく、作業員は安全靴の紐を結び直すとそそくさと立ち去って行った。私はもう絶望するしかなかった。
-もうここから出られないのか。
そう思うと家族のことが頭を過った。私がいなくなれば妻と子はこれからどうやって生きていくのか。そして部下たちのことが頭をよぎった。私がいなくなれば悲しんでくれるのだろうか。
この街に暮らす市民のことが頭をよぎった。私はこれまで皆の生活を少しでも良くすることができたのだろうか。
—このまま死ぬのか。
諦めと後悔の念が私の心を席捲した。私は目を閉じて、身体が焼かれアスファルトの中で腐敗してく運命を受け入れようとした。そして目を閉じると、アスファルトを介して無数の足音が聞こえてきた。その足音のどれもがゆったりとしたリズムなど刻んでいない。何かに追われるように縦横無尽に動いているようだが、適確に統率されている。
私は目を開けて、足音が聞こえる方角に目をやってみた。そこには十人余りの作業員の姿があった。皆の顔に笑顔などない。灼熱のアスファルトの上で汗を流し、熱気に顔をゆがめながら、必死でアスファルト合材を敷きならしていた。
—こんな暑い場所で辛くはないのか。
作業員の傍らで写真を撮り続けている部下たちを見た。作業員に迷惑がられても、良い画像を撮ろうと動き回っている。額の汗は流れ続け、作業服は汗で色が変わっている。
—こんなに頑張ってくれていたのか。
私は何も知らなかった。こんな姿にならなければ、気付きもしなかった。なんと愚かなことだ。こんな後悔の念を抱えたままこの世と惜別しなければならないのか。そう思うと私の半生が走馬灯のように私の頭の中を駆け巡った。
市役所員になりたての若かった頃、市民のために街中を駆け回った。街灯の灯りが消えてしまったと連絡があれば、電球を取替えるために軽自動車で駆け付けた。一人暮らしのご老人の家を一件一件回って、元気でいるかどうか調べて回った。台風が近づいてくると、雨具を着て小学生たちが無事に帰宅できるようにずぶ濡れで道路に立ち続けた。数え上げれば切りがない。市民の生活を少しでも豊かにしようと街中を駆け回ったあのときの情熱は、どこに消えてしまったのだろうか。私はどこで行く先を間違えてしまったのだろうか。
—生きたい。
私の心の中にもう一度生きたいという思いが沸々と湧き上がってきた。
—もっと沸き上がれ、もっと、もっとだぁ。
私の心で沸騰してきたその念と共に全身の力を右腕に集中させ、渾身の力を込めて伸びきった腕を屈曲させた。
「うおぉぉぉぉぉ―!」
私の叫び声とともに右腕がアスファルトを突き破った。右腕の感覚が戻った。次は私の左腕がアスファルトを粉々にした。そして自由になった両腕でアスファルトを押し返し、アスファルトを破壊しながら私の胴体が陽炎の中にもう一度その姿を現した。
全身の持てる力を一瞬で使い果たしたようだ。起き上がって歩くことすらままならない。しかし確かに身体の感覚が戻っている。
—生きている。
その実感を抱えたまま、私はふらふらと皆がいる方向に歩いて行った。作業員たちは私に気付いていたが知らぬ顔をしていた。私は夢遊病者のように歩き、作業員の一人にもたれかかると、無意識にその作業員の手からトンボを奪い取っていた。そして一心不乱にアスファルトを敷き均し始めた。
熱い、辛い、苦しい、しかしなぜか無性に嬉しい。我を忘れてトンボを動かす私の右腕を、だれかがそっと掴んだ。
「ぼくの仕事ですから・・・」
作業員の一人が優しい顔でそう言ってくれた。私の目から止めどなく涙が溢れ出た。
—この人たちが閉じ込められなくてよかった。
「おい、ちゃんと敷き均したのか。ここの部分に大きな穴が空いてるぞ」
現場監督が怒鳴り声を上げた。
「えっ、ちゃんと均して転圧もしましたよ」
作業員の一人が怪訝そうな顔で現場監督のもとに駆け寄ってきた。
「監督、この穴、なんだか人の形をしてませんか?」
その作業員は不思議そうに言うと、あっという間に埋めてしまった。
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